最終話 幸せな花嫁
目覚めるとメレフの青い瞳が見えた。昨日のことを思い出してしまって、頬が緩む。
「おはようございます、マリーナ。……朝から私を誘惑しないで下さい」
私はいつ誘惑したのだろうか。疑問に首をかしげると、メレフが困ったような笑顔を浮かべる。
「痛みはありますか? 体の不調は?」
尋ねられて確認しても、薬の為なのか痛みはない。
「大丈夫です。おはようございます、メレフ」
緩みきった頬を隠す為、メレフの頬に顔を寄せると強く抱きしめられた。
「……また私の理性の限界が試されていますね」
「理性の限界?」
私がメレフを試しているということはない。
「体を洗って、着替えましょう」
私を抱いたまま、勢いよくメレフがベッドから起き上がった。瞬きするとメレフの両腕に抱えられている。ふわりと空に浮いているような気持ちに笑うとメレフも笑い返してくれた。
二人で声を上げて笑っているうちに、メレフは私を浴室へと運んだ。
「え?」
「洗いますから、動かないで下さい」
「は、はい」
羞恥と混乱の中、私はメレフに隅々まで洗われてしまった。メレフ自身も全身を洗い、また私を抱き上げて体を乾かす。
別室には色とりどりの花々が飾られ、中央には美しいドレスが用意されていた。
「これは……?」
舞踏会の時に贈られたドレスとは全く異なる色合いと
「海の女神を
「はい。もちろんです!」
嬉しくて笑顔で答えると、メレフが安堵の息を吐いた。
「大胆過ぎる意匠なので迷いました」
「そうですか?」
胸元だけでなく、体の線がはっきりと出てしまう。こういったドレスは着たことはないけれど、メレフが贈ってくれるドレスなら嬉しい。
ガウンを着たメレフは、壁際の太い紐を引いて呼び鈴を鳴らした。
「私も着替えます。終わったら呼んで下さい」
メレフと入れ替わりに笑顔のゾーヤと数名の女性が部屋へと入って来た。
「おめでとうございます、マリーナ様」
改めて言われると、恥ずかしさに包まれてしまう。
「あ、あ、ありがとう……」
お礼を口にすれば、頬が熱くなっていく。ゾーヤと他愛のないことを話しているうちに、女性たちの手でドレスが着せ付けられ、化粧が施され髪を整えられた。
「マリーナ様、まさに海の女神ですわ。お美しい。それでは、メレフ様をお呼びしてきます」
女性たちも口々に褒めたたえ、退出していった。
戻って来たメレフは黒い婚礼用のロングコートに身を包んでいた。
「それは……」
結婚式の時、私が選んだ物だと見ただけでわかった。特徴のある黒鉄色の装飾糸、特別に作らせた金具。私の夢の結晶。
「……私の醜悪な仕打ちを思い出させることになると迷いましたが、マリーナの選んだ服を着て、やり直したいと思いました」
緊張した表情のメレフが跪き、胸元に挿していた白薔薇を私に差し出した。
「私と結婚して下さい」
咲き乱れる花の中、メレフに求婚されている。これは夢だと思った。私はまだ眠っていて、夢を見ている。そんな気がする。
「……マ、マリーナ? 返事を……」
困惑したメレフの声を聞いて、私の目から涙が溢れ出た。慌てた顔をして立ち上がったメレフが私を抱きしめる。
「やはり求婚からやり直すことは許してはもらえないでしょうか」
「違います。この涙は嬉しくて流しています。夢と思うくらい嬉しくて……」
青い瞳を見上げると、ますます涙が止まらない。
「私、メレフと結婚します。何度でも」
綺麗な顔で答えたいと思っているのに、泣いているのか笑っているのかわからない。
「ありがとう」
微笑んだメレフが、私の涙を唇で拭う。
「もう一度、結婚式を挙げましょう。準備は出来ています」
「はい!」
メレフに呼び戻されたゾーヤの手で化粧が直された。メレフが部屋から出て行くと、ゾーヤがそっと囁く。
「エフィム様も公爵様も結婚式で失態があったそうで、お二人ともここで二度目の結婚式をやり直されたそうです。変な所まで似てしまったと、昨日エフィム様が仰っていました」
メレフとエフィムと義父の三人は、心で繋がった親子だから似ているのかもしれない。
戻って来たメレフの手には、天鵞絨の箱。太陽に輝く海を主題にして作られた、
「同じ主題で新しく作らせました。以前の物は屋敷に保管してあります」
首飾りと耳飾り。薄く煌めく淡い水色のベールがついた髪飾りがティアラで留められる。
「とても似合います」
案内された鏡の中には、今まで見たことも無かった私が存在していた。白く透けるような肌が内側から輝き、紺碧色の髪がティアラの輝きを受けて煌めく。上気した薔薇色の頬と艶やかな唇。紫の瞳は宝石のよう。大きすぎてはしたないと隠していた胸は全体で見ると美しい曲線を描いている。
「……これが私? ……別人のようで驚きました」
「これがマリーナの本当の姿です。私の目には、いつも女神のようなマリーナが映っていました。……私が本当に好きな物がわかって頂けましたか?」
耳元で囁かれると鼓動が跳ね上がった。
「幼少の頃、エミーリヤに憧れていました。エフィムから奪いたいとも思ったこともある。今思えば、それは母への憧憬でした。その証拠に……」
鏡を見ていた私の顔がメレフの方へと向けられた。
「エミーリヤを抱きたいと思ったことは一度もありませんが、マリーナは抱きたいといつも思っていました」
至近距離での甘い甘い告白に、鼓動は乱れて頬が熱くなっていく。
「昨日は今日の為に我慢しましたが、今夜は覚悟しておいてください」
メレフの甘い宣言に、私は無言で頷くことしかできなかった。
メレフに抱き上げられたまま外に出ると、屋根の無い豪華な馬車が用意されていた。エミーリヤやエフィム、ジェイやゾーヤに見送られ、馬車は港町を駆け回る。
この町に来て知り合った人々が笑顔で手を振っていて、時には白い花びらが屋根の上から降ってくる。
「告知も何もしていなかったのに……」
「エフィムとジェイに協力して頂きました」
昨日、二人が出掛けていたのは準備の為と聞いて納得した。気の良い人々の歓迎を受けながら、馬車は港町の隅々まで駆け回り、港の一角へとたどり着いた。
港の丘には白い石で出来た美しく整えられた階段があり、一番上には白いアーチ状の柱に金色の美しい鐘が掛けられている。エミーリヤと散歩した時、これは特別な時にしか鳴らさない鐘だと聞いていた。
「特別な船の送り迎えや、新年の行事、そして結婚式に鳴らす鐘です」
メレフと共に段上へと登っていくと優しい海風がベールと髪、ドレスのリボンをたなびかせる。
頂上まで上って振り返ると、エミーリヤやエフィム、ゾーヤやジェイ、子供たちの笑顔がはっきりと見えた。多くの人々も笑いながら手を振っている。
海のきらめきが白い柱に反射して、二人の周囲を美しく輝かせた。夢の中のような光景を一生忘れないようにと目に焼き付ける。
「これは、新しい婚姻の腕輪です」
メレフが服の隠しから取り出したのは、白金に青玉と紫水晶がはめ込まれた腕輪。メレフが私の腕から金の婚姻の腕輪を取り去って、新しい腕輪に替えて金具を留めた。
「私にも嵌めて頂けますか」
「はい!」
私もメレフの腕輪を替えると、立っている白い床に水色の魔法陣が広がった。
「この魔法陣は何ですか?」
「結婚の誓いを行う為の魔法陣です。私と同じ言葉を返して下さい」
カデットリ王国で行う婚姻の儀式とは違う。このヴァランデール王国での儀式なのだろう。
魔法陣の中央に立ち、両手を繋いで向かい合う。青色の魔法光をまとうメレフはお伽話の魔法使いのようで凛々しい。
「マリーナ、貴女を永遠に愛します」
「メレフ、貴方を永遠に愛します」
微笑みながら答えると、腕輪から金属がぶつかるような小さな音がした。
「何の音ですか?」
「腕輪が結婚を承認した証です」
「お伽話に出てくるような不思議な腕輪なのですね」
まるで、私自身がお伽話の中にいるような気がして心が弾む。魔法使いの騎士に助けられた愚かな女のお話は、結婚という幸せな結末を迎えようとしている。
笑顔のメレフに連れられて、金色の鐘の下に並び立つ。
「これは誓いの鐘です。私は貴女と最期まで添い遂げると誓います」
「私もメレフと最期まで添い遂げると誓います」
鐘の下に垂れた赤い綱を二人で持って引く。美しい鐘の音が響き渡り、人々から大きな歓声が上がった。
祝福の声の中、メレフがそっと囁いた。
「……貴女は私を捕まえてしまったのですから、もう逃げられませんよ」
「はい。一生一緒です!」
何があっても、もう二度と離れない。
「貴女がいなくなったら、私は狂ってしまうかもしれません」
青い瞳の奥。仄暗い陰りさえ愛おしい。メレフを狂わせたりなんかしない。微笑み返して手を伸ばせば、海の輝きの中で強く抱きしめられる。
私は、孤高の騎士を捕まえた。きっと、世界一幸せな花嫁。
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