第4話 罠

 部屋に通されると主上がにやりと笑った気がした。手で俠舜に下がるように合図すると彼は恭しく一礼して去った。その後ろ姿に助けを求めたが非情にも扉は閉ざされた。

 振り返って主上を見る。腰掛けているのに不思議と大きく見えた。

 室内は広く、豪華な家具が設えられている。部屋の中央に飴色の重厚な円卓があり、二脚だけある椅子の一つに主上が腰掛けている。玻璃の複雑に削られ美しく光を反射させる杯はすでに琥珀色の液体で満たされていた。

 それを傾けながらこちらを見つめる。全身を探るように見られている気がして落ち着かない気持ちになった。しばらくそうしていたかと思うと、主上はやおら立ち上がって隣の部屋を示すと歩き出した。

 僕は何も言わずに後に続く。

 となりの部屋も恐ろしく広かった。部屋の中央に巨大な寝台が鎮座しており、その傍に小ぶりの卓が置かれている。寝台だけでこんなに広い部屋を使うなんて贅沢にすぎる。

 卓の上には酒瓶と杯が二つ。どれだけ飲むのか。二つあるということは自分も飲まねばならないようだ。酒は苦いから嫌いだった。甘い果実水があったらいいのに。

 主上が寝台にどさりと腰掛けるのを部屋の入り口に立ちすくんだまま見ていた。

「何をしている、こっちへ来て酌をしろ。」

 言われるままに寝台へ近づくと、隣に腰掛けるように言われてゆっくり腰掛ける。信じられないほど柔らかくて、一瞬飛び跳ねたら楽しいだろうなと思った。

 すぐに腰に腕が回され、お互いの体が密着するほどに抱き寄せられる。なんでこんなに近いのか分からない。回された手が妙な動きをしてくすぐったい。身を捩って逃れようとすると余計に力を込められ、離れてはいけないのだと思った。理解はできなかったけれど。

 となりの男は機嫌が良さそうで、顔にずっと微笑を浮かべている。顔が近い。酒の匂いがする。飲み過ぎなんじゃ。

 瓶に手を伸ばし引き寄せる。格好良すぎて目のやり場に困るのでじっと手を見ながら杯に酒を注ぐ。うすく色づいた透明な酒だった。横から手が伸びてきてそれを持ち上げると一口飲んだ。

 美味いと言いながらもう一口。

 自分の分も注ぐように言われ、もう一つの杯を手に取ると少しだけ注いだ。隣では酒の産地だとか香りだとかよくわからない話をしている。適当に相槌を打ちながら、杯を持ち上げた。酒の独特の香りに眉を顰めたくなるのを我慢して、口元まで持っていく。飲まないわけにもいかなくて、舌先で舐めるように飲むと、やはり不味い。

 それが顔に出てしまっていたのか、主上が僕の顔を見てくつくつと笑っている。僕は馬鹿にされたのだと思ってむっとしながら、もう一度口をつける。やっぱり美味しくなくて、でも不味いとは言えなくて、両手に握りしめた杯を途方に暮れて見つめていた。

 すると、突然手が伸びてきて無理やり顔を横向きにさせられた。目の前に信じられないくらい男らしい顔が迫ってびっくりしていると唇に温かいものが触れる。

 歯を食いしばる前にぬるりとしたものが入ってきて口をこじ開けられる。舌だと間髪を入れずにわかった。頭を両手で押さえつけられて顔を背けることもできないまま、口の中に温い液体が注ぎ込まれた。匂いですぐに酒だと気づいたがどうすることもできなくて飲み込む。

 飲んだのを確認すると僕の頭をかかえるように抱いてさらに深く唇を押し付けてくる。角度を変えて何度もかみつくような口づけに意識がぼんやりしてくる。柔らかな舌が口の中を蹂躙し、舌を吸われる。

 口を放した一瞬で荒い息をすると、生きた心地がした。

 鼻で呼吸をするのだと笑い含みに言われる。

 片手が背中を優しくなでるように動いて、優し気な瞳が僕の顔を覗き込んでいる。何も考えられなくてぼんやりしていると、再び酒を流し込まれる。抗うこともできなくて二度三度と繰り返し唇を奪われ、酒を飲まされた。

 胸に熱いような感覚が広がって、徐々に頭がまわらなくなっていく。舌を吸われるのが気持ち良くてつい自分から舌先を伸ばすと、余計に強く吸われた。

 気付くと夜着の合わせから手を入れられ肌をまさぐられていたが、それが何を意味するのかを考えることができなかった。

 荒い呼吸が室内に響く。

 僕はそっと寝台に引き倒された。背中の柔らかな感触が心地よくて、その柔らかさがなんだか不安でつい目の前の大きな体を抱きしめてしまった。

 その先のことはよく覚えていない。

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