二話 錆びた賽の目を赤く塗って(後)

「ハ、ハ」


 思わず、ケインの口から乾いた笑いがこぼれ落ちる


 さっきまで陽気に喋っていた奴が今では物言わぬむくろに変わり果てていた。そんな状況にえられる人間などそういない。


 エイベルは相変わらず無表情で何も分からない。シエラとアンネはうつむいていて目の光を暗く落としている。


 マルコはシドの横でしゃがみこんでいた。


「ああ、シド。すまなかった。ゆっくり休んでいてくれ」


 彼にとっては、それほどシドとの友情はかけがえのないものだったのだろう。


 ひとみからは、いまだに涙がこぼれている。


 死んだ者はもう二度と戻ってこない。呪術ですらねじ曲げる事のできない世界のことわりだ。今日をもって二人のきずなは完全に引き裂かれた。


「しばらく、休憩する。それから地上に上がろう。その間に俺が戦利品を回収するから」


 ……全員の精神的疲労ストレスが限界まで来ている。とても、ここから動く事はできないだろう。それでも戦利品を回収した後ならば少しは動けるはずだ。


 ケインはシエラから松明たいまつを借り、そのまま地面を探していく。





 ……





 ──金貨十四枚と古びた短刀一本。それが戦利品だった。シドの命の対価だった。


 長い年月を戦闘に費やしてきたのだろう。銀色だったはずの刀身は所々が欠けていて、数多の黒血におおわれて錆びきっている。


 その血は怪物共の物であり、そして探索者の物であり、とにかく多くの者の血だったのだろう。そして、その一番上にシドの血がりたくられていた。


「渡してくれ」


 半ばひったくるようにして短刀を取ったマルコは、「これは俺が持ち続けていかなきゃダメなんだ」といって、ぎ取ったさやにしまい込んだ。


「それと、シドの死体を上まで持ち帰りたい。あいつをこんな場所に置いて帰える事なんかできないんだ。俺が背負って行くからさ、頼むよ」


 そう頼んでくる彼の顔は、心なしかやつれて見えた。友の亡骸なきがらを抱えて行くのはこたえるのだろう。それでも、他のものには任せていけないと言う訳だ。


「分かったよ。さあ、戻ろう」


 行きは六人、帰りは五人。戦力の低下は成り立てルーキーにとってはかなり厳しい。その上、数々の精神的負担ストレスが全員にのしかかっている。


 その足取りは、迷宮に入る前のあこがれと希望をせた力強さとは打って変わって、非常に重く、そしてゆっくりとしたものへと変わっていた。


 一党はシドの作った地図に従って元来た道を戻っていく。


 彼の地図は一定間隔ごと格子こうしで分けられていた。単純ながら分かりやすくまとまっているので、お陰で迷わずに戻っていける。


 ……後少しだ、あと少しで地上に着く。皆、一言とも話さない程憔悴しょうすいして、余裕はほとんど無い。


 けれども、それでも上がる事ができさえすれば、きっとやり直す事はできるから。


 ケインは熱くなった頭に言い聞かせ続ける。


「ねぇ?」


「なんだ?」


 アンネの声にマルコが返す。その声は先ほどのものとは異なり、少し力強くなっているように思われる。


「私達、まだやれるわよね?」


「ああ、きっと」


 ──今回の失敗を噛みめつつ、それでもまた迷宮を潜る為に。野菜クズと干し肉のスープをすすってライ麦パンを噛みちぎり、明日か、その次か、シドの分まで先へと進む為に。


 ケインは、マルコの横顔が次第しだいに赤みを取り戻しているのを見届け、視界を前に戻す。


 ……マルコも、さっきはあんなに沈んでいたのに、立ち直りが早いものだ。


 マルコが気を取り戻したのもあって、一党の中に流れていた苦しさも、少しずつ軽くなっていった。


 今では一党パーティの中に、疲れと安堵あんどとが入り交じっていた。だってもう少しで帰還できるのだから。


 だから、つい気が緩んでしまった・・・・・・・・・・・という訳だ。


 カチリ。時計技師が歯車を取り外した時のように。何か大切なものが、ここから外れた音がした。


 にぶく重く、頭の奥まで入り込んでくるような、そんな音だ。ケインはそれを聞き取った。


 それからほんの少しだけ遅れて、三つのそろった音が聞こえた。それは矢を投射する弦の音。


 それからまた三つ、音がして。


 そして最後は倒れ込んだ。


 振り返る。


 ひたい、胸、腹。どれか一本でも当たれば致命的な一撃クリティカルになり得るだろう。そんな三本の太矢ボルトがまるで杭のように、マルコの体に打ち付けられていた。


 唇から驚くほど鮮やかな、紅色の天蚕糸てぐすが一筋こぼれ落ちる。


 即死だった。


 パキリ。ケインは硝子ガラスにヒビが入る様を幻視した。


 その直後にシエラが崩れ落ち、涙が床に溶けていく。


「……っ!どうして…… どうしてこんな事になっちゃったのっ!」


 シエラの口から悲しみが流れていった。きっと、迷宮が彼女の想像していた夢と希望の詰まった冒険譚サーガだけでは無い、数多くの悲劇が渦巻く魔窟まくつであるという事を実感したのだ。


 ケインはそれをただ傍観ぼうかんし続けているだけだ。こういう時になぐさめの一つでも送って上げることができるのなら良いのだけれども。


 生憎あいにく、ケインのちっぽけな頭では、彼女にかける言葉の一つすら思いつかなかった。


 ただあわれむような目でシエラを見続けていた。


 かわききった空気と鉄の匂いを深く肺に収め、ケインは疲れたように言葉をつむぐ。


「……俺がマルコを運ぶ。エイベルはシドを運んでくれ。さあ、みんな行こう。出口まで後少しだから」


 前衛二人の手をふさぐなんて悪手だろう。だがそれでも、後衛の二人に装備を着けた男を担ぐ力なんて無い。


 仲間の死体を迷宮にさらしたままにしておく選択肢も有りはしない。


 それに、あと少しで。本当にあと少しで帰還できるのだから、少しぐらいなら無防備で居たって変わりない。


 それで死んだなら、その程度でしかなかったという事だろう。


 誰も彼も、生まれたての子鹿のように。


 震える足で歩き出した。





 ……





 肩に流れ出る粘ついた死臭。血の匂い。


 鎧の中は汗でベタついているのだろうけれども。それ以上に鎧にこびり付く血の跡が気になって。


 乾いてもいないのに手で吹いてしまうからりのばされて。それで乾いてしまったから、薄い膜を執拗しつようなまでに拭いとる。


 どれほど長い通路を歩いているんだろう。ケインの朦朧もうろうした頭では、それすらも分からなかった。


 松明たいまつの火がグズグズと溶けるように小さくなっていって。それでももう代わりはないから、消えないうちに戻るしかない。


 シドの地図にして五区画ほど進んだ先だ。そうらしい。


 最後の松明たいまつに辛うじて残っていた炎が、らいで消えた。


 しかし、周りは明るいままだ。


 いつの間にか、松明たいまつのものではない、白くぼやけた光が辺りに差し込んでいた。


 その光に照らされた一党の横顔は、後悔や憔悴しょうすい悲哀ひあいや心傷に満ちている。


 ケインはそれを見つめ、自分の顔もこうなっているのだろうな、と想像した。


 頭はすでに働かない。体はひどく疲れて言う事を聞かない。それでも無理やり動かして、少しでも早く帰ろうと階段を登っていく。


 光が段々、強くなるにつれ。肩にっている命だったものの重みを思い出して。


 ケインは、初めての迷宮探索が失敗に終わったのだとようやく気づいた。





 ……





【火弾】


 炎を生み出し、木片などに宿らせ、敵に投げ付ける


 迷宮での松明持ちは、間違いなく呪術師だろうな。なんでかって?そら、何も無い場所から炎は生み出せまいよ──火の守 レイン

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