悪役令嬢のペットな執事 逆転した乙女ゲームの世界は破滅フラグが一杯です

緋色の雨

第1話

 先日、俺は魔術科高等学校へ至る狭き門である入試を突破した。優秀な魔術師だった姉の背中を追い続けてきた俺にとっての一区切りだ。

 そうして息抜きで街へと出掛けた俺はそこで運命の出会いを果たした――といっても、ウィンドウショップで見つけたパッケージの女の子と、だが。


 どうやらそれは『光と闇のカンタービレ』という乙女ゲームらしい。ずいぶんと人気のようで、シリーズ化もされている。俺が見つけたのは再入荷された一作目のようだ。


 乙女ゲームをプレイしたことはないが、プレイヤーの自己投影する女の子がヒロイン。複数いるイケメン攻略対象の誰かと結ばれるのが目的のゲームらしい。


 中世くらいの貴族社会が舞台となっている。現実とは違って人がホウキで空を飛ぶこともなく、貴族は馬車で移動するわりと不便な世界。


 自キャラにあたるヒロインはエリスという平民の女の子。

 彼女は平民の身でありながら光の精霊の加護を得る。それが原因で王子や貴族、それに騎士なんかに注目され――というのが本筋だが、俺が興味を持ったのはそっちじゃない。


 パッケージでヒロインと対極に描かれている公爵令嬢。闇の精霊の加護を受けた闇の巫女、リディアという女の子のイラストに一目惚れをしたのだ。


 桜の花びらを溶かし込んだかのような銀色の髪に、揺るぎない意志を秘めた深紅の瞳。少し強気そうな顔つきながらも、何処か優しさと気品に満ちた立ち姿。

 ガラにもなく、本気で可愛いと惚れ込んでしまった。彼女の物語が見たくて、俺はやったこともない乙女ゲームである『光と闇のカンタービレ』を購入した。


 だが、俺は先にも言った通りに乙女ゲームをプレイしたことはない。だから、パッケージにヒロインと対峙するように女性キャラが描かれている意味をよく理解していなかった。


 リディアはいわゆる、悪役令嬢というポジションのキャラだったのだ。


 悪役令嬢を知っている者なら、ここで「あぁ」と察したことだろう。だが、知らない者のために軽く説明すると、悪役令嬢とはギャルゲーで言うところの嫌味なイケメンキャラだ。


 外見や家柄は良いのに性格は最悪で、主人公にはやたらと嫌味をぶつけてくる敵対者。

 しかもわりと異性にモテたりして、プレイヤーのヘイトを一身に集める立ち位置。そうして最後は情けない姿を晒し、プレイヤーにヒロインを奪われる。

 要するにざまぁ対象、プレイヤーの負けん気を引き出すための噛ませ犬である。


 リディアは、乙女ゲームにおけるその役割を担っていたのだ。

 すなわち、見た目は最高で家柄も最高。だというのに、光の巫女と持て囃されるヒロインが許せなくて様々な悪事を働いて信頼を失い、最終的には過去の醜聞が原因で破滅する。


 その醜聞というのは王子以外の男との不貞(浮気)。

 その噂は誤りで、事実は背後から見知らぬ異性に抱きつかれただけ。彼女自身は、赤ちゃんは天使が運んでくるなんて信じているくらい性に疎いお嬢様で不貞などあり得ない。


 だが、数々の悪事を働いていたのは事実で、取り巻き達にも見放される。最後は因果応報、これでもかと叩かれて破滅する救いようのないキャラだ。


 しかも、彼女は悪役令嬢という役回りをたった一人で果たしている。

 つまり、ヒロインが各種攻略対象を攻略するたびに、毎回違う方法でヒロインを貶めようとしては、毎回ざまぁされて破滅してしまう根っからの悪女なのだ。


 ヒロイン視点で見れば、むかつくキャラがやられてスカッとするのだろう。

 だが、リディアを気に入ってプレイした俺的には、攻略対象の数だけ、お気に入りのキャラの卑怯な部分と情けない部分を見せられるだけのゲームだった。


 しかも腹が立つことに、リディアの性格が歪んでいるのには、なにやら事情がありそうな描写があるのだが……隅から隅までプレイしても、そういう事実は一切描写されていなかった。


 ちょっとシナリオライター、この伏線の回収忘れてるっ! なんて嘆いてみたが、結果は変わらない。そうして最悪の気分でプレイを終えた俺はベッドに倒れ込んだ。

 そして気付いたら見知らぬ街角に立っていた。


「……え? どこだ、ここ」


 さっきまで自宅のベッドに転がっていたはずだ。なのに気付いたら街角に立っている。しかも、その街並みが明らかにおかしい。

 人々の服装がぜんぜん違うし、建物の様式も違い、表通りには馬車が走っている。まるで数百年くらい昔の街を再現した映画のセットのようだ。


 どっかで見たような……って、そうだ、スチル。これ『光と闇のカンタービレ』のスチルに描かれてた街並みにそっくりじゃないか?

 え、なに、どういうこと?


 夢でも見ているのだろうかと自分の頬を抓ってみるが普通に痛い。

 まさか、召喚魔術……?

 いや、あれは姉が書いた論文の仮説でしかなくて、実在はしないはずだ。


 そもそも――と、俺は自分の足下を見下ろした。部屋で寝ていたはずなのに靴を履いている。それに服も部屋着ではなく外出着になっている。

 仮に召喚魔術だったとしても、服装が替わっている説明が付かない。


 そもそも、飛ばされた先も謎である。どこか別の国ならともかく、ゲームの世界、もしくはそれに準ずる世界に召喚する魔術なんて聞いたこともない。


 夢というのが一番ありそうな結論なんだが……感覚がリアルすぎるんだよな。

 俺が見る夢はモノクロがせいぜいだ。基本的には小説のように情報で補完された世界で、こんな風に見渡す限りカラーの夢なんて一度だって見たことがない。

 せっかくだし、少し散歩してみるか――ということで、俺は古風な街並みを歩く。


 中世くらいが舞台だが、上下水道は完備されているらしい。石畳の表通りはもちろん、砂利道である裏通りもそれほど汚れてはいないようだ。


 もっとも、これが乙女ゲームの世界であるなら、それもある意味必然だ。

 攻略対象の中には平民の男もいて、ヒロインが平民としての暮らしを選択するルートも存在する。その実情が上下水道もない生活――というのは、現代の乙女的に辛いだろう。

 いわゆる、物語上の都合、というヤツだ。


 街には活気があって、聞こえてくる言語も問題なく理解できる。

 明らかに異国風の街並みなのに、言語が理解できるのは本来なら不自然。だが、ここが乙女ゲームの世界であるのなら、言語が同じなのもある意味では必然と言える。

 それ以前、夢であるのなら当然とも言えるのだが……


「お腹すいた」


 お腹を押さえて溜め息をついた。

 これが夢なら食べなくても死にはしないかもしれないが、とにかく空腹は耐え難い。なんとかしなければと思うのだが、残念ながら金目の物は持っていなかった。

 かといって、働き口が見つかるかどうか……と俺は周囲を見回した。


 ゲームの舞台は貴族社会が中心で、庶民の暮らしはあまり掘り下げていない。身分証や住民票の類いが存在するのか否か。要するにいまの自分が雇ってもらえるかどうかも分からない。

 分からないけど……このままじゃどうしようもないな。


「すみません、ちょっと良いですか?」


 俺はなるだけ愛想の良さそうなおばさんに声を掛けた。おばさんは声を掛けられた瞬間怪訝な顔をしたが、俺を見るなり愛想の良く笑い始めた。


「なんだい、私をナンパしようって言うのかい? このあとならもちろん空いてるよ」

「いえ、その……少し聞きたいことがあるのですが……実は働き口がないか、と」


 おばさんのジョークへの対応に苦心しつつ、なんとか用件を伝える。一度は怪訝な顔をしたおばさんだが、彼女はすぐににやっと笑った。


「もしかして……そういうお誘いかい?」

「は? え……?」


 誘う? なにが?

 いや、まさか……? と俺は混乱する。だがおばさんは俺の困惑に気付かずに、これくらいでどうだい? と指を二本立ててきた。

 ――どころか、尻をさわさわと撫でられた。


「~~~っ。す、すみません、急用を思い出しました!」

「え、あ、おい、ちょっとっ」


 おばさんがなにかを言おうとするが、俺は踵を返して全力疾走で逃げ出した。



 姉が天才魔術師で、その背中を追う優秀な魔術師の卵。そんなステータスを持つ俺は友人も多く、その中には異性もたくさんいた。

 だが、まだ十六歳でしかなく、女性に耐性があるとは言いがたい。当然、さっきみたいなことも初めてで、俺はとにかくパニックになった。


 そうして無我夢中で走ったら、なにやら雰囲気の違う区画に入り込んでいた。

 表通りにあった建物とは違う、何処かぼろっちい建物が並んでいる。ゲームの設定に合ったスラム街かもしれない。なんだか嫌な予感がする。

 早く表通りに戻ろうとうろついていると、お世辞にも綺麗な服とは言えないワンピース姿のお姉さんと出くわした。


「おや? 妙に身なりの良い坊ちゃんだね。ここはあんたみたいなのが来るところじゃないよ。痛い目に見ないうちに帰りな」

「いや、その……俺はちょっと道に迷って……」

「道に迷って? ……仕方ないね。あたしが表通りまで連れていってやるよ」

「えっと……良いんですか?」

「ま、案内くらいならね。ついてきな、こっちだよ」


 見かけは貧民っぽい見た目だが親切なお姉さんらしい。俺は感謝の言葉を投げかけて、先に歩き始めたお姉さんの横に並ぶ。


「にしても、あんたの保護者はなにをやってるんだ?」

「保護者……? いえ、俺は一人で来ました」

「……ふぅん。そうかい。それは……災難だったね」

「災難?」


 どういう意味だ?

 まさか、異世界から召喚されて災難だった――という意味じゃないよな? 知ってるはずはないし……でも、一人なのが災難って他に理由がないし……あれ?


「なぁ、ここ、行き止まりじゃ――うわっ!?」


 向かっている先が袋小路だったことに疑問を抱いた瞬間、俺は彼女に突き飛ばされた。すかさず、転んだ俺の上に彼女が覆い被さってくる。


「いってぇ……なんの、つもりですか――って、なぜ脱ぐ!?」


 お姉さんが唐突にワンピースをぐいっとまくり上げる。ワンピース以上にぼろっちい彼女のブラとショーツが露わになった。まるで意味が分からない。


「まだ分からないのか? 表通りまで案内するお礼をしてもらおうと思ってね」

「お礼……え、いや、冗談だよな?」


 まさかの痴女? え、嘘だろ? 見た目だけならわりと綺麗なお姉さんだぞ。それがなんで、こんな……まさか、ショタコン的な……?

 いや、いまはそれより、この状況をなんとかしないと。


「えっと……悪いけど、遠慮させてくれませんか?」

「はぁん? ここまで来てそんな言い分が通ると思ってるのかい?」

「いや、通るとか通らないとかじゃなくて、俺が遠慮したいんだが」

「ええい、ごちゃごちゃうるさいね。諦めろって言ってるんだよ!」


 問答無用でシャツのボタンを引きちぎられる。

 なにがなんだか分からないが、どうやら貞操の危機らしいとようやく思考が追いついた。


 落ち着け、考えるのはあとだ。

 いまはとにかく、この状況をなんとかしないと。


 腕力ではさすがに勝っていると思うが、いかんせんマウントを取られている。この状況で腕力に頼るのは不確実だ。魔術を使った方が無難だろう。


 高等学校にはまだ通っていないが、中等部でもそれなりに訓練を受けている。魔術を一般人に使うことは禁止されているけど、いまはそんなことを言っている場合じゃない。

 俺は意識を集中して、彼女を吹き飛ばすための風の魔術を構築、即座に解放した。

 だけど――


「ふふっ、良い子だね。そのまま大人しくしてたら痛くはしないさ。すぐに終わるから、あんたは目でも瞑ってな」


 お姉さん改め痴女のお姉さんは変わらず、破けたシャツの中に手を潜り込ませてくる。

 って言うか、風の魔術が――発動してない?

 この状況で集中力が途切れたか?


 落ち着け、大丈夫だ。

 俺は非常時に魔術を発動させる訓練も受けている。さすがに女性に貞操を奪われそうになるような状況は想定してないけど――


 マインドリセットを試み、フラットな状態で再び魔術を構成。今度はしっかりと集中して魔術の構成が完璧であることを確認するが――やはり望んだ現象を引き起こせない。

 他に要因が……そういえば、『光と闇のカンタービレ』の世界には魔術がなかったな。それが原因で、魔術が発動しない、ということか?


 いや、だけど構成を組めると言うことは――って、検証はあとだ!

 とにかく、いまは貞操の危機から逃げることが先決だ。

 この女は、俺が怯えて抵抗出来ないと思い込んでいるのか、俺の身体に悪戯することに集中し始めている。この隙を逃す手はない。

 彼女が俺のズボンを脱がそうと腰を浮かした瞬間、俺は彼女を力一杯突き飛ばした。もとより体重の軽い彼女はそのまま後ろに転がる。

 その瞬間、俺は彼女の下から抜け出して飛び起きる。


「あっ、あんた、待ちなさい!」

「誰が待つかっ!」


 声を上げて全力でその場から走り去る。

 狭いスラムの裏路地を右へ左へと全力で走る。だが、相手は地の利があるようで、俺の行く手を度々阻むように回り込んでくる。

 時に引き返し、全力で走り続けた俺は息も絶え絶えにようやく彼女の追尾を振り切って表通りへと旅出したのだが――そこへ馬の嘶く声。

 気付けば、俺は馬車の進路上へと飛び出していた。


「――っ」


 避けなくてはと思うが、既に限界を迎えていた俺は足をもつれさせてしまう。地面に盛大にダイブした俺に馬車が迫ってくる。

 轢かれると思った寸前、馬車は動きを止めた。


「何事ですか?」

「すみません、お嬢様。路地から人が飛び出して来まして」

「……人? あれは――クラリッサ」


 限界まで走った俺は既に限界を迎えていたのだろう。転んだ俺は立ち上がれず、それどころか意識が遠くなっていく。

 辛うじて声の方へと視線を向けた俺は、馬車の御者とメイド、それにドレス姿の物凄い美少女を視界に収め――そのまま意識を手放した。

 

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