90 ~ 99

●90

「どっちだか」での殺戮は、頭に血が上っていたせいか、いつもの倍のような速さでコトが動いていたように感じた。

 しかしこの時、ジョーを襲撃するときは、全てがゆっくりになって見えた。

 両隣にいたモーティマーとブロンドの肩を叩いたあたりから、少しずつあたりの景色も人間の動きも、俺自身の動きも遅くなったように感じた。

 モーティマーがゆっくりと──もちろん普通の速度だったろう──岩の上に身を投げ出したのと一緒に、俺とブロンドは岩陰から飛び出した。気つけに酒を飲んでいたトゥコは、数歩遅れた。

 駆け出したが、足が重いような気がした。すぐ後ろでライフルの発砲音があり、墓石の右側にいた奴が体をのけぞらせてそのまま倒れた。

 俺たちはもう40歩ほどの距離に詰めていたから、奴らの顔がわかった。ジョーの仲間、しかも腹心にあたる奴らとなると、流石に根性が据わっているものだ。俺たちの襲撃に一瞬動揺を見せたが、その直後に全員が一斉に銃を抜いた。数発をこっちに向けて撃ってから、そこらの墓石に身を寄せようとした。そのうちの一人は間に合わずモーティマーの餌食になったが、その弾は運よく、あるいは運悪く、肩に当たった。

 ライフルはジョーを狙えなかった。奴はハニーの墓石の前に、まるでちょうど隠れるようにしゃがんでいたからだ。

 俺たちはそのまま足を止めることなく、墓場へと一直線に走った。何発も何発も撃ちまくって牽制して、反撃の機会を潰しながら走った。墓石がピシピシ削れるのがこの位置からでもわかった。

 さっき肩を撃ち抜かれた野郎の手に、こっちの弾が当たった。なるほどあいつは運が悪い。向こうは思わず、といった様子で墓石から身体を出して拳銃を拾おうとしたが、そううまくはいかない。俺がブロンドかの弾が側頭部に当たってそいつは死んだ。 

 向こうはジョーを含めてあと3人。こっちは4人で、しかも狙撃主がいる。

 勝った、と思った。その瞬間だった。


 ハニーの墓石の後ろにしゃがんでいたジョーが、ゆっくりと立ち上がった。


 そんな馬鹿な、と思った。あれでは俺たち4人に狙ってくれと言っているようなものだ。

 だがジョーはそんなつもりはないらしかった。

 死ぬつもりもなく、奇策もなく、ジョーはただ堂々と立ち上がった。

 両足を開き、腰から大ぶりの銃を抜いて、両手でしっかりと握った。

 俺にはその姿が、その姿全体が、巨大な大砲のように見えた。


 銃口から一閃、光が走り出たと思ったら、何か鋭いものが俺のすぐ脇をかすめて背後に飛んだ。岩の砕ける音がしたから振り返ると、モーティマーの黒い帽子が岩陰に消えるのがわかった。撃たれて死んだのではない。とっさに隠れたのだ。


 ──ライフルでもないのに、狙撃手のいる岩場にぶち当てたのか?

 銃を握った手を伸ばして、剥き出しになったジョーの身体を撃ち抜こうとして、俺はぞっとした。


 ここまで近づいてわかった。

 銃を構えたままで、ジョーは俺を見ていた。

 目が合った。

 その目は「お前たちだな」と言っていた。

 ハニーや仲間を、バーに集まった奴らと店主を殺した。

 その汚名をすべて俺たちになすりつけた。

 自分たちになりすまして強盗を働いている。

 それは、お前たちだな。

 目に怒りを越えた憤激が宿っていた。濁りのない、純粋な怒りが、全身から発されていた。

 俺とジョーが引き金を引いたのはおそらく同時だった。俺の弾は綺麗にどこかに外れ、ジョーの弾は俺の帽子を飛ばした──あと親指1本分下だったら、俺は脳の半分を失っていたろう。

「ジョー! やめろ! 伏せろ!!」あっちの仲間の叫び声が響いた。「逃げるぞ! 逃げるんだ!!」




●91

 ジョーの肩から煙が出ているように見えた。それが汗が乾くときの煙なのか、それとも怒りが形をとって目に見えているのかわからなかった。

 ジョーはもう1発ずつ、俺とブロンドの方に弾丸を飛ばしてきた。覇気のこもった弾に気圧されて、俺たちはそれぞれ、避けるにはさほど意味のなさそうな枯れ草の陰に隠れた。遅れてやって来たトゥコが俺のそばに来た。

「おいどうした。何故行かねぇんだ?」今日はまだ引き金を一度も引いていない男とは思えない態度で俺に言う。

「……何もせずによくそんな口がきけるな?」

 俺はカッとなった。トゥコの口に親指を突っ込んで、頬に伸ばした人さし指で口の内外をつまんでひねり上げる。そのままねじりもいでやろうかと思ったが、「痛ぇ! よしてくれ!」と叫ぶトゥコの声に我に返った。

「わかったよ! 悪かったよ! でもよぅ! そら、ジョーが逃げちまう!」

 草から顔を出すと、ジョーと残った仲間二人が駆けていくところだった。仲間を背負うように、羽根でも生やしてるように、3人は馬の方へと走る。

 もうそろそろライフルの射程外に出そうだ。先日の襲撃で足を軽くケガしたモーティマーは走れない。だから俺たち3人で、あっちの3人を仕留めなければならない。

 少し離れた枯れ草に身体を寄せているブロンドに目で合図を送った。それから3人同時に立ちあがり、駆けながらジョーを守る壁となっている2人をまず狙った。俺とトゥコは右側。ブロンドは左。

 とにかく未来の賞金首のジョーを殺さねばならなかった。残りの2人はとりあえず「排除」できればいい。

 ジョーは仲間に任せたのか、時折の反撃に加勢せずまっすぐに馬へと向かっていく。もう数歩で鞍にかけ上がる、と思った直前に、俺かトゥコの弾が右側の野郎の足に当たった。のめって倒れるそいつの向こうに、馬に乗って、その腹を蹴ったジョーの姿が見えた──


 俺は立ち止まった。


 足を軽く開いて、両手で銃を握り、狙いをしっかりと、遠ざかる奴の背中に合わせ──頭を狙うには遠かった──一発で、一発で確実に当たるように、引き金をじわり、としぼった。


 ──長く銃を持っていると、ごく稀にだが、ほとんど見えてもいないのに「当たった」とわかることがある。その感覚がこの日、この時にやった来た。

 見えはしなかったが、俺の放った弾は、ジョーに当たった。

 ジョーは落馬しなかったし、わかりやすい反応も示さなかった。だがたぶん奴の左の脇腹、おそらく死ぬか死なないか微妙なあたりに、弾が食い込んだ。それが「わかった」のだ。

 これは理屈ではない。ブロンドとトゥコがかすり傷を負いながらも、ジョーの仲間の残り2人を撃ち殺した後も、「わかった、と言うが、ジョーは逃げちまったぞ」と言ってきた後も、その確信は変わらなかった。

 ジョーは死ぬか、死なずとも重傷を負って、遠くには行けないはずだ。俺には、わかる。

 俺は揺らがぬ自信で目をぎらつかせながらトゥコとブロンドに、モーティマーに、そして「ヘンリーズ」で留守番をしていたダラスとウエストに何度も告げた。


 その晩のことだ。俺たちは幾度目かの話し合いを持った。


 ジョーが死にかけているか大ケガを負った。だが逃げられた。

 ……どこへ行った? 




●93

 おそらく賞金が15万だかになるまであと一週間もないだろうと思われた。その話だってどこからポロリと漏れるかわかったもんじゃない。

 つまり俺たちには、猶予がない。

 そう遠くには行けないだろう。しかし、コロラドを中心にして丸を描いて、3州ほどは見ておかないと取り逃がすかもしれない。6人全員でぞろぞろ探すにも時間がない。

「まいったなこりゃあ」酒瓶を片手にトゥコが頭を抱えている。「どうあっても手が足りねぇ」

「足も足りないな」モーティマーが珍しく冗談らしいことを言ったが、顔は笑っていなかった。

 ブロンドもどうにも困ったという風な様子で酒を飲んでいる。どこぞの飲んべえとは違って、きちんと椅子に座り、きちんとコップに注いで飲んでいるが。

「お前ら、それだけじゃあないぞ。ジョーが死んでいればいいが、セルジオの弾が当たっていなかったか──」

 俺は抗議するために身を乗り出しかけたが、ブロンドに片手で制された。

「もしも、の話だ。あるいはケガで済んでいたとしよう。そのケガを癒した後で……ジョーは何をすると思う?」

「そりゃあまぁ、復讐だろうなァ」トゥコが呟く。

 俺も頷いた。墓場で見たあの、何もかもが腑に落ちたといった表情、俺たちをにらんだあの形相を思い出せば、その選択をするのはほぼ間違いなさそうだ。

 俺は座り直した。

「俺たち4人……あるいは3人かもしれんが、顔を見られちまったからな。どんな復讐をされるかわかったもんじゃない。……おいウエスト、聞いてるか? こいつは6人全員の危機でもある。ここにダイナマイトでも投げ込まれてみろ。外にガトリングでも据え置かれてブチ抜かれてみろ。一瞬でこっちが先にお陀仏だ……。おいウエスト、何やってる?」

 さっきから視界の隅でカサカサと、ウエストはペンで紙に何やら書いている──いやこいつは字が書けないから、絵だ。

「お前、こんな時に何を描いてるんだ?」

「……さっき、手が足りない、って、言ったろ。トゥコが」

 ウエストは手を止めず、あまり目を上げないまま返事をする。

「それで思い出したんだ。昔──黒人仲間が、綿摘みがいやで、逃げたことがあった。その時の、農園の、白人が、腹を立てて言ったんだ。『手が足りない、あの黒いのを探すのに』って」

 ウエストはなぜか俺の方をチラチラ見ながら手を動かしている。どうも落ち着かない。

「……それで?」

「簡単に、言うとさ、手を借りたんだ。他の黒人のさ。そこらへんの農園に言って回った、こういう奴を見つけたら、カネをちょいとくれてやる、って──いやな話だろ」

「……そいつを、お前が見つけたのか?」

「そうじゃない。俺は、人探しには出なかった。でもカネはちょっと、もらったんだ」

 ウエストはそこまで言うと、描いていた何かを俺たちの方にパシッと音を立てて広げてみせた。

 俺たち5人はおおっ、とどよめいた。

 そこには俺がいた。

 髪を少し伸ばしてアゴ髭を生やして、目つきの悪い俺の顔があった。サラサラ描いたとは思えない出来ばえだ。

「さぁ、セルジオに、ブロンドに、トゥコさ。教えてくれないか、ジョーの顔を」

 ウエストは久しぶりにニカッ、と歯を見せて笑った。

「こういうのは、何て言うんだっけ? ニンソーガキ……人相書き?」


 人手が足りないなら、借りればいい。

 悪漢ジョー・レアルをやっつけるのに、平和に暮らしている何も知らない世間の皆様の手を借りるのだ。




●94

 それからは、「どっちだか」での殺戮のさらに倍の速さでコトが進んだ。 俺とトゥコとブロンドがジョーの顔つきを伝えると、ウエストはうんうん頷きながら試し描きする。鼻はもう少し高くだの目はもう少し優しくだのと言っていると、みるみるうちにジョー・レアルの人相書きが完成した。

 俺もトゥコもブロンドも頷いた。充分な出来ばえだった。

 すると後ろからは「こんなものでどうでしょう?」と声がした。

 見ればダラスが1枚の紙をこっちに向けている。さっきのウエストみたいに得意気な顔つきだ。

「過不足なく書いたつもりなんですがね? どうでしょうね?」

 その紙にはこう書いてある。



 この者、アウトローの仁義に

 反した者ゆえ、当方で賞金を

 かけるものなり

 生死を問わず 体を下記に

 持参した者には 10万ドル



「『アウトローの仁義に反した』ってのはうまく言ったもんだがよ、10万ドルなんて大金は……」

 トゥコはそこまで言ってふと口をつぐんだ。それからニッと笑う。悪い笑みだ。

「……払う必要はねぇ、ってわけだな?」

「そうです」ダラスが頷く。

「とりあえずジョーの体が届けばいい。その人には『カネは銀行にあるから、明後日にでも来てくれ』と言いましょう。手付けに1000ドルばかりなら前金でくれてやってもいい。引き換えの紙でも渡して、ではまた明後日、と言い、そして我々は」

「ここをすっかり引き払うというわけか」ブロンドが引き継いだ。

 いい作戦だ、と俺も思った。だが問題が2つある。

 1つ目。俺はダラスの後ろで黙っているモーティマーに近づいていった。

 案の定モーティマーはソワソワしている。奴は誰にも聞かれないよう小声で話しかけてきた。

「ここを引き払って、逃げるのか?」

「そういうことになる。持って来た奴がそこらへんの農夫ならかまわないが、俺たちより怖いタイプのならず者ってこともありうるからな」

「しかしな……」

「ともかく、賞金を踏み倒した上に『15万ドル』を手に入れたとなれば、こっちも追われる身になるだろう。少なくとも州を5つは離れて逃げなきゃいけない」

「だがな……」

 モーティマーはそのあたりのことはわかっているはずだ。しかし、例のアレを気にしているのだ。

 俺はさらに小声になった。「……床下の……アレが気にかかるのか?」




●95

 モーティマーは無言で首を縦に振った。

「そうだよな。俺以外の、誰にも知られたくないのはわかる」

 俺はつとめて優しい声で言う。

「……アレは、今のお前には、まだ必要か?」

「……ほとんど必要ない。最近の……」

「最近? まだやってるのか……? あれを……」

 モーティマーはそれには答えなかった。

「……最近のやつがいくつかあれば、何とか……落ち着くと思う」

 俺も深追いしなかった。こいつが夜中なんぞにここを抜け出してやっていることは、仲間内では俺しか知らない。というかそれをタネに仲間に引き入れ、ここを根城にしたのだが──

「じゃあスキを見て、それだけ床下から取り出してくれ。俺が5分ほど無人の時間を作ってやるから」

 言っておくが、これは俺の優しさではない。15万ドルを手にした後で、こいつの気が狂いでもしたらコトなのだ。こいつにはしばらくちゃんと正気でいてもらわないといけない。

「そうか……感謝する」モーティマーは小さな声で俺に言った。

 感謝されて悪い気はしない。たとえそれが、猟奇的なことだったとしても。


 問題2つ目。

「しかし、村や町の野郎やアマの手を借りるってなってもよ、死体をこんな所まで運んでくるってなぁ、難儀だよな?」

 これは俺がモーティマーとひそひそ話している間に、トゥコが提出していた。

 そうだ。ジョーはもう死んでいるか、死にかけている。その死体を、たとえばどこかの村のじい様が見つけたとしよう──その身体を数日内に運んでこれるか? 

「重たいよな」ウエストか云わずもがなのことを言う。だがもっともだ。こちらとしても、もう少し世間の皆様に譲歩する必要がある。義憤と、幻の「10万ドル」を目指して頑張っていただける皆様のために、もうちょいと持って来やすい……運びやすいような条件を……

 俺の頭の中で思い出されたものがあった。俺は紙を引き寄せて、「持参した者には 10万ドル」の下の空白を丸で囲った。

「ここに一言、大きめに字を加えよう」俺は押し出すように言った。

「こうだ。『首のみでも可』、だ。……確か15万ドルを出す偉いさんも、そんなことを言ってたんだろう?」

 しかし実際、世間一般の人が、人の首を切るなんてことをしますかね……? とのダラスの反論を俺は退けた。 

「あくまで『首のみでも可』だよ。それになダラス。10万ドルだぞ。10万ドルというカネがもらえるかもしれないんだ。カネの力はお前も知ってるだろう? しかも一生遊んで暮らせる額だ……」

 納得しきっていない様子ではあるが、ダラスやゆっくり幾度か首を振った。「それなら、まぁ……わかりました」


 俺はウエストの描いた人相書きと、「この者、アウトローの仁義に」云々を書いた紙を両手に持って掲げて、宣言するみたいに5人に向かって突き出した。


「いいか? じゃあこの人相書の下に、この文章を印字して山ほど刷って、ここいらの州のあちこちにばらまく。

 時間がない! 印刷屋のケツを蹴り上げて朝から刷らせて昼までには終えて、そこから夜にかけて馬でばらまくんだ!

 “クソッタレのジョー”を葬り、15万ドルを手に入れる! あとは楽しい極楽暮らしが待ってるぞ! さぁ、やろう!」




●96

 …………極楽どころじゃあなかった。人相書きをばらまいた翌日から待っていたのは、212の生首が持ち込まれる悪夢と、106のジョーの首に囲まれる煉獄と、そして、ジョー・レアル本人が現れるという地獄だった。


 ジョーは服の中にゆっくりと、手を差し入れた。俺たちは身構えたが、出てきたのは銃ではなく、1枚の紙切れだった。ジョーはそれをまたゆっくり、首の高さまで掲げた。

 俺たちが印刷屋を脅してタダ同然で刷らせて昨日ばらまいた、ジョー・レアルの手配書だった。仁義にもとる。10万ドル。生死を問わず。バー「ヘンリーズ」まで持参。首のみでも可。

 ウエストの描いた人相書は、そのすぐ隣にあるジョー・レアルの、胴にくっついている顔によく似ていた。ウエストは絵描きにでもなるべきだな、とどうでもいいことが一瞬、頭によぎった。

 ジョーは紙を掲げたまま、一言も言わないままだった。だが俺には、俺たちにはわかっていた。


 俺を陥れて、名を騙って強盗をしている奴らがいる。

「仁義にもとる」なんてのは真っ赤なウソだ。

「アジトが襲われている」と教えてきた奴がそこにいる。

 俺を墓場で襲撃したのもお前らだ。

 そして、首の持参場所はここになっている。

 これは全部、お前たちの仕業だ──


 そんな声にならない声を想像した直後、紙を手から離したジョーはこう言った。



「お前たちが、ハニー・ウェルチを殺したな」



 手配書はすらり、と流れるように、俺の足元へと飛んできた。仁義にもとる。10万ドル。生死を問わず。バー「ヘンリーズ」まで持参。首のみでも可。


「ハニーだけじゃない。仲間だったクリフや、チャックにジャンたち……。それに、バーに集まった、俺の仲間になりたがっていた人たち……。みんなを殺したのは、お前たちだな」


 咎めるような調子ではなかった。だが細く鋭い芯の入った口調だった。あの墓場の時のような怒りはなく、全てがわかっていて、それをただ突きつけるような口調だった。


 その言葉のあと、鼓膜が痛くなるほどに、「ヘンリーズ」の中は静かになった。

 その静寂は、俺たちが有罪だと認めた証明でもあった。



「…………やってやれっかバカヤロウ!」

 突然、トゥコが叫んだ。叫んでのしのしと歩き出した。




●97

 ジョーに手を出すのかと思ったが、トゥコはカウンターの方へと足を向けた。

「バ、バカ! 動くな!」ウエストが詰まりながらとがめる。


「バカヤロウ! これが動かずにいられるか? 立ったり座ったりしたままでいられるか?」

 トゥコはすごい剣幕でカウンターの裏に回り、箱のひとつに手を突っ込んだ。「クソッ、暗くてわかりゃしねぇ!」と声が大きく響く。

 俺たちは奴の様子を呆然と見ていた。ジョーは無表情で眺めている。

 トゥコは箱の中身をがちゃつかせながら、言いつのる。

「ジョーを恨んでよぅ! いろいろ策を立てて! 全てうまくいったと思ったら! 生首が212届いて! そのうちの106がこの野郎の生首だと思ってたら! ジョー本人が来て! 俺らにザンゲでもしろって言うんだぞ! こんなわけのわからん状況だ! ……そら、あった! こいつだ!」

 トゥコはどん、とカウンターに封の空いていない瓶を置いた。

「よう! これが飲まずにいられるか? ってんだ!!」

 ランプの暗い明かりの中で、ギラギラした目つきのトゥコが瓶のフタを開けた。

 コップも不要とばかりに瓶ごと持ち上げて口につける。

 そうだ、こいつはまだ、俺が襲撃の報酬にと買ってやった「リザード」に手をつけていなかった。

 いま奴が飲んでいる瓶の横についているマークは、酒飲みならばみんな憧れる、トカゲのマーク──



 ──ではない。



 そうじゃない。ランプの光でチラチラ見えるのは、トカゲではない。灰色の、もっと太った生き物の、そう、ネズミだ。いつか、そうだ、ジョーがハニーと結婚したという話を持ち込んできた日に奴が買ってきていた、あれだ、ネズミがひっくり返り、その姿に真っ赤なバツが書かれている──



 殺鼠剤だ。



「トゥコ!」

 俺は絶叫した。

 それと同時にトゥコは瓶を口から離して、こう言った。

「……なんだ? こりゃあ……」

 それが奴が、最期に飲んだモノの感想だった。




●98

 トゥコは顔をゆがめてから、胃のあたりから何かがせりあがってきたように上半身をぐりっ、とよじった。それからカポッと開いた口から、半透明で赤黒い液体を「グェエッ」と吐き出した。

 腹と胸を押さえて、老いた馬みたいに全身を痙攣させながら、よろついた足取りでカウンターの裏からこっちに出てくる。

 その間も間断なく、小さな身体をひきつらせ、奴は口から体液を吐き出す。逆流したそれは鼻の穴へ遡り、さらに目へと上がって、目から鼻から口から、顔の中の穴という穴から半透明の、いや、もうすでに赤黒く濁ったモノを噴き出し続けた。ちょうどそこに吊られたランプのせいで、その様子はよく見えた。

「な…… ゲェッ…… なんだ……?」

 血を吐きながら断片的に呟いている。顔面はすさまじく紅潮し、そのまま膨らんで爆発してしまいそうだった。

 俺たちは凍りついたようにその姿を見つめるしかなかった。

「おい…… おい…………」

 吐血を続けながら右手でカウンターに寄りかかり、左手で俺たちを招く。助けを求めているのではない。自分の現状がまるで理解できなくて、誰かに尋ねたがっている様子だった。

 がくん、と右手の肘の力が抜けたと同時に、ぶよついた血の塊のようなものが口から転げて出た。汚い音を立てて飛沫をあげて床に落ちたそれは内臓の一部にすら見えた。

「…………み……みず…………」

 顔面を真っ赤にして、トゥコは床に膝をついた。

 げぇっ、と再びえずいて、再びトゥコは塊を吐き出した。それはもう赤くなく、ほとんど黒い色をしていた。

「み……ず…………水を…………水を……くれ…………」

 それは、毎日毎晩酒ばかり飲んでいたトゥコの口からはついぞ出たことのない言葉だった。

「水を…………」

 それを最期に、奴の目から生気が抜けた。

 ただの肉の塊になって、生きていた時よりさらに小さくなって見える身体は、床に音を立ててうつ伏せに倒れて、そのまま、もう動かなかった。


 ランプがちりちり言うのの他には、何の音もしなかった。

「そんな」

 沈黙を破ったのはウエストだった。ランプの光の真下で、頬を震わせている。

「そんな」

 ウエストはもう一度言った。

 俺はその呟きに背中を押されたように動いた。

 顔面が真っ青になっているトゥコの死体の脇を通り、カウンターを回って、トゥコががちゃつかせていた瓶の入った箱を覗いた。

 空き瓶だらけだ。酒の匂いを発する邪魔臭いそれらを掻き分けてみると、その中に1本だけ、手のついていない酒があった。1本きりだった。

 俺はそれを手にとってまじまじと見た。確かにそれは俺が買ってやった「リザード」だった。

 瓶の形は確かに殺鼠剤とそっくりだ。真っ赤なトカゲがうねるマークと、ひっくり返ったネズミに赤いバツがついているラベル──似ていると言えば似ている。そして光と言えばランプしかないこの暗さだ。そして奴は疲れ、怯え、焦っていた。


 だが、こんな、2本を取り違えるということがありうるだろうか?


 ありえないことではないだろう。しかし…………。 

 俺はカウンターの向こうからジョーを見やった。奴はさっきの場所から微動だにせず、顔だけをこっちに向けていた。

「…………お前か?」

 俺は腹の底にいやな重たさを覚えながらジョーに聞いた。

「…………どうやった? 呪いか? 魔法か? ここには封の開いてなかった瓶は──」 

 両手でそれぞれの瓶の首を握り、ジョーのいる方向にドン、と置き直した。

「酒と、殺鼠剤の、2本しか残ってない……この2本から──お前が殺鼠剤を選ばせたんだろ? どうにかしてトゥコに──」

「言ったはずだ」ジョーは俺の言葉をさえぎった。

「俺は何もしていないし、何もしない、と。起きるべきことが起きるだけだ、と──」

「世迷い言はたくさんだ!」

 今度は俺がさえぎった。手で「リザード」と殺鼠剤をなぎ払った。瓶は2本とも壁に当たって砕けた。

「『起きるべきことが起きるだけ』だと? じゃあこれは偶然だって言うのか? そんなわけがない。ふざけるな! 酒と殺鼠剤が1本ずつ残り、お前が来たタイミングで、トゥコが酒を欲して殺鼠剤を飲んじまうなんて、そんなバカなことがあるわけがない!」

 そう叫んだがジョーは答えなかった。図星だからではない。俺を見ながら首を小さく横に振った。「お前は何もわかっていない」と言いたげだった。

「クソッ……ふざけやがって……!」俺の脳天に血が昇り我を忘れそうになったその瞬間。

「あぁ……そうか…………」

 いやに冷静な声が、バーの中に響いた。

「酒と毒が1本ずつ……なるほど、そういうことですか……」

 頷きながらそう口から漏らしているのは、椅子に座ったままのダラスだった。

 そういうこと? どういうことだ? 俺にはわけがわからなかった。

「どういうことだダラス? 何か……何がわかったんだ?」

「……いえ、わかったというか、『そう考えれば筋が通る』というか……」

 ダラスは何故か腋の下から銃を取り出した。奥方を撃ち殺してからはついぞ抜いたことのない銃だ。

「突飛な思いつきだとは思うんですが……ふふ…………」

 奴は何故か含み笑いを洩らした。

「いや……これをやったら、皆さん私がおかしくなったと……思うでしょうな…………ふふふ……」

 6発が入るリボルバーの弾倉をひとつずつ回している。弾をひとつ取り出して、回す。次の弾倉は弾が入ったまま送る。それから次はまた弾をひとつ取り出し…………

 それを繰り返して、カラと弾入りが交互になった弾倉を作り上げた。

「やってみましょう」

 独り言みたいにそう言って、座ったままでその銃をジョーに向けた。




●99

 ダラスは5、6歩ほどしか離れていないジョーの、顔のあたりに狙いをつけた。

 声は冷静だったが、その額にはどろりとした汗がいくつも浮いている。

「なにしてるんだよ」

 ウエストが震える声で言う。

「ダラス、何を思いついたのか知らないが、それは……」

 そこまで告げてブロンドが絶句する。

 俺は奴の意図がはかりかねて一言も口に出せなかった。モーティマーも口をつぐんでいたが、頬が硬くなっている。奥歯を喰いしばって、ダラスの姿を見ているのが見てとれた。

「まぁまぁ皆さん、見ていてください。たぶんこれで……」

 ダラスはためらいなく、引き金を引いた。



 ──かちり。



 空っぽな音が沈黙の中に跳ね返った。

 ……カラだった。


「なるほど、まぁそう簡単にはいきませんね。なるほどなるほど。じゃあ今度は、私の番ということで」

 ダラスは撃鉄を起こして弾倉をジャラッ、と回した。それから手の平で押さえてその回転を止めると──

 そのまま銃口を、自分のこめかみに当てた。

「お前っ……!」

 俺は思わず声が出た。それとほぼ同時にウエストとブロンドが「おい!」「やめろ!」と叫んでいた。モーティマーも口を開くだけは開いたが、言葉にならなかった。

「大丈夫です。大丈夫ですよ。これが正解……というか、正解への正しい道なんですよ。そうでしょう? ジョーさん?」

 ダラスはまっすぐにジョーを見つめながら言った。ジョーは表情もなく、動きもなく、ただまっすぐにダラスを見返していた。

「だんまりならだんまりでいいんですよ」

 ダラスの声色は夜の森みたいに静かで冷たかったが、それに反して顔面には脂汗がべっとりとにじんでいた。肉で二重になった顎から、その汗がぼつり、ぼつり、と板の床に落ちる。

「これを繰り返していけば、私かジョーが死ぬんです。仮に私が死んだとしても、次はセルジオがやればいい。それでもダメだったならモーティマーがやって、それからウエストがやって、最後はブロンドが……やる順番はどうでもいいですが、いやいや、全員でやらなくても、ジョーは倒せるでしょう。まぁ悪くても、3人目くらいには」

「ダラス」

 俺は危険な熱を帯びていく奴の言葉を抑えるように静かに声をかけた。

「やめるんだ。そんな博打みたいな、命がけの博打みたいなことはやめろ。どうなってるのか気づいたとか言っていたが、お前……お前……正気じゃないぞ」

「私は正気ですよ!!」

 ダラスは目だけを俺の方に向けた。銃口はこめかみに当てたままぴくりとも動かさず、目と口元だけが動いた。

「同じ顔の生首だらけで、生首の本人がやって来て、仲間がひとり毒を飲んで死んだ、この状況は確かにまともじゃあない、あなた方も度を失っている、でも私は恐怖しながらもね、考えていたんです、そしてひらめいた、解決策を思いついた、これこそが解へとつながる公式なんですよ、いや、私は今、ペンを持って答えを書いているところです、大丈夫です、理性がこれを導いたんです。私は正気です。理性を持っている。だから、やるんですよ!」

 拳銃を扱いなれていない人間の性質として、ダラスは力んで握るように引き金を引いた。



 ──かちり。



 また、カラの弾倉だった。


 もはや汗みどろになった顔面の真ん中の鼻の穴から、ダラスは荒く息を吹き出しまた吸い込んでいる。

「ああ……恐ろしい……しかし、『生きている』という感じがしますね!」

 そしてまた撃鉄を起こし、弾倉をジャラッ、と回す。

 俺はそのダラスの目を見た。確かに狂ってはいない目だった。

 興奮はしているが、理性が宿っていて、自分は正しい道を歩んでいると確信している目だ。

 だがこんな、生首が106つあり、その生首の本人が現れ、そいつが実のあることを何も言わぬうちに仲間の1人がわけのわからない不慮の死を遂げているこの状況。

 この状況においてまるっきり理性的で、あるいは論理的で、もしくは正解にたどり着いたと思っていること。

 それ自体が、狂っているのではないだろうか?


「じゃあ、ジョーさん、次はあなたですからね? いきますよ?」

 まるで事務的な口調で告げてから、ダラスは銃をジョーに向けた。

 ジョーは無表情で、まだ動かないままだったが、その時たった一言、ダラスに向かってこう言った。


「正解も不正解もない」


 ダラスの小さな目がグッ、と見開かれた。


「じゃあ、試してみましょう」


 ダラスは三たび、引き金を引いた──




 途端に、耳慣れたような炸裂音がダラスの拳銃から発された。

 火薬のはぜる音だった。しかし銃弾が飛び出た時の音ではなかった。

 ジョーはそのままの姿勢で、さっきと変わらずそこに立っている。

「ぐ…………! ああっ…………!」

 ダラスの手が、引き金を引いた右手が、グチャグチャに破裂していた。

 床に、変形して紙クズのようになった拳銃が落ちている。


 ──暴発したのだ。


 奥方を殺してから2年、たぶん手入れをしていなかったからだろうか? いや、しかし、このタイミングで──


「クソッ!! ふざけやがって!! クソッタレめが!!」

 俺の思考はその罵声でかき消された。ダラスはいつぞやよりもさらにひどく、聞いたこともないほどに毒づいた。

「これが正解のはずなのに!! どうしてこうなるんだ!!」

「──言ったはずだ」

 目の前の光景に動ずることなく、ジョーが平べったい口調でそう言う。

「正解も不正解もない。俺は何もしない。ただ、起きるべくして起きることが起こるだけだ、と」

「クソッ!! 痛ぇ!! ちくしょう!! クソ野郎!! クソ野郎どもめ!! お前ら、お前らみんな地獄に行っちまえ!!」

 潰れた右手首を押さえながら弱々しく立ちあがり、クソが! とジョーを一言罵倒してからその脇をすり抜けた。ジョーはそれを止めるどころか、視線すら送らなかった。

「クソどもめ! こんなことになるんだったら銀行員をやってりゃよかった!」

 ダラスは血のドボドボ吹き出る右手に、使い古したハンカチを左手で苦労して巻きつつ押さえ、出入口に歩みながら痛罵し続けた。ジョーを、俺たちを、俺たちの稼業を。

「何が自由だ! こんな……こんな……手が……! オレがどんなことをした!? ちくしょう! もう自由も銭勘定も悪党も御免だ!! くたばっちまえ!!」

 あまりにもみじめな姿だった。近寄るどころか声もかけることもできなかった。

 俺たちはただ、その遠ざかるみじめな後ろ姿を見送ることしかできなかった。

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