魔王と勇者と姫、平成を生きる
初瀬明生
一章 平成生まれの異世界人
1-1 死から現世へ
「姫。ああ美しき姫。その高貴なる立場にもかかわらず、魔王を打ち倒さんとする勇気。大海を越え、我らが国を照らす光となりましょう」
そんなくっさいセリフから始めたのは覚えている。
「しかし同時に悲しいのです。あなたほどの人が、どうしてこのような危険な作戦に参加したのか」
「勇者様。私は望んで魔王討伐の作戦に加わったのです。後悔も何もありません」
彼女、ナディア姫は言った。謁見の間に続く大扉の前で、麗らかな髪を揺らし、気丈に言った。
暗緑色のレンガで積み上がった城内。歪な形をしたろうそくが、シャンデリアの上に居座り、広い空間を鈍く照らしている。そのエントランスとも言うべき場所には、毒々しい赤のカーペットが、左に、右に、前にと広がっている。
「この地に住む魔王。諸悪の根源である魔王。この者を倒せば、世界から魔を根絶できる。ですから私も勇者様たちに加わった次第です」
「姫……」
「ナディア、とお呼びください」
「しかし」
「出発する前に約束したはずです。姫ではなく、一仲間として扱ってくれと」
柔らかな微笑みを加えて言った。
「わかった……ナディア」
こちらの世界では『恋は盲目』なんて言うが、まさにこの言葉がぴったりである。扉の仕掛けを探しにカーペットを伝って、左に、右にと行った仲間たちがかわいそうだ。今になってそう思った。
「ナディアと初めて会ってから、長い年月が経ちました。私が生まれ育った聖都での修行、魔物との邂逅、そして聖都との考えの対立。様々な困難な道がありました。一体どれだけの人の力添えがあってここに来たのか。まさしく神の導きとも言えるものです。しかしそれは、栄光や平和に続く道とは言い切れない。ここからは、死線の領域です」
「……もちろんです。覚悟しています」
「ですから、ここで思いの丈を言ってしまいたい」
そう言うと、もったいぶるかのように息を飲み、長い間を作る。やがて身を翻し、あか
らさまに演技ばった動作でカーペットに膝をつき、
「ナディア。あなたの事を愛しています」
くっさい流れで恥ずかしいセリフを言ってしまった。
「勇者様……」
「急なのは承知。場にそぐわぬ言葉というのも承知。ですが、ここで言ってしまわねば、二度と言う機会がないかもしれません」
「……そんな事を、決戦の前に言わないでください」
「魔王との決戦の前、だからですよ。生きて帰られる保障などないのですから」
立ち上がり、恥ずかしそうに顔を横にやる。
「生きて帰れば、それでよし。ですがやはり……全員が無事に帰られる戦いではない」
「……覚悟の上です」
「勇者は人民の希望です。人を選別することなく、全ての人を分け隔て無く助けるのが責務。しかし今は、私欲が芽生えています。どうにかして愛する人を守れやしないか、と」
「……」
「あなただけは全力で守りたい。もし、もし魔王を討ち果たした時には、その先も、あなたを守りましょう。そして……!」
今度は真っすぐ顔を見た。
「生まれ変わっても、あなたを守りましょう」
「……」
「たとえどの世界に行こうと、どこに生まれ落ちようとも、あなたを探し出し、あなたを守りましょう。ここで命を落としても、生きながらえ寿命で命尽きても」
死線の契り、というものがある。兵士が戦地へと赴く際、生まれ変わりを用いて想い人に告白をする習わしのことだ。たとえ死しても生まれ変わり、また生きて帰ってきても、その後に寿命が尽きるまで共に生き、さらに来世でも会おう、という意味が込められている。片方だけでも充分成立するのに、両方用いるとやはり重いプロポーズとなってしまう。
「それは……」
「突然の契りをお許しいただきたい。願わくば、生きてあなたと共に」
「き、急にそんなことを言われても困ります。ですが……」
「私はあまりこの契りを好きではありません。まるで死が決まってしまうようで。ですが、あえて言わせていただきました。できることなら、生きて……あなたと……」
仲間が戻ってくる前に言った言葉は、それが最後だった。
神は世界を二分した。種族を、各々が住む大陸を、大海によって分け隔てた。まさしく天上人の気まぐれで分けたとしか思えない二つを挟み、大規模な戦争が起こる。
後にアイライル会戦と呼ばれる二種族間の戦いは、幾百、幾千の犠牲者を出した。その中には、不運にも俺とナディア姫の名も刻まれた。
魔王と勇者の戦いから発展したこの戦争。当時の俺からしてみれば、まさかここまで発展するとは思ってなかった。ナディアを守るため、兵や仲間を守るため奔走していたが、どこからともなく飛んできた矢に当たって、彼女は命尽きたのだ。
自分だけならともかく、ナディアさえ戦死したのは不覚、痛恨の極みである。そして、多くの仲間、人民も残すのか、というやりきれない気持ちも、激痛を感じながら抱いた。
薄れゆく視界には、鬨の声を上げて戦う二つの種族があった。各々の燎(かがりび)をもって刃を交え、鈍く光る金属同士を打ち合っている。その光が、姿が、次第に遠くなっていく。やがて感覚が消えていく。痛覚すら無くなっていく。泥に沈むように、ゆっくり、ゆっくりと意識がまどろむ。
結局、何も変わらなかったか。
ああ、こうやって人は過ちを繰り返していくのだ。一個人が何をしても無駄なのだ。結局は国の方針で恨みも敵も簡単に作ってしまう。違う種族同士は、相容れないものなのだ。
頭上に広がるは曇天。今にも雨が降ってきそうな黒さ。陰影がくっきりとつけられ、雲という存在をこれほどまでに主張している。まるで種族の未来を表しているようだ。
冷め切ったような、未だこの世を憂うような思いを秘めながら、意識は暗闇に溶けていった。
……。
……。
…………?
深い深い闇の中、ずいぶんの間漂ったように思う。だが、何の感覚もない。上下左右はおろか、時間の流れすらわからない。今どこにいるのか、何をしているのか。だが……暖かい感触がある。長い間忘れていた感覚が、今になってじんわりと全身を支配する。
意識があるのだ。なぜだ? 俺は死んだんじゃないのか? あらゆるものが薄れる感覚は未だに覚えているのに、なぜか今は意識がある。
物を考える頭はある。しかし混濁している感じ。なんとか考えをまとめようとするが、脳が思うように働かない。加えて全く体が動かない。言うことを聞かない。目を開こうと試みる。だが、瞼すらも開かない。
視覚が全く機能しないが、触覚だけは鋭敏だ。何だろう。不思議な感じだ。何かに包まれているようで、暖かい。
「――……!」
ん? 声が聞こえた。
「――……」
しかし聴覚も機能していない。ある程度は拾えるのだが、知ってる言語とは全く違う響きだ。これはどこの言葉だ? はて、言語は統一されていたはずだが。
その瞬間、急に何か不快感が押し寄せた。唯一機能している触覚。それが何かを捉えた。
自分の背中方面に生暖かい不快なものがあった。液状でいて、ドロドロとした粘性がある。
いやだ。気持ち悪い。しかし声が出ない。喉が詰まったような感覚。声帯を持っていないとすら思えるほど、全く声が出せないのだ。声も出せず体を動かすも、じたばたしたところで、さらに不快感は広がっていく。
だから、俺は苦肉の策で、
「おぎゃあ!」
そう叫んだ。まるで産声みたいだ、とわりかし冷静な心で思った。
◆
「今日はお前の大好物のカレーだよ。しかも豚さんだよ」
母が鍋を混ぜて言った。コンロと呼ばれる摩訶不思議なものに乗せられた鍋からは、鼻をひくつかせるいい匂いがした。ぐつぐつと煮え立った音に、濃い茶色のスープ。
「コーラは食事中に飲んだらダメだよ。さあ、早く冷蔵庫にしまいなさい」
父の言葉に、はあいと子供らしく返事をした。
今の状況、今いる世界については、意識を持ち始めてから数年経ってようやくつかめてきた。
まず自分のいる状況。俺は今目の前にいる二人、神代家の夫婦の元に生まれ暮らしている。現在は五歳。平成元年、7月5日にこの世に生を受けた。姓名は
今いるこの世界は、どうやら俺のいた世界、クラクルスではなく、地球という場所らしい。そしてその中にある日本と呼ばれる国。そこの山形県米沢市にこの家はある。
初めは情報収集が大変だった。しかし前もっての知識、考え方は生前のものとほぼ変わらないため、吸収するのはさほど苦はない。だが、新しい概念が多すぎて困惑した。日本語とか、元号だとか、全く馴染みのない暦とか、県とか市とか、もろもろの家電とか……。
色々な情報をもって、俺は別世界に生まれ変わりをしたのだと結論づけた。こんなに科学が発達した地域などは聞いたことがないし、ましてや日本語なんてものは存在しない。お偉い地位でも何でもない神代家の一人息子。生まれ変わる前の世界では考えられないほどの、平々凡々な身分だ。部下もいないし、命令できる権限もない。
……しかし、全く不満はない。むしろ、こちらの方に満足している自分がいる。
「さあできたよ」
前の世界では一切聞かなかった母の優しい声に、笑顔で応える。
運ばれたのはカレーという料理だ。ルーなるものを入れた野菜と肉のスープ。しかしスープにしてはドロドロしている。おぎゃあと叫んだ原因の物を想像してしまうが、それは止めておこう。
「おいしい?」
「うん、おいしいよ」
満面の笑みで答えた。温かな家庭、温かな食事。むしろ何を不満に思うのだろう。
前の世界では、家族なんてなかったも同然だった。幼い頃から厳しく育てられ、今の立場とは何たるやと、教育という刷り込みが日々行われていた。まるで人形だったな、と今になって思う。それに比べて今の生活はどうだ。素晴らしいじゃないか。
「ちょっと辛いな。コーラでも飲もうかな」
「こらこら。食事中にコーラなんて飲んではいけないよ。コーラだけに」
は? と思ったが、すぐに「おやじギャグ」だとわかったため作り笑いをする。子供を演じるのは、別に苦でもなかった。
だって最高じゃね? 働きもせず、食事や飲み物が運ばれてくるんだ。その中でもカレーとコーラは素晴らしい。特にコーラ! なんだあの飲み物! 甘いってだけじゃなく爽快感もある。もう最初に飲んだ時の、口の中でパチパチ弾ける感覚はびっくりした。
だから子供を演じられる。素晴らしい食事、今までなかった家庭……昔の仲間が今の姿を見たら、きっとびっくりするだろうな。
「あら、宅配かしら?」
インターホンの音が鳴り、母がダイニングから玄関へと向かう。
「お、電話が鳴ってる」
続けて父も玄関の方へと向かった。こういう文明の利器? に慣れるのもかなり時間は掛かったなと、カレーを食べながら思った。
とにもかくにも、俺は新しい世界に生まれ変わった。あの世界、二つの大陸のみが存在するクラクルスとは全く違う世界。科学が発達し、魔法(オルフォール)や聖法(ラフォール)の概念が一切ないこの世界に第二の生を受けた。
まさか本当に生まれ変わりがあるとは思いもしなかった。死線の契りは宗教めいた迷信だと片付けていたが、もう信じざるを得ない。実際に俺が経験しているのだから、否定などできない。
そうなると……ある可能性が頭に浮かんでくる。
ナディアも同じように、生まれ変わってこの世に生を受けているのではないか。
もちろん確証なんてない。少ない情報を集めに集めての推論だ。身勝手な約束の片っぽが叶って、少々欲張りになっているのも自覚している。しかしそれでも、と思うのが男心である。
この世界のどこかにナディアがいる。そんな希望を持つだけで、今まで心に引っかかっていたものが取れたような気がした。幼い心はもう、全力でナディアを探すことを決めていた。
しかし、人を一人捜すのは、並大抵のことではない。仮に生まれ変わったとしても、どこに生まれたのか見当もつかない。この日本かもしれない。どこか遠い異邦の地なのかもしれない。それに容姿だって変わっているはず。こんなもの、大海から狙った魚を一匹釣れと言ってるようなものだ。だが……。
前世で俺は、彼女を守れなかった。生まれ変わりなど信じていなかったが、切羽詰まった状況にいれば、死線の契りなんて恥ずかしいものも、容易く口から出てしまうらしい。あれは俺らしくない言動だったが、よもや現実になるとは思わなかった。だから今、今こそ、この約束を守るべきではないのだろうか。
途方もなく、果てしない探索となるだろう。しかしどれだけの年月、労力を掛けてでも探し出す。いるという希望だけで進んで見せよう。約束を胸にあがいて見せよう。それがたとえ、どれほど困難な道になろうとも。
そう、思っていた。だが……。
「和歌山のおばちゃんからミカンが届いたよ」
「オーストラリアに留学中のいとこから電話が来たぞ。来週帰るってよ」
あれ? 割と簡単に会えるんじゃね? と、最近は思うようになった。
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