海毛
ホーンドディアの討伐後も、もう一度くらいは実戦をしておきたかった。
そのために冒険者ギルドへ通ったのだが、なかなか依頼を受注できなかった。その理由は、ほど良い距離の依頼がなく、移動手段がなかったからだ。
主要街道でもなければ、周辺の小さな村を回る乗り合い馬車は、週に一本走ればいい方だ。都合よく依頼と便が合わなければ乗れないし、行っても帰って来れない。
しかし、心境の変化は、仕方なく受けたEランク依頼で訪れる。それは、歩いて行ける距離の小さな村での事だ。
『グラスヴァイパー討伐』という、なんの苦労も無かった依頼を無事に終えて、依頼票を依頼主に差し出した。
「助かりました。ありがとうございます」
完了のサインをもらってその日は村に泊まり、翌日村を出た。
(もう一度、馬を買おう)
依頼を終えてメイザンヌまで戻る道を、歩きながら考えていた。
そう決意したのは理由がある。冒険者として依頼をこなすのに、移動手段がないのは不便、確かにそれもある。
だが、最大の理由は、今回の依頼で訪れた村に『義足の司祭剣士』の噂が回っていなかったからだ。
これまでは目的地に向かうために、ひたすら馬車で主要な街道で進んできた。馬があれば、乗り合い馬車のない街道も選択肢に入ってくる。
メインの街道を外れれば、噂の回りもそれほどではないかもしれない、それならリバースエイジを使う機会も作れそう、そう思ったんだ。
それに、しばらく距離と時間を空ければ、もしリバースエイジを使って足が戻ったとしても「貯めたお金で治した」と言い張れなくもない。
足取りを追跡されれば通じない言い訳だが、別に賞金稼ぎに追われる賞金首ではない。そんな事をする奴はいないだろう。
街へ戻った翌日から、馬の情報を集めることにした。
冒険者ギルドや、乗り合い馬車の御者などで情報を聞いて回り、街の外れにある馬や馬車を扱う業者を訪れた。
「馬を買いたい」
「へい、どんな馬をお求めで?」
馬と言っても色々種類がある。力仕事に向く大きな馬から、足の速い馬、軍馬から農作業向けまで色々だ。
「旅の移動に使いたい。魔物に襲われても逃げない馬がいいな」
「それなら少し歳はいってますが、前は領軍で使われていた馬がおりますよ。しっかり調教されていて、旅の供に不足はないかと」
厩舎へと案内されて見たその馬は、茶色の毛に、たてがみと尻尾、それに足元は深い青色だった。こっちの世界ではたまに見る組み合わせだ。
「へぇ、海毛か」
「ええ、いい色でしょう? オス馬ですよ」
目を見て撫でてやると、しっかりとこちらを見つめ返してきた。さすが元軍馬、落ち着いているな。馬具を付けて馬場を一回りしてみると、落ち着いてこちらの指示に従ってくれる。いい馬だな。
「この馬はいくらだ?」
「金貨4枚、と言いたいところですが、少し歳がいってますからな。金貨3枚と銀貨50枚でどうでしょう」
少し高いかもしれないが、街で買うなら無理もないか。それに、調教がしっかりしているのはありがたい。
「鞍も付けてくれるなら、その値段で買うよ」
「中古の鞍でもよろしいですか?」
「かまわないさ」
どっちにしても、あぶみを義足に合わせなきゃならない。
「名前もうあるのか?」
「ウチでは呼んでませんが、元いた領軍では『ムルゼ』と呼ばれていたようです」
「へぇ、そうなのか? ムルゼ」
試しに呼んでみると、「ブルル」と反応した。自分のことだと認識しているようだ。なら、そのままでいいだろう。
引き渡しは鞍が完成してからになり、革職人を紹介してもらってあぶみの改造を依頼した。
あぶみの完成を待つ数日は、ギルドの訓練場と旅の準備に費やし、鞍が出来上がるとムルゼを引き渡してもらって、メイザンヌの街を出発した。
「ブルッ」
久しぶりの馬上からの高い目線は気持ちいい。目前には、ラバハスク神聖帝国との国境になっているフメルト川の流れが見える。
距離的にはメイザンヌの街を出てすぐ近くだ。国境の橋は川幅の広い所に長い橋がかけられていた。
国境の警備所で出国の手続きを済ませ、手綱を引いて国境の橋を渡る。橋の上から水面をのぞき込むと、水深はそれほど無いようで、水底がはっきりと見える。
何か少し大きな影が水中を走ったように見えたのは、大きな魚なのか、それとも何かの魔物なのか。
ふ、と鼻息を感じて横を見ると、ムルゼも水をのぞき込んでいた。
「何だ、お前も気になるのか……って、そんな訳ないか。水よ、ウォーター」
両手の平に水を出して鼻先に近づけると、コクコクと飲み干した。仲良くやれそうな気がする。
対岸の警備所で入国の手続きを済ますと、いよいよラバハスクへ入国だ。
国境の橋を越えてしばらく進むと、なんと水田が広がる景色が目に入ってきた。
「おおっ!」
懐かしい景色に思わず声が上がる。そういえば、南の方で米のような物を作っていると聞いたことがあった。移動だけでも、何か月もかけてずいぶんと南に移動してきたから、そんな地域にまで来たということか。思えば遠くまで来たものだ。
不思議なもので、水田があるだけでなぜか東洋的な雰囲気を感じてしまう。その中を、剣を装備して馬に乗っていると、なんとも言えない不思議な気分だ。見開けた景色は魔物の出現もなく、のんびりした移動となった。
その日の宿は、街道沿いの農村にある宿屋で泊まった。
久しぶりなので思い出すように馬の世話をして、宿の夕食を食べる。予想はしていたが、やはり米が出てきた。こちらでは『クルン』というらしいが。
どうやら、細長いタイプの米……クルンで、スープと一緒に食べるようだ。味はまぁまぁだったが、10年ぶりとなる食感に故郷を思い出さずにはいられない。豊かで便利な生活、両親に友人、仕事をして過ごした平和な日常。
それは否応なしに、こちらに来てからの10年と比べてしまう。地球にいた頃に比べ、娯楽もなく不便で危険な生活。だが、自らを鍛え、危険の中で自分と他者の命と向き合い続けた日々は、あまりにも濃密で生きる実感に溢れるものだった。
(10年前に拾った命だ、精一杯生きてみよう)
そう、気合を入れ直し、宿の部屋へと戻っていった。
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