ユエの国
ももも
ユエ
雨の中、一人の青年が走っていた。
身なりはいたってみすぼらしく服には所々穴も空いていたが、それとは対照的に手にした錫の壷は銀色に鈍く輝いていた。
彼が露に濡れないよう大事に抱えていたのは茶であった。
茶は高価なものであり、百姓の身分である青年にとっては到底手のでぬものであったが、これからの日々の糧を切り詰めてでも入手せねばならない事情があった。
三日前に妻の産んだ赤子が死んだ。
生まれたときから脆弱な子で乳を吸う力も弱々しく、日に日に命がこぼれていきやがて果ててしまった。
三人生み、一人が育てばよいと母は言ったが、妻は己のせいだと自分を責め、すっかり気落ちしてしまった。青年はなんとか活力を取り戻してもらおうと、彼女の好む茶を得た。
隣村に茶を商う行商人が訪れたと聞き、いてもたっても居られず家にある銭をかき集め慌てて飛び出したときは好天であったのに、今ではすっかりザアザアぶりであった。
茶が時化ってしまわないよう男は家路を急いでいたが、ふと視界の先になにかが漂っているのが見えた。
足を止め、はて、と目をこらしてみると川の側を丸いぼぉっとしたものがゆらゆら揺れている。
それは人の魂のようであった。
男の背丈ぐらいの高さでふよふよと宙に浮かんでいたが、見ているとゆっくりと下に落ちている。そのままでは川に落ち流されてしまうだろう。
そこに、男は亡き赤子の魂を見た。
なんとか助けられないものかと近寄り両手を伸ばすと、ぼわっと温かいものが手をつつみ、その白く丸いものは赤子になった。
男は驚きのあまり動けなくなったが、赤子がおぎゃあおぎゃあと泣き始めたため、せきたてられるように家へ急いだ。
赤子を連れ帰ると家族は驚いたが、経緯を聞くと、赤子を亡くしたことを哀れに思って神が遣わせてくれたに違いないと受け入れた。妻が泣き続ける赤子に乳を吸わせるとぐびぐび飲み始め、すぐに寝てしまった。
肝心の茶は赤子を拾った場所に置いてきてしまったが、妻の幸せそうな顔をみて、まあいいかと男は思った。
不思議な赤子であった。
初めの一週間は乳をぐびぐび飲んでいたが、次の日には固形物を口にしていた。背丈もいきなりぐんと伸び傍目では齢三つぐらいになり、立てるようにさえなっていた。
目をみはるほどの成長ぶりであった。
その二日後には七つぐらいまでになったが、ものをあまり食べなくなり、庭先にある桑の大木の側で日がな一日、寝てばかりいた。
日が暮れても動こうとせず、連れ戻してもいつの間にやら木の根本に帰っていた。
幾度も繰り返したが結果は一緒であった。
最後には「この子は木の精霊かなにかだろう、そのままにしておきなさい」という母の言葉に従うことにした。
雨に濡れてしまわないよう、青年は大木の近くにおよそ小屋とも呼べない代物を間に合わせで建ててやると、子供はするすると中に入り満足そうな笑みを浮かべた。
「ありがとう」
子供の発した声に男は驚いた。
十日目にして、すらすら言葉を話せるようになっていた。
「まことに変な子じゃのう」
「妖かなにからしいな」
男の拾った子供を一目見ようと、村の人々は訪れた。
その村は小山の上の荒れた土地にあったために訪れる者はほとんどおらず、来れば誰であろうと歓迎した。
害なす存在でなければ、人かそうでないかの区別はなかった。
かくして子供は村の住人となり、ユエと名付けられた。
ユエはなにをするというわけではなく、たまに起きては生き物をじっとながめているだけだった。
やがて女が新たな子宝を得て無事に元気な子を出産した時も、ユエは成長せず相変わらずよく寝る日々であった。
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