ビリオン
人間の頃は余り覚えていない。
暖かく幸せな日々は突如、苦しさに
泣いて瞼を腫らした両親が、横たわる自身の前では気丈に振る舞っていた。
気丈にあろうと、それでも隠せず目に涙が滲んでは顔を隠す。
そんな両親を見て、きっともう自分はダメなんだろうと思った。
次に目を覚ましたのはガラスの水槽の中だった。
といってもその時に自我などはなかったが。
人に命ぜられるがままに動く。
そんな自身を買い取った男が、少しだけ悲しそうに微笑んだ理由を知ったのは、世界から人間が消えたあの日だった。
(父さん)
鬼堂億長。
ビリオンと名乗る軍事衛生アンドロイド。
戦闘プログラムと医療プログラムをインストールされた彼が人へと変わったとき、父は目の前で眠りに就いていた。
ガラス管の中で冷たくなった肉体は、しかしまだ生きている。
生きている事を知っている。
(助けなければ)
状況は理解していた。
感情芽生えぬ人形だった時代の記憶が全てを教えてくれた。
(生かして起こさなければ)
ならばそう思ったのは、息子故の情愛が故か、アンドロイドの原則が故か。
(だが……どうやって……)
そう悩み続けて、どれほど経っただろうか。
(ここにいてもどうにもならない)
事態が動き出したのは、ピッタとの出会いからだった。
ピッタは男を護衛に一人つけ、ビリオンのいる場所へとやって来た。
自身の整備が必要となり、見つけたこの施設へと立ち寄ったという。
初めは警戒もしたが、冷たく眠る父の姿を見せればその心配もなくなった。
ピッタを護衛する男は人間ではなかった。
頭に奇妙な角のようなものを生やした彼を、ピッタはオメギスと紹介した。
オメギスは強かった。
野獣を鋭い五感で感知し、先手を打って飛び掛かり、短剣で急所を突いて仕留めて見せた。
ビリオンも無力ではない。
だが武器もなく、一体一ならまだしも、野獣に囲まれる様なことがあれば勝算は低い。
しかし、ここに背中を守るものが現われた。
「ここは私が守ろう」
ピッタは戦闘に向いていない。
ビリオンはオメギスを自身の護衛とし、外へ踏み出すことにした。
(父さんを人間のまま起こすには、黒の霧の影響を受けない肉体に変える必要がある。おそらく遺伝子レベルでの変換が必要だ。そんな設備は限られている。ここから一番近いのは……京都の総合医療研究所か)
こんな時代だ。放っておけば野獣に潰されてしまうかもしれない。
◇◆◇◆◇
遺伝子研究に使用されていたのか、その中には危険なウィルスもあった。
それ故、いざというときのセキュリティも完璧だった。
施設のすぐ近くに専用の地熱発電施設を構え、あらゆる不測の事態に対応出来るよう備えられていた。
故にまだ稼働していた。
老朽化して動かなくなった設備もあったが、目的の設備は整備すれば稼働が見込めた。
「待ってて、父さん」
ビリオンにとってそれは希望となるはずだった。
施設にはアンドロイドが眠っていた。
病院としての機能も持つ施設には、看護用、研究用、警備用と様々なアンドロイドが眠っていた。
「連れて帰る、には足手まといかな?」
稼働可能なアンドロイドは5体。
そもそもが医療施設のアンドロイドだ。戦闘に耐える者は少ない。
「オメギス。ここのセキュリティは問題ないよ。護衛は大丈夫だ。ピッタのところに戻ってくれ」
優先すべきは父。
非戦闘型のピッタだけに、いつまでもあの施設を任せてはおけない。
オメギスをピッタの所へ返し、ビリオンは5体を起こし、施設の復旧を進めた。
「まずは黒の霧に変異しない、肉体の研究が必要だ」
幸いにも少し前まで一緒にいたオメギスがそうだった。
彼から貰った血と細胞のサンプルを使えばいい。
父の血と細胞も必要だ。
「父さんはこっちに移すべきか? 無事な車両があれば装甲次第では野獣の中も抜けられそうだ」
◇◆◇◆◇
アンドロイドも自我に目覚めれば、同一型とて個性が芽生える。
そして個性は能力の優劣を分ける。
ウィシアとルナ。
“取り巻き”と“付き人”等と仲間内からも揶揄される2体の女性型アンドロイド。
警備型である2体は、確かに研究の役にはたたなかった。
そんな自分たちの立場を理解したのか、2体はビリオンに媚びるようになった。
(原則の三項目か……しかたない)
自己防衛は人間にとってもアンドロイドにとっても本能だ。
「君達には別の役目を任せたいんだ」
この設備の万が一のため、ピッタは父の眠っていた設備を今も守っている。
だが、スタート地点とゴール地点をしっかり守っていても、道程で転んでは意味がない。
「ピッタの所までの中継拠点を確保してくれないかな? 人員が必要なら、造った実験体を使っても構わないよ」
◇◆◇◆◇
順調だった。
そう思えたのも途中までだった。
組み替えた遺伝子から人を創り出すのは難しくない。
要はクローンをつくるのと一緒だ。
だが、生きた人の遺伝子を変換するとなると、まるで話が変わってくる。
(無理だ)
それでも諦めることは許されなかった。
人間を、鬼堂日出雄を捨てるという選択肢を、原則と息子という立場が採らせてくれなかった。
(自分たちで無理なら、出来る者を探すしかない)
その心当たりはあった。
詳細な場所までは知らなかったが、父の建造したシェルターが関東のどこかにあるはずだ。
以前は遠く危険で進行不能と言えた道も、今なら進めるだろう。
造られた命を犠牲という名の壁にして、野獣の牙を防げばいい。
シェルターが起動しているかどうか。
今やその方が心配だ。
「ライン、ヨハン、リンディア。東へ向かい、鬼堂シェルターを探すんだ。可能な限り武器を回収しながらね」
◇◆◇◆◇
「そして君を見つけた」
目の前に横たわるドワーフと呼ばれる新人種。
すでに黒の霧で変異し、人間でない者と見なされた野人が取り込んだ抗体によって再変異した人種。
ビリオンにとってそれは“人間”ではなかった。
既にその肉体はビリオンの目の前にあっても意識の中にはない。
ビリオンの意識にあるものは、その肉体から取り出した発信器。
「君なら或いはと思った」
ドワーフは人間ではなかった。
その意味するところはつまり、
「気付いてしまったんだね……」
だが、まだ終わりではない。
「オメギス」
「お呼びでしょうか?」
「ピッタのところへ。魔王を撃つときが来た。オペレーション“ヒャッキヤコウ”を発動す---」
突如暗闇が襲った。
「停電!? ここに限ってそれは……まさか……」
そのビリオンの最悪の予感は現実となった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます