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カフェオレ

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 寝付けないのは、夏の夜の暑さのせいだけではない。

 私には見えるのだ。

 私は夏が苦手だ。暑苦しいからという理由だけではなく、大量に発生する虫、こぞってテレビ番組が特集する幽霊。これらが嫌でたまらない。

 そんな私が今年の夏、あれを見つけてしまった。

 家のゴミ箱の蓋を開けるとそれはいた。

 それは醜い灰色をした『手』だった。手首から上が切り離されたような状態で五本の指が気味悪く動いていた。

 思わず声を上げて後ずさると『手』はゴミ箱から飛び出し棚と壁の間に入っていってしまった。

 それからというもの、ふとした時に視界の端に『手』を捉えることがある。もがくように五本の指で床を這っているかと思えば、壁を登り、天井にもいる。

『手』は家族の誰にも見えないらしい。


 いつあの『手』はいなくなるのだろう? いっそ見えなくなってくれればいい。


 そんなことをずっと思い続けている。

 あの日以来、常々『手』に怯え、心休まる時間など私には訪れていない。

 今日も『手』がいつ現れるかもしれぬ恐怖に怯え眠れないでいる。


 もう何時間ベッドに横になっているだろう。ようやく眠気が襲って来た時だった。

 カサッと、あの忌々しい音が聞こえて来た。音の出所は私のいる部屋ではなく、リビングの方からだ。

 今までなら震えて夜を明かしていたが、それまでに蓄積された鬱憤うっぷんが私を奮い立たせた。

「殺してやる」

 無意識にそう呟くと、私は部屋を出てリビングに向かった。

 扉を開けるとそこにいた。明かりの付いていないリビング。家族団欒をする食卓、その上を我が物顔で這い回る醜い『手』。

 反射的に私はキッチンから包丁を取り出す。

 そして静かに机に近づく。

「気付かれてはいけない。やつを逃すものか」

 どこかからそんな声が聞こえる。しかしその声色はまごうことなく私のものだった。

『手』との距離を詰め、私は何かに取り憑かれたように真っ直ぐ包丁の切っ先を『手』の甲に突き刺す。

 五本の指は悲鳴を上げるようにジタバタしている。包丁を突き刺した先からは止めどなく血が溢れる。

「ハハハハハ!」

 私は高らかに笑った。やったぞ遂に『手』を捕らえたのだ!

優実ゆみ、どうしたの?」

 リビングの明かりが灯されると共に母が入って来た。

「母さん、やったよ! 殺した! もうやつはいないのよ!」

「あんた、それ……」

 母は食卓に突き刺さった包丁の先を見ている。

 ようやく見えたのか、私がずっとこれに怯えていたというのに。

「大っきな蜘蛛ね」

「蜘蛛……」

「私がこの前倒したやつね。まだ生きてたんだ。てか、あんた机どうすんのよ?」

 蜘蛛? 何を言っているんだ。これは『手』だ! そう思い食卓を見ると先程まで血をほとばしらせ痙攣 けいれんしていた『手』はそこにはいなかった。そこには包丁が突き立てられた手のひらサイズの蜘蛛の死骸があった。

 足が三本欠けている。五本足の蜘蛛。

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