第三話
手紙の送り主は日向葵。
妹の高校の生徒会の副会長らしかった。
1995年年8月31日生まれ。乙女座のA型。十八歳。
家族構成は、両親と妹がひとり。妹の名前は日向夏、中学三年生。
しかし、高校入学の際に、高校付近のアパートに単身引越していた。
現在は、両親と妹とは離れて一人暮しをしている。
現住所、N市桜井町松本231─1 サンハイツA202。
探偵を雇わなくてもそれくらいの個人情報はすぐに掴めた。
翌日の昼休み、学校内を歩く日向葵を学は尾行していた。
十六年前、学が高校に合格するものだと信じて疑わなかった両親は、受験結果が出る前に朝日ヶ丘高校の制服を彼のために購入していて、家の押入れにその制服はあった。制服を買うときに試着して以来一度も着たことがなかったが、まさか役に立つ日がくるとは思わなかった。
制服を着たところで、三一歳の自分が高校生に見えるわけはないと彼は思ったが、いざ高校に潜入してみると心配していたほど違和感はなかった。高校には彼より老け顔の男子高校生がたくさんいた。そういえば、毎年夏の甲子園で見かける高校球児たちは皆、自分が十六~八歳の頃に比べると随分大人びて見えることを思い出した。ドラマや映画なんかじゃ、二十代後半の俳優や女優が高校生の役をすることもある。それから、漫画家の森田まさのりの描く高校生なんてどう見ても高校生には見えない。
人目のない場所にさしかかったところで、学はマスカレイドアバターに変身した。
廊下にある鏡に映る学の姿に驚き、振り返った日向葵の胸倉を学はつかみ、顔をちかづけた。
「だ、だれ??」
学の仮面のとがった部分が日向葵の顔に刺さり、
「痛い、地味に痛い!」
日向葵が悲鳴を上げた。
尚も学は顔を近づけ、仮面の突起が刺さった日向葵の頬から血がにじんだ。
「加藤麻衣に手を出すな」
学は言った。
「え? 何? 加藤さん? 君は……?」
戸惑う日向葵に学は言う。
「もう一度だけ言う。加藤麻衣に手を出すな。わかったな?」
ああ、わかった、と日向葵は言った。
「わかったから離して……」
学と日向葵は、距離を空けて校庭のベンチに座っていた。朝日ヶ丘高校はロの字型の校舎で、中心が大きな吹き抜けの校庭になっていた。
「もしかして……、加藤さんのお兄さん、ですか?」
長い沈黙のあと、日向葵が口を開いた。学はまだマスカレイドアバターの姿のままだった。
学は黙ってうなづいた。
「やっぱり……。じゃ、たぶん、ラブレターのこと、ですよね」
日向葵はそう言い、
「あれは俺が書いたものじゃないです。俺は生徒会の副会長をやってるんですけど、うちの学校の連中、生徒会を便利屋か何かと勘違いしてて、よく頼まれごとをされるんです。あのラブレターもそんな感じで頼まれたもので……読んでもらえればわかると思うんだけどなぁ」
学は自分が早とちりをしてしまったことに気づかされた。手紙の中身も読んでいなかった。
「あの……、どうしてそんな格好してるんですか?」
日向葵の問いに学は答えなかった。黙って立ち上がると、彼も後を追うように立ち上がった。
「あの、加藤さんに、手紙をちゃんと読んであげてほしい、って伝えてください。あの手紙書いた奴、加藤さんの返事待ってるみたいだから」
学はくしゃくしゃに握りつぶされた手紙を投げ捨て、その場を去った。
日向葵はその手紙を拾うと、大きくため息をついた。
「あーあ、捨てられちゃったや。……どうしたもんかな。どうなってもしらないよ、加藤学さん」
と、学は名前を教えてはいなかったはずだが、日向葵はすべて知っているという顔で、学の名を口にした。
彼は捨てられた手紙の封を切り、中身を取り出した。
そこには、学とまったく同じ姿のマスカレイドアバターが描かれており、まるで取り扱い説明書のようであった。
帰宅した学は部屋で中学校の卒業アルバムを見ていた。テニス部の部員たちの顔に×がつけられている。
何かを思い出したように、学はアルバムをめくり、ひとりの女の子の写真を見つけた。中学生の頃好きだった女の子だった。
学はパソコンに向かうと、SNSサイトを開き、中北や平井といった連中を見つけたときのように、同級生たちを探した。
「大塚さんもあきっちょも結婚して、こどもがいるのか……。もう三一だから当たり前なのかもしれないけど、結構ショックだな……」
ひきこもっていた十六年の歳月は、学にとっては長い宇宙の旅の間コールドスリープしていたかのように、彼にとっては時間がそんなに経過したという感覚がなかった。けれど、残酷にも時間はちゃんと流れ、同級生たちのほとんどは結婚してこどもを育てていた。十六歳で結婚して、十五歳のこどもがいる同級生もいた。そういった同級生たちは、同い年なのに随分大人な気がした。自分は十五歳のまままるで成長していない、そんな気がした。
目的の女の子はすぐに見つかった。伊藤香織という名前だった。
小学校は違っていたが、そろばん塾がいっしょで仲がよかった。中学一年のときに一ヶ月だけ付き合った。
「メール、送ってみるか……」
そう言って、学はキーボードを叩いた。
数日後、おしゃれなカフェテラスに居心地悪そうに学はいた。
中学時代の同級生、伊藤香織はすぐにやってきた。
「加藤くん? だよね? 待った?」
「あ、いや……」
学は彼女と目をあわせることもできず、うつむいたまま返事をした。驚いた。中学時代からかわいかった彼女だったが、ますます綺麗になっていたからだった。
注文を聞きにきたウェイトレスにミルクティーを注文した彼女は、
「何年ぶりかな? 十年ぶりくらい?」
と学に言った。
「いや、俺は成人式とか出てないから……」
そう答えるのが精一杯だった。
「じゃあ中学校卒業して以来だから十六年ぶりだね」
香織はそう言って笑った。
「もうそんなになるのか……」
改めて、過ぎ去ってしまった歳月に学は思いをはせた。十六年の間に、同級生たちは就職し、結婚し、こどもを育てていた。けれど学はそれだけの時間をただもてあましてきただけで何ひとつ成し遂げたものはなかった。
香織と付き合ったのは一ヶ月だけのことだったが、学の人生で女の子と付き合ったのは後にも先にもその一ヶ月だけのことだった。彼の人生でその一ヶ月だけが虹色のようなきらびやかな思い出としてあった。
香織との恋が一ヶ月で終わってしまった理由は学にあった。
あの日、音楽の授業の帰りに、学は彼女がいるのに他の女の子といっしょに教室に戻ってしまった。それを香織は学が浮気をしている、と思いこみ、それきり香織が学と口を聞いてくれることはなくなってしまった。それで、学の初恋は終わった。ずっと後悔していた。
十六年の年月が経ったからだろうか、また香織が自分と話してくれているのが学にとってはとても不思議なことだった。
「加藤くんは今何してるの?」
「何って?」
「仕事。確か小説家になりたがってたじゃない?」
「そうだったっけ」
「そうだよー。加藤くん、作文でいろんな賞とったりしてたよね。懐かしいなー」
「そんなこともあったかな。昔の話だよ。今は……、求職中、かな」
初恋の女の子に、自分がひきこもりだとかニートだとか、そんな恥ずかしい肩書きを知られたくはなかった。かといってつまらない嘘で自分を塗り固めることもしたくはなかった。
「そうなんだ? わたしはなれたよ、美容師」
香織は言った。
「あ、確か家が床屋だったっけ」
彼女の家は、駅前にあるルナという名前の床屋だった。付き合っていたときに一度だけ髪を切りに行ったことがあった。
「うん、高校卒業した後、美容師学校に行ってね、東京の美容院で五年勉強してこっちに帰ってきたの。うちもリニューアルしてね、今はもう床屋じゃなくて美容室なんだ」
感心するしかなかった。同級生たちは皆、自分の人生を自分で決めてちゃんと人生を生きている。学が殺した中学時代に彼をいじめていた連中もそうだった。
香織は学の髪をまじまじと見て、
「加藤くん、その髪、自分で染めた?」
と聞いた。
「あ、妹にやってもらった。やっぱわかる?」
「うん、一目で。切ってくれたのも妹さん?」
さすが美容師だな、と思った。
「結構上手だけど、やっぱり美容室の方がいいよ」
香織がそう言ったので、
「じゃ、今度君の店に行くよ」
と学は言った。
「うん、待ってるね」
と言って香織は笑った。その笑顔がまぶしかった。
初恋は実らないものだというけれど、彼女とずっと付き合っていたら、自分の人生は変わっていただろうか、と学は思った。
いじめられているとき、学には相談する相手が誰もいなかった。教師に相談することはできなかった。相談して、教師が野中や中北、平井といった連中に注意でもしようものなら、いじめが悪化することは目に見えていた。両親に相談することもできなかった。両親にできることは、学校に相談することくらいだ。そうなれば、教師に相談することと同じ結果が待っているに違いなかった。
だからとても苦しかった。香織なら相談に乗ってくれて、自分を支えてくれただろうか。もしかしたら、いじめ自体なかったかもしれない。人生は何がきっかけで変わるかわからない。香織と同じ高校に行って、普通の大人になれていたかもしれない。従兄弟の高志が言っていたように普通の人生を歩めていたかもしれない。そう思うとどうしてあの日他の女の子といっしょに音楽室から帰ってしまったのだろうと後悔しかなかった。
「そういえば、加藤くん、結婚は?」
香織はウェイトレスが運んできたミルクティーを一口飲むと言った。
「んー、当分予定はないかな」
自分はたぶん、一生結婚なんてできないだろうと思っていた。初恋の女の子の前で、つまらない嘘で自分を塗り固めることもしたくない、そんなことを思いながら、気づくと学は自分が普通の人間であるという嘘で自分を塗り固めていた。それがどうしようもなく情けなかった。
香織は笑って、
「わたしとおんなじだ」
と言った。
初恋は実らないものだ。けれど、香織のその笑顔を見たら、十六年の年月が過ぎた今、もう一度実るチャンスがあるかもしれない、学はそんなことを考えてしまい、自分にはその資格がないと思い直した。
「でさ、メールで言ってた相談って何?」
だから、香織に本題を切り出させることにした。香織からは相談に乗ってほしいことがある、とSNSのメールで言われていた。会おうと言ったのは学からではなく香織からだった。直接会って相談に乗ってほしいと言われていた。
「あ、うん、加藤くん、選挙には毎回ちゃんと行ってる?」
学は香織の相談というのはてっきり恋か仕事のことだろうと思っていたから、突然選挙の話を振られて驚いた。
「ん……、一回も行ったことがないなぁ。政治家なんてどうせ誰がなっても一緒だろ」
学は今の総理大臣が誰かすら知らなかった。
香織は大きくため息をついて、
「はぁ……、これだから日本人はダメなのよね」
そう言った。
「外国は戦争までして選挙権を勝ち取った国が多くて、だから政治に関する意識がすごく高くて投票率もすごく高いのよ。でも、日本人にとって選挙権ってアメリカに与えられたものでしかないから、若者はほとんど政治に興味がなくて投票率も悪い。これはとてもよくないことなの」
香織は早口にそう言った。学にはそれが彼女の言っていた相談と一体何の関係があるのかわからなかったので、
「はぁ……」
と、ため息ではなく、合いの手を入れることしかできなかった。
「もうすぐ衆議院議員の総選挙があるでしょ。加藤くんの一票をぜひ入れてほしい候補者の先生がいて」
そこでようやく、香織の相談が何であるか学は気づいた。気づいて、呼び出されてほいほいここに来てしまったことを後悔した。
「千宙党の榊先生って人なんだけど」
「千宙党?」
はじめて聞く政党だった。
「知らないか。でも、千のコスモの会は知ってるわよね?」
その名前は知っていた。最近はやりの新興宗教だった。現存する教祖を神とあがめる、いわゆるカルト教団のひとつだった。
「政党まで作ってたのか。ったく、中学校で習った政教分離の原則はどこに行ったんだよ。その榊っていう人は、もしかして教祖様なわけ?」
学の問いに、
「……うん」
香織はこくりとうなづいた。
「君も信者なんだ?」
「……うん」
学は伝票を持って、席を立とうとした。
「悪いけど、俺はその人を知らないから」
そう言った学の手を香織が握った。
「待って! 今週末、講演会があるの! もしよかったら来てくれない? きっと榊様のすばらしさがわかってもらえると思うから」
学はため息をつくしかなかった。
「……なんていうか、初恋の女の子と再会に、さっきまで喜んでた自分が馬鹿みたいだな」
ほんの少し、本当にほんの少しだけ期待していた。そんな自分が本当に馬鹿に思えた。
「え?」
香織は何のことかわからないといった顔をした。
「お前さ、そんなことしてたら友達、なくすよ」
学はそう言い、
「じゃ、ここは俺が払っておくから」
今度こそ、席を立ち、会計を済ませ、店を出た。
残された香織は、
「……友達なんて、もういないわよ、誰も」
そう言って、テーブルの上に置かれた携帯電話に手を伸ばした。
「こちらK。ファーストフェイズに失敗した」
香織は携帯電話の通話相手にそう言った。
通話相手が言う。
「こちらM。了解した。ただちにセカンドフェイズに移行する」
帰宅した学は、中学校の卒業アルバムを開くと、香織の顔に×印をつけた。
ベッドに寝転がり、ぼんやりと天井を見つめた。何時間そうしていたかわからない。学にあるのは、なんとも言いようのない喪失感だけだった。初恋の女の子の変わり果てた姿を見て、ようやく長い初恋が終わったのだと考えていた。
ピンポーン、ピンポーン、とチャイムが鳴り、
「はーい」
と、麻衣の声が下の階から聞こえた。いつの間にか麻衣が帰宅していた。窓の外を見ると、夕方になっていた。
玄関に出た麻衣は、
「……? どちらさまですか?」
と尋ねていた。麻衣の知らない客ということは、うちの両親を訪ねてきたのだろうか、そう思った学は部屋を出て階段を下りていった。
玄関先にはスーツ姿の男が立っていた。
「学さんはご在宅ですか?」
「えぇ、お兄ちゃんなら……」
麻衣、階段を見上げ、学と目があった
「……誰?」
学も知らない男だった。
「学さん! やっとお目にかかれた……! はじめまして。わたくし、ひきこもりをされている方の自立支援をしています、要雅雪と申します」
学はため息をついた。
「……帰ってもらって」
そう言うと、
「はーい」
麻衣がドアを閉めた。
「あーっ! ちょっと待ってください。五分だけ! 五分だけ話を聞いてもらえませんか? お手間はとらせませんので!」
閉められたドアに手をはさんでそう言うその男は必死さからは、素直に帰ってもらえそうになかった。
「どうする? お兄ちゃん」
困った顔をして、学を見上げる麻衣に、彼は大きくため息をついて、
「あがってもらって」
と言った。
学と麻衣は、要と名乗った男をリビングに上げた。
要から渡されたパンフレットをふたりは眺めていた。
「八十三(やとみ)オレンジの会?」
麻衣がパンフレットに書かれた文字を読み上げた。
「はい、ここN市八十三町にご在住のひきこもりやニートの方を対象とした交流の場や居場所を提供するNPO法人です。私たちは、不登校・就職拒否やひきこもりといった形で、現代社会の中で取り残されたり、孤立しがちな若者とその家族に対して、彼ら若者が健全に育ち、社会の一員として自立するための各種支援を行っています」
前に母が連れてきたひきこもり支援相談士というのがどうやら彼らしかった。
「NPO法人ってことはお金のためにやってるわけじゃないんですよね?」
麻衣の問いに、
「はい、私どもは特定非営利活動法人ですので、そういったことは一切考えておりません」
要が答える。
「たまにいるんだよな、他人に余計な世話を焼くのが大好きな、空気の読めないお節介な連中が」
パンフレットを放り投げて、学は大きなあくびをした。
要は苦笑して、
「どうもすみません」
と言った。
「で、どういった人たちが集まってるんですか?」
「現在、二十代後半を中心とした十代~五十代のメンバーが約八〇名います。男女比は6:4くらいですね」
ふーん、と学は一切興味なさそうに言った。
「どんな活動をしてらっしゃるんですか?」
「オレンジの会は八十三町からの助成を受けて、社会的ひきこもりと精神障害を持つ若者とその親を支援する二つの小規模作業所を運営しています。『交流広場ライフアート』と『NOAH』です。交流広場ライフアートは、様々な活動を通して交流を深める作業所です。ここでは内職作業や各種カルチャー教室、ギターやパソコンなどですね、それらを中心に、一日に十~二十人の若者が集まり活動しています。午後になればサッカーやキャッチボールに出かけるなど、レクリエーション活動も盛んです」
麻衣の問いに、要がそう説明した。
「スポーツは苦手なんだよな……特に球技……テニスとか……」
学が中学時代に部活動でいじめられた理由は太っていたからという理由の他に、テニスが部で一番下手だったからだった。人は自分より下の者を馬鹿にする。それはスポーツの世界でもいっしょだ。できる奴ができない奴を下に見て馬鹿にする。いじめる。健全な肉体に健全な精神が宿るというのは間違いだ。
「でもギター教えてもらえるんでしょ? 麻衣が行きたいくらいかも」
麻衣が乗り気なのが、かわいい妹だけれど、学にはうっとうしかった。
「ぜひお兄さんとご一緒にどうぞ」
要もそう言い、
「いいんですか?」
麻衣の顔がぱーっと明るくなる。
「ええ、利用者の半数以上は男性ですが、午前中の人の少ない時間帯に来所する女性メンバーも数人いますので、ぜひ彼女たちとお友達になってあげてください」
すっかり乗り気になってしまった麻衣は、
「どうする? お兄ちゃん」
目を輝かせてそう聞いてきた。
学は先ほど放り投げたパンフレットを拾い、
「ギターねぇ……『NOAH』ってのは?」
仕方なく会話に参加することにした。
「『NOAH』は、喫茶店を営業している作業所です。業務に参加しているのは、大体五~十人ほどです。フリースペースに通うことにより、次第に元気になってきた若者たちから、次に強く求められるものは、就労へのステップアップです。ここでは、お客様への対応あるいは作業を共にする仲間との協力を通じて、対人関係の回復と就労意識の向上を図ります。以前は、一日喫茶として、その名の通り月に一度だけ喫茶業務を行っていましたが、今年七月に心機一転、内装を喫茶店風に改装し、喫茶の開店日も週四日に増えました。現在は一般のお客様に対しても営業しており、常連のような方々も増えてきはじめました。開放的で、おしゃれな喫茶店です」
要は生き生きと説明した。それがうっとうしいったらありゃしなかった。
「おいおい、働かせるのかよ……」
学は先ほどからため息をついてばかりだったが、
「喫茶店かー。麻衣、ちょっと興味あるかも。麻衣、大学生になったら大須のメイドカフェでバイトしようと思ってたし」
麻衣は話を聞けば聞くほど、目を輝かせていた。まったく困った妹だった。
「俺はまったく興味ないんだけど」
そう言うと、
「えー? なんでー? 楽しそうだよお? 行こうよお兄ちゃん!」
麻衣は学に腕をからめて、本当に楽しそうにそう言った。
「はぁ……まじか……」
どうやらもう後には引けなさそうだった。
数日後、
「こちらです」
と要が言って、ドアが開けられた。
八十三オレンジの会、交流広場ライフアート。
そこには八人の男女がいた。皆、会話もなく全員携帯ゲーム機に夢中だった。
「おはようございます。今日から皆さんに新しいお友達ができました。加藤学さんです」
要は皆にそう声をかけたが、八人ともゲーム機から顔を上げなかった。
「ほら、加藤さん、自己紹介してください」
要に促されて、
「……加藤です。よろしく」
学は自己紹介した。
「それだけですか? もっとほら、趣味とか特技とかいろいろと……」
要が手を肩に置いたので、
「そういうの苦手なんだよ……」
学はその手を払いのけた。
「妹の麻衣です。よろしくお願いします」
麻衣がぺこりとお辞儀して挨拶をした。けれど、反応は同じだった。
「ていうか、誰も聞いてないみたいですけど……」
麻衣も困った顔をしていた。
「こいつらこんなところに集まって何やってんの?」
「見ての通り……、ゲームですかね」
要は苦笑して言った。
「聞いてた話とだいぶ違うな……」
「ねー」
「左から、秋月蓮治くん、神田透くん、氷山昇くん、棗弘幸くん、真鶴雅人くん、宮沢理佳さん、山汐凛さん、大和省吾くんです」
学と麻衣の反応を見て、要が慌ててその場にいた八人を紹介した。皆二〇代前半といったところで、学より麻衣の方が年齢が近そうだった。
八人のうちのひとり、秋月蓮治が立ち上がると、二台のゲーム機を学と麻衣に差し出した。
アシンメトリーの髪型の、中性的な格好をした青年だった。
「……どうぞ」
そう言って、席に戻っていった。
学はゲーム機の画面を見て、
「モンスターイーターかよ」
と顔をしかめた。
「……嫌いなんだ?」
秋月に尋ねられ、
「何がおもしろいのかさっぱりわかんなかった。チュートリアルのなんかでかい卵運ぶやつで挫折した」
学は答えた。
秋月蓮治は嘲笑して、
「……やり方教えてあげてもいいけど」
と言った。
気に入らない奴、それが学の秋月蓮治に対する第一印象だった。
「よろしくお願いします! お兄ちゃんもやろう、やろう!」
楽しそうにやり方を教わり、皆の輪の中、中心になる麻衣を、学は部屋の隅で体育座りをして見つめていた。
ゲーム機はとうに投げ出されていた。
学は胎児のような格好で寝転がりながら、ここも俺の居場所じゃない、そう思った。
そんな学を見つめる要は、スーツの襟に仕込まれた無線機に小声で話した。
「こちらM。どうやらセカンドフェイズも失敗した模様」
無線機の通話相手は、
「まったく、どいつもこいつも役に立たないわね。これ以上の失敗は許されない。いいわ、私自らサードフェイズを開始する」
苛立ちを隠せない様子でそう言った。
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