第6話 男の沽券と今後について

「だからか。男の矜持にかかわるから触れないでいようと思っていたのだが、その、なんだ。小さすぎると思ったのだ。」

 またそれか……。もう立ち直れないかもしれない。

「ということはもしや、精通もまだなのか?」

 恐る恐ると言った風に聞いてくる。

「すみません。何でしょうか、それは。」

 給仕たちの手の中で食器が音を立てた。

 どうやら相当変なことを言ってしまったらしい。顔を手で覆って俯いてしまった。

「いや、分かった。もう何も言うな。私が悪かった。」

「しゅ、主上!」

 侠舜が慌てる。部屋にいる他の人もみな動揺している。

「酔っていたとは言え、確かめなかった私に非がある。あぁ、何と言うことだ。未熟な子供に手を出す不届き者が世にいるのは知っていたが、よもや己がそれになってしまうなどと。一生の不覚。」

 なんだかわからないがものすごく落ち込んでいるのはわかった。昨日の威厳はどこへやら、今は身にまとう威圧感もなくて、なんというか普通だ。貴い立場のお人がこんな姿をさらすのはなかなかないことなのではないかと思うと、無償に申し訳なく感じる。なにせ自分は全く覚えていないのだから。

「あ、ぼ、私は見た目だけなら十七とか十八に見えるってよく言われてて、それで、仕事が欲しくて嘘をついて給仕として働いていたんです。なので、勘違いされても仕方ないかな、と……。それに、僕、いえ私は幼馴染の中では一番背が高いんですけど、あの、それ以外は一番成長が遅くて……。よく馬鹿にされるほどなので、主上は悪くない、と、思います。」

 尻すぼみに声が小さくなって最後はかすれた音になってしまった。なんとなく気まずさからごまかす様に止まっていた食事を再開する。もう味なんてわからない。早く食べて帰ろう。

 その後は、主上が何か考え込んでいる風で、時折周囲の人たちに小声で指示をだしているので、邪魔をしてはいけないと思い黙々と食べた。普段ならもっと食べられるのに、今は胃が重くて無理だった。

 最後の点心を辞退して、食後にものすごく香りの良いお茶を飲んで食器が全て下げられた。主上が手巾で口を拭うのをぼんやりみて、やっと解放されると思った。一息ついたところで声をかける。

「あの、それじゃあ私はこれで帰ります。ごちそうさまでした。」

 といって、立ち上がる。もう今すぐにここから逃げ出したかった。十分つきあったのだ。そろそろ僕の自由にさせてほしい。

 もう僕に何の用もないはずだと思って主上に声をかけると、許しを待った。しかし、聞こえてきた言葉は想像していないものだった。

「何を言う。お前は今日からここで暮らすのだ。すぐには部屋を用意できないので客間を用意させるが、すぐに宮殿内のどこぞの部屋を見繕うことになる。何、不自由はさせない。お前の育ての親にもじき私の名で知らせが行くだろう。」

 何を言われているのかわからなかった。帰れないとはどういうことだろう。なぜ伯母夫婦が話題にでるのか。知らせとは何のことだろう。疑問と不満が顔にでていたのか、侠舜から表情にですぎだと注意を受ける。

 そんなの知ったことではない。仕事もあるのに、帰れないとはどういうことなのだろう。伯母夫婦はきっと心配してくれているはずだ。そう思っているとさらに言葉が重ねられる。

「お前は私の手付きになったのだ。帰れるわけがないだろう。後宮の妃といえど同じだ。一度私と寝所を共にしたら許可があるまで後宮からは出られない。朝まで寝所をともにするとはそういうことだ。男と言えどお前も同じだ。」

 そう言って主上は厳しい目を僕に向ける。射すくめられて僕は委縮する。

 それでもよくわかっていない風の僕に、侠舜が横から足りない言葉を継いでくれる。

「宮殿のことに疎いあなたにはわかりにくいでしょうが、一夜限りの関係ならば主上は事が終わればすぐに部屋を去るか、相手の方に退室することをお求めになるものです。朝まで過ごすというのはひとかたならぬ、それ相応の扱いをする用意があることを意味するのです。」

 ますますわからなくなる。朝まで寝ていたのはたまたまではないのか。帰ろうと思ったけどつい眠くて寝てしまったとか。

「あなたの立場は今危ういところにあるのです。一度主上のお手付きになるだけでなく、朝を過ごすということは、恐れ多くもその寵愛を受けているということです。その事実はあなたが平民であるということを差し引いても思いことなのです。そして、今こうしてあなたは使用人にその姿を、主上との忌憚ない会話を見られています。すぐに宮殿内に噂は広がるでしょう。人の口に戸は立てられませんから。もう事態は動いてしまいました。皇帝と縁続きになりたいと思うものは数多くいます。昨日までの祝宴での様子を見ていたなら想像に難くはないでしょう。そういった者たちにとって、あなたを篭絡して後見人になろうと考えるものもいましょう。そうなると下手をしたら誘拐拷問ということもありえます。甘い言葉であなたに近づいて利用しようとする可能性もあるでしょう。なんの地位もない平民のあなたでは拒絶することもできないはずです。それを避けるには、あなたを主上の目の届く範囲に囲っておくことしかできないのです。おわかりですか?」

 誘拐とか拷問とか恐ろしい単語がでてきて急に不安になる。ただお酒を飲むのではなかったのか。どうしてこうなった。僕は何も覚えていないのに。

 でも、と言い募ろうとする僕を遮って主上が決定事項であると言われてしまった。

 それから、茫然として言葉を発さない僕を横目に、主上が合図をして、僕は侠舜に言われるがまま部屋を辞去した。その間ずっと二人に言われたことが頭の中で繰り返されていた。

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