巨鹿(前)


「アジフさんがこの依頼を受けるのですか?」


 受付嬢は不思議そうな表情を見せた。普通、CランクでEランク依頼を受ける冒険者は少ない。無理もない話だ。しかも、ここ最近ギルドの訓練場でひたすら剣を振っていたのは、冒険者ギルドで話題になっていた。

 それだけ訓練して、受けるのがEランク依頼では不思議にも思うだろう。


「新しい剣の試し切りがしたいんだ。頼むよ」


「そういう事でしたら」


 受付嬢は、しぶしぶながら受注処理をしてくれた。ギルドとしては、Cランク冒険者にはCランクの依頼を片付けてほしいのだろう。Eランク冒険者にとっても、Cランクに依頼を持っていかれたくはないはずだ。


 マーダーブルは、単体ではEランクだが、群れをなすと手強い牛型の魔物だ。皮膚は分厚く、打撃系のダメージは通りにくい。生半可な剣では骨まで達するのも難しいだろう。性格は非常に狂暴で、人を見かければ襲ってくる。

 今回の依頼は、村の近郊に単体で出現するはぐれ個体の討伐なので、Eランク依頼となっていた。



 マーダーブルの頭部に付いた張り出した2本の角は、尖った先端が前方を向き、殺意しか感じられなかった。


「はぁっ!」


 突進してくるその角を横にかわしながら、深々と前脚を切り裂く。突進の勢いそのままに、マーダーブルは地面に突っ込んだ。立ち上がろうともがくが、足の傷が深すぎる。


 それでもなおも衰えぬ殺意は、マーダーの名に相応しい。回り込んで後ろ脚も切り裂いて動きを止めてから、心臓を狙って前脚の付け根から剣を差し込んだ。

 剣を抜くと血が噴き出し、目が光を失って頭が地面に落ちる。


 マインブレイカーでの初戦闘は、ギリギリ及第点といえる。初めて実戦で使う緊張と、マーダーブルの厚い皮に対する警戒感で、必要以上に魔力を流してしまった。

 課題の残る内容だったが、ほどほどの相手でよかった。



 血抜きをしつつ火を焚いて、煙を出して合図を送る。牛一頭を持ち歩くことなどできないので、村の食料にするために、荷車で引き取りに来てもらうためだ。


「さすがはCランク冒険者ですな。お見事です。今夜は村中に肉を振る舞うので、どうぞご一緒してくだされ」


 解体は狩人がしてくれるそうなので、おまかせして村長へ報告に向かうと、宴会に誘われた。ただ飯を断るわけにはいかないな。



「いやぁ、水場に居座られて困ってたんですわ」


その夜の宴会で村長に酒を注いでもらいながら、肉をむさぼる。もぐもぐ


「ほほははひへほはひはほほほふほふははひほへふは」


「何いっとるのかわかりません。さ、飲んでくだされ」


 ごくり、と酒で流し込む。


「この辺りで、他に魔物の情報はないのですか」


「おお、ありますぞ。最近、山の炭焼き窯の近辺に、ホーンドディアが住み着いてましてな。狩人や木こりの連中が困ってますわい」


 ホーンドディア、鹿の魔物だったな。鹿といっても、おとなしい生物を思い浮かべてはいけない。ゴブリン集落程度なら、1匹で殲滅してしまうであろう凶獣だ。討伐ランクはD。


「討伐依頼はかけてるのですか?」


「村の財政も厳しくて、なかなかDランク依頼は出せませぬ。幸い、ふもとの炭焼き小屋は使えておるので、後回しにしておるわけですな」


 依頼相場は……金貨10枚くらいかな。


「金貨9枚なら請負いますよ」


 どうせ冒険者ギルドを通しても、依頼達成件数に入るわけではない。ついでがあるなら、現地で交渉したほうが移動の手間もなくて効率がいいだろう。


「むぅ、村からも人手を出しましょう。素材も持っていってもらってかまわんので、金貨7枚でなんとかなりませんかの」


「肉なんて持って帰れないので、どうせ村に渡すしかありません。素材は村で持っていって構いませんので、人手だけ出してもらって金貨8枚」


 肉は食料になるし、皮や角は結構な値段で売れたはずだ。村にとってもおいしい話なはず。


「ふむ、落としどころですかな。金貨8枚で頼みますわい」


 商談成立だ。握手を交わした。


「明日、狩人や木こりの連中と引き合わせましょう。さ、今日はもう一杯」


 遠慮なく飲ませてもらって、その日は村長宅へ泊めてもらった。



 翌日に案内されて、村長と共に狩人を訪ねると、そこには5人の男たちが待っていた。3人の狩人と、木こりが2人だそうだ。いずれも、この近辺の山を知り尽くしたメンバーだそうで、心強い。


 3人は解体と運搬要員だそうで、2人の狩人が炭焼き窯まで案内してくれるのだとか。荷車を引く3人とも、途中までは一緒に行ってそこから別れる予定だ。


 村を出て森の小道に入って山の方角を目指した。道幅に荷車の大きさが丁度あってるのは、普段から使っているのだろう。


 道に少し傾斜が付き始め、山が始まる。もう少し行った先で3人と別れるはずなのだが、先頭を歩く狩人が突然足を止めた。不自然なその視線を追うと、少し小高い位置からこちらを見下ろす存在が目に入った。



 遠目にもわかる、姿形は鹿だが、大きさが周囲と釣り合っていない。そして頭部についた2本の巨大な角、ホーンドディアだ。その赤い目は、はっきりとこちらを見ていた。


 先に見つかってしまった。さらに、その背後に付きそうようにもう一頭。一回り小さな体と、1本だけの尖った角の個体はメスだ。


 狩人が刺激しない様にゆっくりと後ずさる。それに合わせて、皆も退がる。

つがいだったのか。これはマズイ。2匹を相手にするだけでも辛いが、番いのオスは狂暴だ。メスのために頑張るオスは手強い。これはもうパーティ依頼のレベルだ。

 なんちゃってCランクには荷が重い。


 <ガタン>

 後ろ向きに引く荷車が音を立てた。それを合図にしたかのように、ホーンドディアが坂を駆け下りる。


「逃げろー!」


 狩人が声をかけて、荷車を放り出して走り出した。皆が走る中、一人残って剣を抜く。


 皆が逃げられるように、少しでも足止めしてやろう――などと考えているわけではない。

 かなり走れるようになったとはいえ、義足でホーンドディアから逃げ切れるワケがない。少しでも体勢が良い状態で、迎え撃ったほうがマシってだけだ。



 結構な距離があったにもかかわらず、あっという間に迫る2本の角を横っ飛びにかわした。地面に転がるが、さらに足音が迫る。這いずった状態から更に転がってなんとかかわすと、一本角の個体、メスが通過していった。


 素早く身体を起こすと、すでに目の前にオスの角が迫っていて、再び横っ飛ぶ。攻撃の間隔が短すぎだ。転がって膝立ちで剣を構えるが、そこからの追撃はなかった。ただし、前後を等間隔で挟まれてしまっている。


 様子を見るように、距離を置いてこちらを見る2匹のホーンドディア。近くで見るとデカイ。3mは楽にあるだろう。その高さだけでも見上げるほどの体躯が、前後を挟んで2頭いる。


 何とか初撃はかわしたが、ピンチには変わりがない。その時


<バシッ>

「ヒュィッ」


 メスに矢が当たり、刺さりはせず皮に弾かれた。メスが甲高い声を上げ、オスの視線が逸れた隙に立ち上がり、2歩、3歩と距離を詰めた。

 誰かが戻って、森の中から矢を射てくれたようだ。無茶な真似だが、助かった。


 距離を詰められたオスは、再びこちらを向いたが、メスを気にしているのがわかる。剣をかざして視線を引き付けながら、一歩ずつ距離を詰める。

 メスが矢の飛んできた森を嫌って、回り込んでくるのが視界の端に入った。


「せぇぃッ!」


 マインブレイカーに魔力を流し、ギリギリの距離から踏み込んで剣を振るったが、やすやすと角に弾かれてしまう。だが、初撃は届いた。


 続けて放った2撃目も首を振られ、弾かれる。メスに背後に回られないように立ち位置を少しずつ変えなければならないので、踏み込みが浅くなる。

 だが、軽い打ち込みでは弾かれるだけだ。これ以上、メスに接近される前に一撃でも入れたい。


「せらぁッ」


 マインブレイカーに流す魔力を増やし、低く横薙ぎを放つ。狙ったのは、角では弾き難い前脚だ。


 だが、ホーンドディアは、後ろ脚で<ひょいっ>と立ち上がり、前脚を浮かせて横薙ぎをかわしてみせた。

 そして、空振りして無防備な身体を目掛け、前脚を踏み降ろす。


「ぐはっ」


 とっさに挟んだ腕などものともせず、岩をも思わせる蹄が直撃した。

後ろへ倒れながら、その圧力に弾き飛ばされ、地面をなめた。


「がっ」


 息ができず倒れたまま這いつくばる。くらくらするが追撃が来る、起きなければ、そう思ったのだが追撃は来なかった。


 疑問に思いつつ顔を上げると、ヤツは後ろにメスを従え、立ち止まっていた。



 そして、その赤い目でこちらを見下ろしていたんだ。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る