魔は堕ちる⑦

 魔族の国を人間が襲撃してから数日後、魔王アミスとその妻ミゼルの公開処刑が決まった。


 町は賑わい過ぎゆく人々皆が一様に笑顔になっている。ついには魔王処刑祝いのグッツが出る始末だ。


 会場には国内外から多くに人間が集まり、魔人族の絶滅を今か今かと待ち望んでいる。


 これで魔人族は完全に滅びる。それは人々にとって幸福以外のないものでもないようだ。幼い頃から魔人は悪だと教育されてきた人間からすれば当然の反応とも言える。だが、だからと言って同じ見てくれの生物が処刑されるのを楽しめるというのは、やはり倫理観がどこかおかしいのだろう。


 そしてその頃、とうの魔王アミスとミゼルは、国王からの煽りや暴行を受け、せめて妻だけでもという淡い願いすら無碍にされ、処刑を待っていた。


 既に体はボロボロ。先ほどの王からの暴行もそうだが、幽閉されてから今日まで、毎日のように兵士たちから暴行を受けていた。ミゼルは特に膨らんだお腹を重点的に殴り、蹴り付けられた。そして結果は当然のことながら流産。堕してから今日までずっとミゼルが呟いていた「ごめんなさい」という言葉がアミスの頭から離れない。


 艶やかで美しかった金色の髪は、今はもう遠い記憶。9割以上は真っ白に染まり、残る1割の金色がその凄惨さを逆に際立たせている。


 処刑まで残り数時間、この数時間が2人でいられる最後の時間だ。アミスは傷ついた体を引きずりながらミゼルのそばに寄る。そして手を首に回し強く抱きしめた。


「──ごめん、ごめんなミゼル。オレが弱かったから……オレが……オレが……! 結局、キミに何一つしてやれなかった……守ってやることもできなかった……ごめん……ごめんな、ミゼル……」


「──ないで……」


「──え?」


 妻の数日ぶりに発した悲鳴と謝罪以外の言葉。一方的に喋るつもりだったアミスはその言葉を聞き逃す。しかしそれを責めることなくミゼルは同じ言葉を紡ぎ出した。


「そんなこと……言わないで……! 私……は……あなたといられて……幸せ……だったよ……!」


 衰弱し切ったミゼルの精一杯の笑顔。側から見ればただ口を開いただけにしか見えないだろう。しかしアミスはしっかりと笑顔だと受け取った。


「──ッ! ……だけど……オレ! ……何一つ守れなかった……キミも、両親も……国のみんなも……2人の子供も……こんなオレといて……幸せだったって……ほんとに思えるのか?」


 ミゼルはアミスの顔に手を伸ばす。ゆっくりと、そして位置も安定せぬその手を、ミゼルは目元に当てる。


 彼女はいつの間にやら溢れていた涙を拭い、再び笑みを浮かべる。


「私……初めて、アミス様……と、会った時の……こと、覚えてるんですよ……! あなたは……お腹を空かせていた……私に、パンをくれたんです。自分だって……お腹を鳴らして、いたのに」


 今にも消え入りそうな声でアミスとの思い出を語るミゼル。もはや喋っている途中に死んでしまってもおかしくない。


「ミゼル、もういい! ……もう……無理して喋るな……!」


「ううん、喋らせて…… !……それからも……よく私の村に来て……食べ物を分けてくださったり……村のみんなの、手伝いをしてくれて……次第にみんなも……笑顔になって……」


「……ああ、……覚えてるよ。一緒にいっぱい、遊んだよな……」


 アミスはミゼルの気持ちを尊重した。生かすのならもう喋らない方がいい。だが、もう死ぬのだ。だったら最後の言葉を言わせてあげたいし、それを聞きたい。もう……生きることを2人は諦めたのだ。


「うん……楽しかったぁ……あの頃は……アミスって、呼んでたよね? ……戻して……いいかな?」


「ああ、好きに呼べ……! 民を失った王なんて……王じゃない。……今のオレは……ただのキミの夫……アミスだ」


「……アミス、私ね……告白されて……すごい嬉しかった……だけど……魔法を覚え始めたあなたが……ちょっと怖かった……だから断ってた……だけどあなたは、諦めずに……私に何度も……何度も告白してくれて……そして結婚を決めた後……あなたが小さな子供に……パンをあげてるのを、見て……あぁ、変わってないな! って……あの頃のアミスのままだって……安心したの……!」


 アミスはこの時初めて知る。自分は怖がられていたのだということ、そして子供にパンをあげる瞬間を見られていたのだと。それが恥ずかしくもあり、嬉しくもあった。


「魔法は……守るために覚えたんだ。みんなを……キミを守るために。でも……ダメだった……守れなかった……敵わなかった……情けないなぁ」


「情けなくなんか、ないよ……!みんなを守るために……必死に走る姿……カッコ良かった!」


 ミゼルは微力な手でアミスを抱きしめる。弱々しい、もうろくに食器すら持てないだろう。そんな手なのに……アミスには今までで一番力強く感じた。


「……ミゼル、オレたちは……死ぬまで……いや、死んでからも一緒だ……!」


「……うん……!」


 それから2人はその時までずっと抱きしめ続けた。お互いの温もりを、お互いの存在を最後まで感じられるように。


 ──鉄格子の開く音がする。そこには剣を腰にさした赤髪の少女ヴィクタは、冷たい表情で2人を見つめる。これから死にゆく者に敬意などまるで感じていない。


 ヴィクタは2人の首に縄をくくりつけ、処刑道具のある会場中心まで強引に引っ張っていく。


 ギロチンに固定された2人に、ヴィクタは冷め切った声で問いかける。


「貴様ら、カウザという男の魔人は知っているか?」


「カウザ……? 誰だそれ?」


 知らぬというアミス。その回答に苛立ちを覚えるヴィクタ。しかしアミスは本当に知らない。そんな男、見たことも聞いたこともない。父が話していたこともない。


「……そうか、まぁ貴様らの仲間ではないとは思っていたが。……では、処刑を開始する。このロープを──」


「──ねぇ、わたくしに提案があるのだけど!」


 突如会場入口から放たれた女性の声。それは今から処刑が行われる場には似つかわしくない、意気揚々とした弾む声。


 現れたのはニコニコと笑いながら豪華な衣装を身にまとい、よく手入れされた金の髪を引っさげた10代くらいの女性。声、衣装、髪、表情、その全てがこの場では異物だ。存在自体が合わないと言っていい。


「ねぇヴィクタ、私とてもいいことを思いついたのだけど!」


「……何故、ここにいらっしゃるのですか? イルメール王女」


 彼女の名はイルメール・アウフェーラ。ここ、アウフェーラ王国の第一王女だ。容姿はとても整っており、同時に魔法の天才でもある。魔法の腕だけ取ればヴィクタよりも上だ。


「ここは王女のような高貴な方が踏み入れる場所ではございません。汚れます故、お引き取りを」


「ふふっ! ありがとうヴィクタ。私の心配をしてくれるのね。安心して、私の案を伝えるだけだから」


「……案、ですか?」


「そう、案! みんながより楽しめる素晴らしい案だと自負しているわ!」


 ──楽しめる。またもや似つかわしくない言葉を笑顔で放つ王女。今から行われるのは処刑ではなく遊戯と勘違いしているのでは?と疑いたくなるほどだ。


「私の考えた案、それはね! ──奥さんの方だけ先に処刑するの!」


「──ッ? 一体……何故ですか?」


 これまで冷たく凝り固まっていたヴィクタの表情が驚きに変わる。それの言葉は当然アミスにも届いた。


「やめてくれ!! せめて……せめて妻と一緒に殺してくれ!! ──ぐっ!」


「ほら、魔王さんもそう言ってることですし、私の案を採用しません? そうすれば憎き魔王はさらに絶望を募らせるでしょう! どの道もう魔法を使うだけの体力もない、であれば危険もありません」


「やめろ! 頼む!!」


「…………それが、王女の望みならば」


「ふふっ!やはりあなた最高ね! じゃあ私は上で見てますので、お願いしますね!」


 そう言って駆け足で戻っていく王女。その足取りはとても軽い。まるで何かをやり遂げたような、そんな軽やかな足取りだった。


 ヴィクタは処刑台に立ち、剣を抜く。


「最後くらいは、望みを聞いてやろうと思ったんだがな……悪いが出来なくなった」


「やめろ! 頼む! 頼むから! 2人一緒に消えさせてくれよ! 頼む! これ以上オレに地獄を見せないでくれ!!」


 ヴィクタは上を見上げる。その視線の先には王、そして戻ってきた王女の姿。


「悪いが、それは無理な話だ」


 ── 2本あるロープのうち、一本のみが切られた。


 刃物の落ちる音がする。最愛の者に、命を刈り取る音が近づく。


 そんな時、アミスが最後に見た妻の顔は、──笑っていた。


「──アミス……愛してる!」


「── ── ──!!!!!!!」




 刃物は底をつき、光が舞う。紫色に輝くその光は、導かれるように天に舞う。


 刹那、鳴り響く歓声と拍手。中には口笛を吹くものまで現れる。


 はっきり分かれる光と闇。掲げられる両手に沈む頭。輝く瞳に虚な瞳。虚な者は小さく、口から漏らすように言葉を放った。


「……オレたち魔人が何かしたか? 約束を破ったか? 人間を騙したか? 国を襲ったか? 無抵抗な人間を殺したか? 幼い子供を容赦なく切り捨てたか? 歩み寄ろうともせず、一方的に迫害して殺したか? 大切なものを……殺したか?」


「何を──」


「──全部っ!! 全部お前らのことだ!!  約束を破ったのも全部! 騙したのも全部! 襲ってきたのも全部! 無抵抗者を殺したのも全部! 幼い子供を切ったのも全部! 迫害も全部! 皆を殺したのも全部ミゼルを奪ったのも全部……お前ら人間だ」


「魔人の貴様がそれを吐くか……そのセリフ、地獄で後悔するんだな──」


 剣が振りかぶられる。もう終わる。全てが終わる。幸せも、苦しみも、痛みも、絶望も、怒りも、全部終わる。


 ロープが切られ刃物が落ちる。妻が最後に残した言葉は「愛してる」。そして1人残された彼の最後は──


「──全員……殺してやる」




 胴と頭は離れ、地に恨み顔が転がる。繋がれた体がだんだんとその形をなくしていき、服が落ちる。消えゆく頭は、最後の最後まで人間たちを睨みつけていた。


「…………ようやく、ひと段落だな。これであとはのみ。それで私の復讐は──」


 ヴィクタはあることに気づく。命が潰え、霧散した彼の体が、転がる服に纏わり付いていく。そして、それは1つの生命体へと姿を変えた。


「……嘘……だろ……?」


「──やぁ、地獄から戻ってきたよ」


 消え去るはずだった光の粒子は、今し方殺したはずの魔王、アミスへと姿を変えた。


「さぁ、復讐の時間だ」

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