第40話 過去

※高校の時歴史を勉強しておけば良かったなぁ……。

※地の文では「奏凱さま」よりも「主上」と表記した方が読みやすいことに気付きました。これに関してはどちらにしたらいいのかわからなくて悩んでます。


 明後日から授業が再開されるというその日、道具の準備と復習をしながら僕は雲嵐とおしゃべりをしていた。

 以前雲嵐からやりたいことができたと聞いていたし、何か新しいことを始めている風なのは気付いていた。だから、授業ももしかしたら僕と違うのではないかと思って聞いてみると、雲嵐のほうでもまだどうなるかは聞かされていないのだと言われた。侠舜から追って指示があるらしいということだけは分かった。

 僕は自分も何か変わらなくてはいけないと思ったけれど、何をすればいいのかは皆目見当もつかなかった。自分が何を知っていて何を知らないのか、何をすべきで何をすべきではないのかが分からないのだから、当然だと思い至った。誰かに聞いたら解決する問題なのだろうか?聞いたら教えてもらえるのだろうか?

 そんな風に悩んでいると、いつもと違い侠舜と泰然を連れた主上がいつものように突然やってきた。入ってきたとき笑顔で声をかけてきたけれど、なんだか表情が硬いように見えた。

 すぐに雲嵐が立ち上がって席の用意をし、主上が椅子に腰かけたのを確認してからお茶の準備を始める。侠舜がそれを手伝う。

「突然済まない。まだ授業は再開されていないと聞いて、今なら時間があるだろうと思ってやってきたのだが、邪魔をしなかっただろうか。」

「いえ、大丈夫です。授業再開に向けて準備をしていただけですので。主上のお越しはいつでも歓迎です。」

 それを聞いて主上が表情を緩める。どうしたのだろう? 普段はそんなこと一切気にしないのに。それに、たいていこの時間は仕事で忙しくされているはずで、僕が来て最初の頃以外はずっと来ることはなかった。

 雲嵐たちがお茶の用意を済ませ、僕と主上の前に置くと、泰然と侠舜が主上の後へ、雲嵐が僕の後に立った。

 いつもと違う雰囲気に呑まれて、僕はお茶に手を出さないまま主上が話し出すのを待った。

「以前、お前は自分が色々な事から遠ざけられていると言ったが、伝えることができない理由があった。話すことで、知らせることでお前に大きな重荷を背負わせることになるのが分かっていたからだ。」

 いつになく主上が重々しく語りだした。僕は自然背筋が伸びるのを感じた。

「けれど、もうそろそろ話してもいい時期だろうと思う。だから今一度確認したい。といっても、話す内容も知らない者に覚悟を問うこと自体が間違っているのかもしれないが。」

 そう言って主上が僕らを見つめた。

 僕が心の準備はできていると伝えると、小さく頷いて主上が続けた。

「勘違いしないで欲しいのだが、私はお前に何か行動を起こすことを期待しているわけではない。お前が現状を正しく認識する手助けになればよいと思っているにすぎない。お前はお前のままでいい。それだけは忘れないで欲しい。」

「はい。」

 主上が茶碗を持ち上げ唇を湿らせる。

「何から話すべきなのだろうか……。」

 主上が難しい顔をして言葉を区切る。

 ずっと僕には伏せられていたことが分かるのだと思うと、不思議と期待よりも言い知れない不安のほうが大きかった。

「中途半端なところから話を始めることは理解を妨げるだけだと思う。ならば、私が知っておくべきだと考える、ことの背景から始めよう。これから話すことには、事実のほかに私たちの憶測も含まれるが、大筋は正しいだろう。そして、分かっているだろうが、他言無用だ。死ぬまでその胸にしまっておいて欲しい。」

「はい。」

 僕は緊張で喉を鳴らした。

「私の父についてだ。先帝は子供のできにくい体質だった。なぜかは知らない。医者にも治せなかったようだ。歴史の呪いだと言う者もいるが、果たしてそんなものがあるのか私は知らない。ただ、事実として、父は子を成し難い体質だった。しかし、本人は一切それを認めようとはせず、女たちの方に非があるのだと言ってはばからなかったそうだ。それは父の虚勢であり弱点だった。もし、自分のほうに問題があることを少しでも認めていたら、こんなことにはならなかったかもしれない。自分の不能を認め、跡継ぎを作ることに拘らなかったら……。まぁ考えてもしかたのないことか。」

 窓から白い午後の日差しが差し込んでいる。細かな埃が日差しの中で、光の粒のように舞っていた。けれど、窓から遠い部屋の四隅は仄暗い陰に沈んでいた。

「先帝は世継ぎのために妃を次から次へと娶った。なかなか子ができないことに業を煮やし、できないのならできるまで女を増やせばいいと、そう短絡的に考えたのだろう。後宮は肥大していった。それ故国の財政はひっ迫していった。それを補うために民の税は重くなった。父の賢いところは極端な重税にはしなかったことだ。民が死ねば、或いは民が反旗を翻せば自分に跳ね返ってくるということを理解していたようだ。そのため、税率は常識の範囲内で最も重い程度にとどめ置かれた。けれど、その中途半端さのために、残念ながら財政は回復しなかった。後宮を縮小するよう、幾人かの諸侯から諫言があったようだが、父はそれを黙殺、或いは謀反と考え弾圧したりしたようだ。暗に子ができないことを揶揄されたと受け取ったのかもしれないし、実際にそういう意味を込めて皮肉を言われたのかもしれない。その弾圧のために幾度か諸侯の反乱があった。そのたびに首が新しくすげ替えられた。そして新しく諸侯として封じられた者が民を虐げ、民の反乱も幾度かあったようだ。」

 主上が辛そうに僕を見る。

「たしか十年近く前にも一度あった。」

 僕は何も言わない。

「話を戻そう。集められた女たちの数は増えていったが、子はなかなかできなかった。最終的に百人近くも妃がいてたったの四人しか子供は生まれなかったのだから、父の方に瑕疵があったのは明白だった。父が子供をたくさん欲しがったのには理由があった。父には多数の兄弟がいたが、その多くは若くして病で死に、残ったのは父をいれた四人の皇子と一人の公主だけだったそうだ。その理由が黒死病だ。当時あの恐ろしい流行り病が蔓延し、民だけでなく皇族や官の多くも死に、国の人口は分かっているだけで二割近く減った。父が兄弟姉妹が次々と死んでいくのを目の当たりにした過去から、自分の子供が死に絶えるのを恐れるのは当然のことだろうと思う。そして、皇太子時代から時間をかけてやっと皇子が二人生まれた。そして皇子二人だけの期間がそれから長く続いた。」


「そんな中、ある女が遅く後宮入りを果たした。身分が低かった上に大人しい性格だったその女は、百人近くも女のいる後宮の中で埋没し、父の相手をすることはそれほど多くなかったという。美しい人だったが、その美しさは控えめなものだった。父は華やかな美人を好んだ。父には丁度赤い大輪の牡丹に対する白い小さな百合のように見えただろう。そうして女の後宮入りから二年近くが経ったそうだ。」


「にわかには信じ難いが、父は年の離れた自分の弟をとてもかわいがっていたそうだ。利発で素直な性格だったことと、父自身が祖父似であったのに対して、弟は美しかったらしい祖母に似た容貌をしていたせいもあっただろう。その弟、つまり私の叔父は成人してからは後宮ではなく外殿に起居していた。そして、父の許しを得て、当時叔父は自由に後宮へ出入りができたようだ。」

 気持ちを整えるように主上が言葉を切った。

「それがすべての始まりだった。」

 僕はわずかに鼓動が早まるのを感じた。

「いつの間にか母と叔父は不義の関係になった。馴れ初めがどうだったのか、一夜限りの関係だったのか継続した関係だったのか誰も知らない。偶然か運命か、女に子供が生まれた。もしそれが娘であれば、大きな問題とはならなかっただろう。けれど、実際に生まれたのは男児だった。」

 主上が重い息を吐き出した。

「皇帝の渡りの際には細かく記録がつけられる。ただ通っただけなのか、閨事があったのか。それは、本当に皇帝の子なのかどうかを確かめるために、長い歴史の中で習慣化していった。馬鹿げたことではあるがそれは実際に機能していた。そして、運の悪いことに、二人の子どもは、その記録と合致してしまった。先帝は喜んだ。すぐに下級の位にあった女を昇格させた。破格の待遇であった。そして同時に、母の一族が官として重用されるようになり、十年をかけて権勢を誇るようになっていったという。もちろんもとがもとなので限度はあったようだが。」

 気付くと窓から差し込む光が移動して、僕たちの足元近くに薄い影が落ちていた。

「月日は何事もなく過ぎていくように見えた。二人が秘密を抱えてどう思いながら過ごしたのかに関わらず。先帝が日々の中で何に気付き何を考えていたのか誰も知らないまま。嵐の前の静けさのような十年が過ぎた。恐らく前々から先帝は感づいていたのだろう。その男児は年を重ねるごとに自分よりも、自分の年の離れた弟に似ていった。最初はごまかせたのかもしれない。先帝も勘違いだと自分に言い聞かせることもあったかもしれない。けれど運命の日がやってきた。そして、ついに真実を知って先帝は大いに怒り、二人を罰した。二人に毒杯を飲み干すよう命令した。二人はそれを飲み干した。そして子が一人残された。愛した弟に対する最後の情けだったのか、それとも自分の本当の子かもしれないという希望を捨てきれなかったのか、その子供は殺されることはなかった。代わりに都から遠く離れた宮へと幽閉されることとなった。」

 もう僕は理解していた。

「それが私だ。」

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