106

●106

 …………早撃ちというのは面白いものだ。少なくとも俺の経験上、先に動いた方が負ける。

 何度か他の決闘を見物したこともあったが、例外はない。「先に動いた方が負ける」

 これは根気の勝負なのだ。

 じれて我慢ができなくなって、先に動いた奴の肩や腕にグッ、と力が入る。

 それを見た俺は、ただ抜いて、撃つ。

 向こうから根無し草が転がってきたら避ける。瓶が倒れかけたら掴む。それと同じだ。余計な力みはいらない──


 俺は待った。向こうが動くのを。


 床から熱が這い上がってくるのを感じた。

 天井のどこかで、横木がピシピシいいはじめている。



 熱を感じ、音は聞こえていた。

 俺の頭の中をそれらは素通りした。



 俺とジョーの間を、一枚の床板に沿って、火がゆっくりと区切っていく。


 俺の神経は、黄色と赤、それにオレンジの炎を背負い、10歩ほど離れた、ジョーに。

 いや、もはや、ただの一人の男に。


 その右肩と右腕のあたりに集中している。


 熱気にゆらめく中。男の肩からぶら下がった腕が。

 ガンベルトの脇に。ぶら下がった腕が。



 ────今、




 俺の手は勝手に動いた。

 親指は何も考えないまま撃鉄を起こし、人さし指は引き金を引いた。

 聞きなれた銃撃音が一発、響いた。




 ──ジョーが、膝をついたのが見えた。

 俺は身体の感覚を確認した。まずは、生きている。胸も腹も痛くない。肩も、脚も、腕も痛みがない。

 身体のどこにも、ジョーの弾は当たっていない。


 勝った、と思った。

 俺は荒く、達成感に包まれて息をついて、それからジョーの姿をもう一度、見た。



「…………ふざけやがって!!」

 俺は叫んだ。


 差し上げられたジョーの右手にあった銃は、銃ではなかった。

 右手は、小指と薬指を折って、人さし指と中指を立てて、親指をごく軽く曲げていた。

 そこにあったのは、指で作った、オモチャにもならない銃だった。



 俺の頭に血が上り、炎を飛び越してジョーの横っツラを殴った。

「お前! どうして勝負しなかった!!」

 力いっぱいに拳を叩き込んだが、ジョーはかろうじて倒れなかった。

 右脇腹のあたりに穴が開いて、血がにじんでいた。俺が墓場で当てたはずの部分とは、ちょうど反対側だった。

 ジョーはこの場にふさわしくないような微笑を浮かべながら、無言でポンチョの右をまくった。


 そこにはガンベルトはあったが、銃は刺さっていなかった。

 刃物も棍棒も、武器になるようなものは何も刺さっていなかった。


「……お前……丸腰で来たのか?」

 俺はほとんど驚愕して尋ねた。

「…………へへっ」

 ジョーはイタズラした子供のように、明るく軽やかに笑った。

「てめぇ……!」

 俺が新たな一発をくれてやろうと振りかぶった直後、ジョーは音もなく、ゆっくりと、その場に横になって倒れた。



 俺は生きている。

 だが、「負けた」という気がした。



 俺は足でジョーを転がして、仰向けにさせた。そのまま腹の上に乗り、撃鉄を起こした。

「言え」

 俺は短く聞いた。

「この、この106つの首は、何だ? お前は本当に、ジョー・レアルか?」

 さっきの子供みたいな笑みをそのままに、ジョーはゆっくりと口を開いた。腹を撃たれて、ひどく苦し気な息遣いだった。

「俺は、ジョー・レアルだ……他の……誰でもないよ……」

「じゃあこの首は何だ!? 何がどうなって、106がお前の首になった!?」

「…………わからないのか……?」

「なに?」

「……わからない……のなら…………」

 ジョーの瞳から急速に生の光が消えていく。俺は胸ぐらを掴んで引き起こし、顔の前まで持ってきた。

「言え! このクソッタレが! 悪魔と契約でもしたか? 呪いか? 言うんだ!」

 ジョーの首から力が抜ける。この男は毎秒ごとに、どんどん死に近づいていく。



「汽車を…………知ってるか……?」 



 血が一筋垂れてきて、ほとんど開かなくなった奴の唇から、そんな言葉が洩れ聞こえた。


「……なに?」


「…………汽車と…………おんなじだ……………機関士のいない……汽車だ…………これは………」


「どういうことだ!」

 俺はじれて、ジョーを強く揺さぶった。

 ジョーはそんな俺の顔を見て、またイタズラっぽく、邪気なく、微笑んだ。

 それから眠るように目を閉じた。

 首がかくん、と前に倒れた。


「クソっ!」

 俺は荒っぽくジョーの死体を床に叩きつけると立ち上がった。

「ヘンリーズ」は、俺のいる場所を除いてほとんど床全面が赤い炎に染まっている。トゥコとブロンドの死体はもう見えない。モーティマーのそれは店の真ん中近くにあったから、かろうじてまだ見えた。

 俺は猛烈に腹を立てていた。今まで生きてきた中でこれ以上ないくらいに、故郷のテキサスで父親と母親を1時間かけて殴り殺した時くらいに腹を立てていた。だがジョーは死んだ。何も明かさないまま。

 眠るように死んでいるジョーの顔に目をやったら、さらに怒りが増した。

 逃げる前に、俺ができることを考えた。呪いか何か知らないが、それを台無しにする方法。死んだジョーに仕返しをしてやる方法──


 そうか。


 俺は炎を苦労してかいくぐり、モーティマーの死体の腰からナイフを抜いた。

 俺たちの目の前では研ぐばかりで、ついぞ使われたことのなかったナイフ。

 しかし俺は、これがよく切れる代物であることを知っていた。


 安らかな、綺麗な顔をして死んでいるジョーの元に戻り、俺は呟いた。


「そのまま逝けると思ったか?」

 返事をしないジョーの顔に向かって言った。

「悪魔か呪いか知らんが……お前が元凶だってことには間違いないだろ?」

 俺はモーティマーのナイフを逆手に握った。

「107つ目だ。お前で終いだ」



 膝をついて、ナイフをジョーの細い首の端から差し込んだ。

 肉と肉の隙間から血がプツッと出て、俺のシャツの胸や顔を汚した。

 俺はそんな死体の反撃に臆することなく、左手でジョーの髪を掴み、右手でナイフをぐいぐいと進める。

 確かによく切れるナイフではあったが、首の筋肉の厚みのせいでなかなか進まない。俺は汗みずくになって刃を上下に動かした。バーの中に渦巻く熱風も暑くて仕方なかった。

 首の半分まで刃が達したところで、太くて硬いモノに当たった。首の骨に違いなかった。

「ほら、見たことか」誰も聞いちゃいないのに俺は誇らしげに言った。

「血も出るし、骨もある。こいつはただの……人間だ」

 両手でナイフを握り、一気に首の骨を裂断した。

 106、いや、212の首を持ってきた奴らの苦労がしのばれた。



 骨を無理やり切ったせいで刃が欠けたのか、もう半分は先の半分よりも少し時間がかかった。飛んだり流れたりするジョーの血で、俺の手も膝もぬるぬるした。

 ナイフをもう2往復ほどすれば、と思っていたところに、俺のすぐ脇に天井の横木か燃え落ちてきて火の粉が舞った。上を見上げると、ボロくなっていた「ヘンリーズ」の屋根が一部だけ焼け落ちていて、そこから室内の煙がもくもくと外に逃げている。煙で咳き込むことがなかったのはあの穴のせいだったらしい。

 燃え上がる太い横木を一瞥した。ズボンの裾に火が燃え移りそうだったが、俺はかまうことなく作業を進めた。



 そしてついに、首は胴から完全に切り離された。

 ようやく俺は「勝った」という気持ちになった。

 炎の起こす熱風を全身に受けて、目がパサつく感覚を覚えながら、立ち上がって首を持ち上げて、まじまじと見てやった。

 偽物でもない、「ホンモノ」でもない。

 これこそが、正真正銘、本物の、ジョーの首だった。

「へ、へへっ……」

 俺は笑った。愉快で痛快な心持ちだった。


 ジョーは107つ目の首になっても面変わりもせず、さっき死んだ時と同じに、静かに安らかな顔つきをしていた。

 首を切り落としたらそのまま捨てようか15万ドルに変えようかと悩みながらナイフを動かしていたが、そのツラを見ると、後者の選択肢は一瞬のうちに消えた。

 俺はまた敗北感に打たれまいと、「あばよ」と言って、炎の壁の向こうに首を放り投げた。

 首は紅蓮の中に消えて、すぐに見えなくなった。 

「……ざまあみろ」俺は火に向かってそう呟いた。


 血にまみれたナイフは、ジョーが持ち込んだ誰かさんの首の入った箱に戯れに投げつけた。綺麗に刺されば気分がよかったろうが、柄が当たって箱は軽い音を立てて落ち、床の火の海に飲み込まれた。

 ──首が入っているのに、ナイフが当たったくらいで簡単に落ちるものだろうか?

 そんなことを数秒考えたが、首を横に振った。そんなことを考えている場合じゃない。ここから出ないことには、俺は仲間3人とジョーと、山ほどの首と一緒に心中ということになる。


 俺は足元を見た。ジョーの首のない死体がある。

 そこからポンチョの布を剥ぎとった。首を切った時に出た血にまみれて濡れている。

 左右の窓の方にはもう進めそうもないが、出入口への方角には炎の壁の薄い部分があり、濡れたこいつを被って突撃すれば行けそうに見えた。いや、もうこっちに行くしかない。

 俺は布を被った。俺より背の高いジョーの首から下を覆っていただけあって。俺をほとんどすっぽり包んでしまった。きつい血の臭いが鼻の奥に押し入ってきた。

 15歩ほどの距離。真っ直ぐドアまで走るつもりだった。その方向に横木や柱が倒れていないことを祈ろうとしたが、やめにした。祈るのも願うのも馬鹿馬鹿しい。ある時はあり、ない時はないのだ。


 右足を下げてから、俺は一気に駆け出した。

 布越しに炎の熱を感じた。火が足を舐める。テーブルの燃え残りが膝に当たった。

 何か布に入ったモノ──何かはわかっている──を踏みつけて転びそうになったが片足で体を立て直した。その直後俺の背後でたぶん天井の大半が床に落下する音が聞こえたが一切気を払うことなく直進しつづけた。

 俺の左肩に、板のようなものがぶつかった。右足は板のようなものを踏んづけた。


 ドアだ。


 バーの外には数段ばかりの階段がある。俺は布を取り去ろうとしたがべとつく血のせいで間に合わなかった。足が宙を踏み、俺は外に転げ出た。




 …………転がった時に体を丸めていたのがよかったのだろう。したたかに腰と背中を打ったが、俺は首の骨を折ることも失神することもなく、布を頭から剥いで、その場に立ち上がることができた。

 荒野の土の香りがしたが、目の前は真っ赤だった。顔面が血にまみれているせいだと思ったが、両手で目をこすっても真っ赤なままだった。


 俺たちが根城にしていた廃屋のバー、「ヘンリーズ」は、今まさに、赤く赤く燃え落ちようとしていた。



 西部の、雨も降らない、乾ききった空気と土地。

 火の粉が散り、木の焼ける臭いの隙間から、血肉の焦げる香りがかすかにするような気がした。

 俺の知っている何もかもが燃えて、どんどんと炭になっていくに違いなかった。



「みんな燃えちまえばいい」

 俺はひとり呟いた。本心から出た言葉だった。

 みんな燃えればいい。山ほどの首も、それを入れていた袋や箱も。

 トゥコの死体も、モーティマーの死体も、ブロンドの死体もみんななくなればいい。

 倉庫に突っ込んであったいろんな道具もだ。酒瓶も、ナイフも、蹄鉄も、なにもかも。

 それに、時々女を殺してその指を削ぎ落とさないと気が触れちまうモーティマーが集めていた、油紙に包んだ何十本もの女の人さし指も。床下に何包みも置いてあるやつだ。

 全部消し炭になって、何もかもなかったことになればいい。

 そうして俺は、そしらぬ顔をしてまた西部を歩き──



「あんた」

 すぐ後ろで声がした。

 振り返ると、今朝、ひとつめの首を持ってきたあの「おかみさん」が立っていた。

「なにが……なにが起きたんだい?」


 朝、俺たちの鼓膜をいじめ抜いた胴間声とはうってかわって、死にかけた病人に語りかけるような優しい声だった。

「家から煙と炎が見えたから来てみたらさ……あんた、こりゃあ、一体……」

 半ば言葉を失っているようだった。 

 そりゃあそうだろう。今朝は立派に立っていたボロいバーが炎に包まれていて、そこからジョーに賞金をかけたならず者のうちのひとりが転げ出てきたのだ。しかも、顔から胸から手まで、血みどろで。


「へえ」俺は抑揚のない声で言った。「おかみさん、この近くに住んでたのか」

「そうだよ……今夜は旦那がいないから、走ってきたんだ……ねぇあんた、大丈夫かい? どうしたって言うのさ?」

「…………はは」

 俺の口から、乾いた笑いが出た。

「どうしたもこうしたもねぇさ。話せばひどく長くなるんだ。どこから話せばいいかわからないくらいにな。ははは。あんたにゃ信じられないような恐ろしいことが、そりゃあもう、たくさん起きた。話して聞かせたいのは山々なんだがな──」

 俺は銃を抜いて、血でぬめる親指で撃鉄を起こしながら、「おかみさん」に向けた。

「俺は今、ひどく機嫌が悪いんだ」

 そう言って、引き金を引いた。

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