読書感想文『不思議の国のアリス』――あるいは「アリスの冒険」における「〈アリス〉への冒険」について
白井惣七
はじめに
固有名の喪失は、アリスの全冒険を通して反復される冒険である。
Gilles Deleuze, *Logique du sens*.
『不思議の国のアリス』*Alice's Adventure in Wonderland* は、大小様々な冒険 adventure によって彩られている。『アリス』を繙くと、無数の冒険がおもちゃ箱をひっくり返したかのように飛び出してくる。その中で最も大きく、最も重要な冒険は、言うまでもなく『不思議の国のアリス』という題で語られ、第一章冒頭の「アリス」という固有名によって始められ、第十二章の「あの幸福な夏の日々」ということばで終わる物語の全体である。この最大の冒険を「アリスの冒険」と名付けよう。「アリスの冒険」という、書物全体に渡る物語については、すでに他の研究やエッセイなどで幾度も言及されていることと思う。私はこの「大きな冒険」についてここで何かを語ろうとしているわけではない。
私がここで考えてみたいのは、分量で言えば、「アリスの冒険」よりももう少しだけ小さい冒険である。それは「アリスの冒険」と並行して進む冒険である。この冒険のことを、私は以下では「〈アリス〉への冒険」と呼ぼう。この「小さな冒険」は、『アリス』の物語全体において非常に重要な位置を占めているだろう。おそらくこの冒険は、「アリスの冒険」と同じく、物語冒頭における「アリス」という固有名の宣言によって開始される(もしかすると、第一章の * * * による区切りがあったあとの「とっても変な感じ!」というアリスのセリフから始まると考えたほうが良いかもしれない)が、その終わりは、おそらく第十一章に位置付けられる。そして第十一章は、法廷における白ウサギの象徴的な次の宣言によって終わる。「アリス!」
「〈アリス〉への冒険」は、この意味で「アリスへの冒険」でもある。だが〈アリス〉という特殊な表記は、単に、小説における用語法にのみ関わるというものではない、ある重要な意味を帯びている。それはアリスの同一性 identity に関わるものである。あらかじめ結論を先取りしてしまえば、「〈アリス〉への冒険」とは、アリスの同一性を巡る冒険である。言い換えれば、アリス自身が、〈アリス〉という自己の同一性を失い、それを取り戻すことによって完結する冒険である。この読書感想文では、アリスの同一性を巡って、不思議の国のあちこちで争われるこの奇妙な「紛争」を辿ることで、何が『アリス』という物語において問題とされ得るのか、ということを指摘し、さらには一般に、同一性ということがどういう意味を持ち、また「個体」individual であるとはどういうことか、ということについての哲学的な問題に接近してみようと思う。
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