九話 机上遊戯の成長譚

「判別できました、小鬼が三に大コウモリが四、それと大トカゲが二です!」


 アンネの解析を切っ掛けにして、待ちきれないと言うばかりに前衛三人が飛び出した。


 ケインが小鬼、クリスがコウモリ、エイベルが大トカゲとそれぞれの敵と相対する。


 ……【入眠】!


 き通るシエラの声が玄室げんしつの中をけ回り、それを追うかのように薬粉の風が吹きすさぶ。


 薬粉は決して一党の仲間の体を害する事なく、目の前の怪物共の鼻孔びこうのみをくすぐっていった。


 抵抗、抵抗、睡眠、睡眠、睡眠、抵抗、抵抗、睡眠、抵抗。


 成功率は大体五分といったところだが、抵抗に成功した怪物だって、完全にはその影響をはいしきれていないのだから。そう悪い結果ではないとケインは思った。


 ……まあそれでも少し慣れるのが遅すぎるとも思うのだが。


「シエラ、まだ【入眠】のやりようをつかみきれてないのか?」


 ケインがそうからかってやると、シエラはいつものように顔を赤くして怒り出す。


「うるさいのよ! あんたら戦士は剣や槍やをぶん回すだけで良いんだから。とっとと怪物を切り伏せたらどうなの」


「そりゃごもっともで」


 露骨ろこつに話をらすシエラに困った奴だと思いながら、ケインは自らの仕事を成す為に槍の矛先ほこさきを真っ直ぐ上げた。


 突き出した槍の刃先からは、殺意が炎となってき出している。


 短槍+1。ケインの使っていた短槍には、炎のこもる呪晶がてがわれていて、その威力は以前とは比べ物にならない。


 槍を振るう度に敵を焼きがしていく炎は、汚泥に灯ともったフレイムタンを思い出させる。


 貫き、引いて、貫く。


 炎が、絡みつく肉を血を焼いていくおかげで、ケインは普通の槍よりも小さい負担で刃を引き抜く事ができる。


 小鬼に穿うがたれた二つの刺創は、内臓まで熱を通らせてその命をり取った。


 小鬼の体が消えつつあるのを確認しつつ、もう一匹の小鬼が攻撃してくるのを視界のすみとらえる。


 すり減った短刀の刃を、短槍をね上げるようにして弾き返した。


 短刀の刀身が開けた隙間程度では炎を防ぐ事などできなかったようで、小鬼は手にI度の火傷を負って、痛みに思わず短刀を放す。


 そこにケインの短槍が追撃し、刃は小鬼の鼻を突き抜ける。


 小鬼はさけぼうとしたのだろう。しかしのどが焼けたのか意味をなさない音がれ出るだけだ。


 脳に傷の付いていない小鬼はしばらく刃を抜こうともがいた。けれども短槍の炎は小鬼の肉を焼いていき、脳髄のうずいを暖めていった。


 血が沸騰ふっとうし、脳が湯立ち、小鬼はその意識を失って。ほんの少ししたら呪詛へと還元される。


 それを見届けたケインは、仲間の死を知らずに呑気のんきにいびきをかいている小鬼の心臓を貫く。そしてエイベルとクリスがどうなっているかと辺りを見回した。


 クリスは大コウモリ二匹を相手にしている。大コウモリの突進に対して、やや斜めにらした盾を構えていた。衝突する瞬間に振り払う。


 ポキリと小枝を手折るかのように容易く骨が砕き割れていき、コウモリは吹き飛ばされた。


 もう一匹の突進が来る。


 クリスは半歩斜めに下がり、長剣を横ぎに放った。


 回転運動のかった長剣は、コウモリの突進の力も相合わさってずんばらりと切り裂いていく。


 起き上がろうとしていたコウモリもスパリと切り開けば、残りはやはり眠りに落ちた者ばかりで。クリスは新たに二つ、コウモリの開きを作っていった。


 エイベルの方は不幸にも、大トカゲは起きてしまっていたみたいだ。大トカゲ二匹に対して攻撃を盾で受け、もう一匹を大剣で叩いて、少しずつ削っている。


 だが、その具合は非常にゆったりとしていた。ケイン達の戦闘が終わっても尚、こちらの戦闘はまだ終わっていないほどに。


「エイベル、加勢は必要か?」


 ケインがそう呼びかけると、エイベルは弱っている方の大トカゲを叩き潰して言い返した。


「いや、大丈夫だ。もう終わるからな」


 そして最後の大トカゲに向き直り、飛びかかりを盾で受け。──気が抜けていたのか体勢を崩したファンブル


 ミシッと嫌な音がして、それから転んだエイベルと被さった大盾の上に大トカゲがのしかかった。


「グエ」


 カエルが馬車にでもかれたような声。


 大トカゲもそれなりに重く──鉄の大盾と胸甲を着けているから胸がつぶれる心配はもちろんないのだが──、エイベルはかなり辛そうだ。


 ケインはしょうがないなと思いつつ、大トカゲを思い切り飛ばしてエイベルから退かし、短槍を突き出した。


 短槍自体は大トカゲのヌメリで滑りはした。だが、そのこすれた後はチリチリとげて弱っている。


 大トカゲはねらいを変えてケインに飛びかかったが、ドナがおおい被さるように短刀を突き立てて押し倒した。


 それまでの蓄積ちくされた傷もあったので、大トカゲは思ったより少ない回数の刺突で死んでいく。


「まったく、まらないわね」


「そうだな、最後まで気をゆるめるなよ」


 戦闘が終わった事をいい事に、ケインとシエラが最後の大失態にやいややいやとさわぎ立てる。


 エイベルは少しだけ苛立いらだった。


「言うだけ言って、お前らタダで済むと思うなよ」


 二人ほどは殺せるような怒りのこもった視線は、調子に乗ったケインとシエラを黙らせるのには十分だった。


 エイベルは溜飲りゅういんを下げ、起き上がろうとした所を痛みで中断する。


「……痛いな。これはあばらが何本か折れてるんじゃないか」


 アンネ頼むよ、という言葉がエイベルののどを通りかかった。だがそれが音として放たれる前に、アンネの呪術が完成する。


【軽癒】


 いやしの光がエイベルを包み込んで、優しく骨や肉をつないでいく。


 エイベルはその素早すばやさと心けに少しだけ感心した。


「もう、あまり怪我はしないでくださいね。私の呪術だって無限に使える訳ではないんですから」


 初めて汚泥と戦った時のケイン達を思い出したのか、アンネは目をうるませる。


 このままエイベルが動けないのもいけないのだが、今呪術を使ったせいで重症を治療ちりょうできなかったとしたら目も当てられない。


「ああ悪かった、悪かったから泣くな。もうヘマはしないから」


 なみだこぼしそうなアンネに対して困惑こんわくするエイベル。


 泣かれていても困るが、同時に自分が気を抜いたのが原因なのだ。


 一体どう話しかければ良いのかとアレコレ考えていると、いつの間にかアンネは笑顔を見せていた。


「これにりたら気をつけて下さいね! エイベルさんが傷ついて悲しかったのだって本当なんですから」


「わ、分かった」


 ……さっきのなみだ、半分は演技えんぎだったのか。まったく女とは恐ろしいものだ。


 ケインはアンネに内心戦慄せんりつしていた。そしてあまり彼女を困らせないようにしようと心にちかう。


「皆さん、そろそろ反省会は終わりにして報酬ほうしゅうを集めましょう。きっと宝箱の中には素晴すばらしい宝が眠っています」


 怪物から落ちた金貨を手にしたドナは手を叩いて招集しょうしゅうする。流石さすがに茶番も終わろうか、と言って一党は宝箱の周りに集まった。


 もう何度も探索して宝箱もうんと開けているので、ドナが解錠かいじょう道具を取り出していくと、万一にも罠に巻き込まれないように皆離れていく。


 ドナは最初に宝箱を開けた時と異なって、慎重しんちょうに罠を外していった。ケイン達もそれを緊張しながら見ているので、玄室げんしつの中には金属のこすれる音だけが流れている。


 罠が外れたので、ドナは道具を変えて錠前じょうまえを破ると、その速さは平パンを一口かじって飲み込むくらいの速さだった。


「さて、何が入ってるかしら…… ね?」


 宝箱の中に入っていたのは血のにじんだ小さい布袋が一つだけ。


 シエラはまだ呪晶などの高価な物が入っているかもしれないとひもを解いて開いてみると、金貨と銀貨数枚に、割れた硬貨が少々のみ。


 金貨の枚数から察するに、初めて迷宮に入ってコウモリをやっつけて調子に乗っている所をグサリ!といった所だろう。


「こりゃハズレね。全員で分けたら一晩すらせないわ。せっかくお宝を得る機会だったのに、こんなしょぼい金貨じゃあね」


 ガッカリしているシエラの顔を見たケインは彼女をはげまそうとする。


「シエラ、そういう時もあるさ。元々これだけで探索を終わるつもりはないんだろ?

 これから地図の白紙をめにいくんだから、こんな所でしずんでたら置いてくぞ」


 ケインが背中を叩いてやると、シエラはちょっとした痛みになみだ目になって頭を抑え、文句を言い出した。


 ケインは元気になったじゃないか、とわざとらしく高笑いをする。


「分かったわよ、こんなちっぽけな宝箱一つにいつまでも執着しゅうちゃくするアタシじゃあないんだから!」


 と自慢じまんげに胸を張るシエラにケインは笑いかけた。


「おう、じゃあ今日は空っぽになるまで呪術を使ってもらうからな、期待してろよ」


「もちろん!」


 ケイン達は玄室げんしつを飛び出し、迷宮の通路を歩いていく。


 たてよこ、縦横じゅうおう蜘蛛くもの巣のように複雑に広がっている通路を歩いていく。


 見慣れた岩肌いわはだの床をみしめて、松明たいまつのか細い炎を頼りに索敵さくてきする。


 何度も行き来した通路群は、もはや彼らの庭のようなものだ。まだ見ぬ領域に向かって最短の道を辿たどって行く。


 道中に出現した少数の怪物は、全て一手番で切りせた。


 犬鬼達や玄室げんしつでの戦闘ならともかく、通路に出られる程度の数の怪物なら、一回の攻撃で終わらせられる。


 そうしてとうとう、まだ見ぬ通路に辿たどり着いた。


「ここからが本番だからな、気をつけていくぞ」


 ケインは目の前の未知に興奮している。ささやかな発見を喜んでいる。


 日々新しい通路の先を地図に書き記しているはずなのに、その度ごとに期待をふくらませるのだ。


 ……ああこれじゃ、シエラの事も強く言えないな。


 深呼吸をして気持ちを落ち着かせようとしたケインは、松明たいまつのヤニがげていくにおいの中に、ほんの少し混じる腐敗臭をぎとった。


 ケインの胸にまりきった熱が、興奮が、ロウソクの火を消すかのように冷めていく。


「ああ、汚泥が来てますね。まったくひどく臭い」


 ドナは鼻をつまむような手振りをして、ウンザリだと根を上げた。


「それに強いくせにちっともお金を落とさないなんて。こんなものさっさと無くなれば良いんですよ」


 汚泥の攻撃でゆがんだ円盾や凹んだ鎧。修繕しゅうぜん費を考えれば赤字になる。


 そうやって自由に使える予算が減っていくので、ドナは汚泥のいる方向をにらみつけた。


「どちらにせよさっさと倒そう。こんな所に居たら鼻がバカになる。俺達も強くなったんだから、今更奴らに負けはしないさ」


 最初に戦った時はボロボロだった。だがその時と今とは違っている。あの後何回も迷宮に潜ったケイン達は、怪物を切り死を集めて経験点を得て強くなった。


 汚泥とも数度の戦いをて処理するコツをつかんだような気もする。


「そう気張きばることもない、気楽に行こう」


 しばらく歩いていくと、松明たいまつの光が奴らの輪郭りんかくとらえた。


 飛び出して、ケインは槍を叩きつける。


 音を立てて風を切る炎の刃は、汚泥に火を移すほどの勢いは無い。しかし触れた腐肉を溶かして、不治の傷を残していった。


【火弾】


 オマケにシエラの追撃だ。それも乱れたか細い火の玉ではなく、空気を食い荒らし敵を貫く業火の弾。


 傷ついた汚泥に火の榴弾りゅうだんがめり込んで、大きくふくれ上がる。


 汚泥は一瞬の内に焼きくされ、ねばついた炎が残された。


 もちろん、以前のように他の汚泥と合わさって逆に強化されるなんて事はない。


 以前の事は様々な条件が合わさってできた不幸な事件だったのだ。


 ケイン達はそのまま炎をえて後ろにいる汚泥を攻撃しようとした。


「……ッ! 皆さん止まって!」


 ドナが何かにかんづいたらしい。普段の呼びかけとは打って変わって、あわててさけんでいる。


 何しろ全力の前進だったので、三人は一気に止まれない。転ばないように、しかしできる限り早く速度を落とした。


 ケインは目の前の床に少しだけ違和感を感じて、石突きで思い切り叩きつける。


 すると床はすんなりとくずれた。思った以上に砕けていった岩々が石片となって落ちていき、かわいた音を木霊こだまさせる。


 後には人をいく人も飲み込んでしまえるくらい底の見えない──光量が少なく見えないが、少なくとも骨の一本や二本は覚悟せざるを得ないくらいは深そうな──落とし穴が顔をのぞかせていた。


 これを見れば、ケインの背嚢はいのうの半分をめ、背中に重くのしかかっている太い荒縄あらなわだって手放さずにはいられない。


 骨の折れた体で崖登がけのぼりをするなど。あるいは仲間がなわを調達してくるまでしのぶなど。考えただけでも恐ろしい。


「あ、危ない所だった。ドナ、助かったよ」


 いつもは無愛想なドナでもめられる事はうれしいようで、少しだけ顔を赤らめた。


「本当に感謝してるのなら、報酬割り増しくらいの気は利かせてくれますよね?」


 まあ、それは少しだけの打算と希望を内包した笑顔ではあったが。


「それはそれで、これはこれだ。感謝してるったって斥候せっこうの仕事の範疇はんちゅうだろ」


 しかしドナの目論見もくろみは一瞬すらも持たない内に崩壊ほうかいしてしまった。


 残念ながら、自由の代表格である探索者でさえも、余程よほどの事がない限り決められた取り分に干渉かんしょうできないのだ。


 ちょっとやそっとの事で分け前が削がれたり足されたりするのなら、その一党にはだれも着いては行かないだろうから。


「ちぇっ」


 ドナはそれも知っていましたよと言わんばかりに興味を無くす。そして代わりに、目の前の汚泥に対処するのに頭を切り替えた。


 目の前には前衛三人は引きずり込めるような穴、そして反対側に汚泥。


 汚泥は食欲をおさえきれずに大穴を迂回うかいしてせまろうとしている。


 「この食欲は追いぎだけに向けておいて欲しいんですがね」


「そりゃそうだ」


 汚泥に対処しようと向き直ったのは良いが、別にドナは汚泥に向かってかる訳ではない。


 そもそも他の怪物とは感覚器官──それが存在するのかすら微妙びみょうだが──が異なっている。


 斥候せっこう潜伏せんぷく能力を持つドナが潜伏せんぷくふうじられれば、戦闘能力は半減どころか地に落ちる。


 初遭遇そうぐうの時に汚泥をおさえられたのは運良くけ続けられたからであった。


 そしてその紙ほどにしかない装甲アーマークラスは今でも変わらない。必要性も無いので安易に命をけるような事もしたくない。


 そういう訳で、ドナはケイン達の戦いを観戦──もとい様子見しているのであった。


 汚泥はとうとう前衛の鼻の先までいずっていた。ああ、甘ったるい死臭が腐敗臭に混ざって苛立いらだたせてくる。


 汚泥が体当たりを放つと、ケインは前に構えていた円盾で受け流す。


 きし木屑きくずこぼしていく円盾は、それでもそれなりの品質を持っているので数度は使ってもまともに動く。


「クソッ! 防御する度に腐肉がほほかすめてやがる」


 何回も防御しながら戦っていると、どうしても飛沫ひまつかるし、直撃も少しは食らう。


 短槍がだいだい軌跡きせきを描く度に、汚泥は硬直する。汚泥の攻撃が迫る度に、ケインは防がざるをえない。


 ケインの方が与える損傷はまさっているが、それでもどうしようも無い泥仕合だ。攻撃に専念せんねんできない戦士の一撃など、余り威力が出るものでも無いのだから。


 数は力だ。汚泥を一人一人で対処するよりも、二人で対処した方がかる時間はうんと少ない。その分体力と装備の損耗そんもうだって低くなる。


 最も良い戦い方は、呪術で汚泥を二匹まで減らす。それから金属盾を持っていて、金槌かなづちで直してしまえるクリスとエイベルが汚泥を防ぐ。


 そこにケインが攻撃していく形が一番被害も抑えられて良いのだが、まあそう上手くいく事も少ない。


 今はエイベルとケインがおさえ、クリスが攻撃という形だ。


「ケインさん、すみません、今行きます!」


 剣を肉片でらしたクリスは、エイベルの方を片付けて、今度はこちらを片付けようと言う訳だ。


 ケインが少しずつ付けていった火傷のあとに、切れ込みを深めるように切りつけていく。


 溶けて食い込みやすくなった組織のおかげで、クリスはそう力を入れずに深々と傷をつけ、五回も切りつけた後には汚泥も倒れていた。


 そのまま皆で集合しようとケイン達前衛が戻っていくと、急に薬液をけられる。


 湿布しっぷのような少し臭うその液体は、確かに鎧に付着した汚泥を落としてくれた。おまけに腐臭も──ましな臭いで──き消してくれる。


 ……だからといって、そのままぶちまける必要は無いだろう?


「最悪だ、鎧下にみ込んできてやがる。こりゃ今日はかゆくて寝れないな」


 エイベルが絶望した風にそう言った。それはそうだ。探索中蒸れた肌着はだぎを着ていたいとは思わない。


 それに、液体のみ込んだものを長時間着用すれば、当然かゆみは収まらないだろう。


 現にケインも肩を垂れていく湿りの感触にヒヤヒヤとしている。


「臭うというのは確かに分かります。……ですが雑すぎる。もっと、こう、びんを地面に置いて寄越よこすとかないですかね?」


 クリスもいつもの笑顔を苦笑いへと変えていた。


 そして薬液をぶちまけた本人であるシエラは、まあっ、とわざと芝居しばいがかったように驚いてみせる。


「ざぁんねん、気づかなかったわ! でも、汚泥をまぶすように浴びているあなた達も悪いのよ?」


 その後も、汚泥の死骸しがいと離れてから言い合ったり、興奮が収まった頃に痛みが増してきて急いで治療したりと大さわぎだ。


「でも、戦いの後にこんなにさわぎ合えるなんて、俺達も成長したな」


 ……何せ最初なんて、一度戦闘すれば何もできないくらいにヘタレこんでいたくらいだからなぁ。


 迷宮の中を進んでいくのは、驚くほどに時間が早く感じられる。つい二ヶ月前の事でさえ、随分ずいぶんと昔のように思えてしまえた。


「じゃあ、準備も済んだ事だし、改めて探索を再開しよう」


 ……玄室が連なるように置かれていて、宝箱がザックザクというのも良い。


 あるいは伝説の宝剣が、岩の台座に突き刺さってはいないだろうか? いや、そんなものはこんな低い階層には無いさ。


 そんな探索者達の皮算用の中でも、ケインはいまだ鼻にこびり付いた汚泥の臭いを気にし続けていた。


 鎧下に付着したのか、気づかないうちに鼻の中にでも汁が飛んだか。


 だが、そんな事を気にしていてはすぐにくたばってしまうだろうと、ケインはまた冒険へとその頭を向けた。


 闇の中には、空虚くうきょひとみが二つかんでいる。






 ……






『教国』


 かつて小国が跋扈ばっこし、戦乱の気が満ちあふれていたこの大陸を統一した国。


 聖女と唯一の英雄は、その圧倒的な武勇によって教国を支え続け、悲願であった統一の後、古の魔物をその身をして封印した。


 首都である白の都に安置された封印は、いつしかほどけてゆき、今では一つの迷宮世界を築いてしまった。


 滅びゆくこの大陸の中で、探索者達は世界を救い英雄と成る事を望まれている。

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