第4話 白鳥の湖 第3幕

 明子が準備を終え舞台袖で軽く身体を動かしていると、傍らにいた久美を押しのけ青山が近づいてきた。

もう怒り心頭だ。明子の変化にも気づかないのかそんなことはどうでもいいのかこの人の思考回路はわからない。時間がないこんな時に、おまえの気持ちなんてどうでもいい。

舞台はどんな状況だろうと続けるしかない。

「片岡はどこだ。」

「誰?」

「はあ?」

と青山は初めて明子を見た。細い目がまん丸くなり驚いている。

今更と明子は思った。青山はこんなもんだ。私に興味がない。自分だけが良ければいいのだ。一緒に踊っていたときからそうだ。自分は演出、振付、主演もしているのに評価されるのは明子ばかり。なにが日本バレエ界の至宝だ。それは俺だ。

 青山は自分の演出が変わっていたことに腹を立てている。どうして変えられたのかもわからない。それはそうだ。何か月も同じことを繰り返し練習してきたものを本番の舞台上で変えられるわけがない。舞台はそんな簡単なものではない。青山には魔法がかからない? 

 明子はどうせ人のコピーになんだからいいんじゃないぐらいしか思っていない。それは自分の動きが変わっていないからだ。ロットバルトが他に影響しないように図っている。

ロットバルトが片岡だ。片岡 道だ。

 片岡かたおかどうはついこの間、俺様バレエ団から移籍してきた子だ。

 俺様バレエ団は某国の国立バレエ団でやっていた俺様が突然帰国し放送局をバックに始めたカンパニーだ。本当の意味での日本初のバレエカンパニーとしていた。団員全員給料制、スクールなんかやって月謝収入でカンパニーを維持するなんてナンセンス。と豪語していたが月々給料をちゃんと貰っていたのはほんの1部で女性だと海外で活躍していたプリンシパルの1人だけだ。放送局には5年契約の更新を1回しかしてもらえず、10年たって契約を見直され年間2億入ってきた収入がなくなった。

 俺様は前言撤回しスクールをあっちこっちで開校し人気ダンサーを校長にして生徒を集めている。団員たちにも外のゲスト出演は歓迎していなかったのを開放しそのギャラの20%をピンハネしている。

 道はそこのスクールからバレエ団に入りすぐにやめ淺櫻バレエにきた。

 ここからが青山のわからないところだ。突然ロットバルトを道にしたのだ。

青山の練習は団員たちにすべてのパートを普段から覚えさせているので急にその役をふられても踊ることはできる。

以前にも青山はどうしても1人のベテランダンサーが嫌になり、朝、バレエ団の玄関で待ち伏せし卵を投げつけたことがある。1つや2つではない。1ケース投げた。

ベテランダンサーはもちろんそれから姿をみせない。次の公演は「ジゼル」だった。

ヒラリオンがぽっかりと空いてしまう。しかも当日まで悩んでしまい。その朝にキャストを発表したこともある。

 その時とは状況が違う。

 とそこに3幕の衣裳姿の道があらわれる。

 青山が詰め寄らうと近づくと道が青山に向かって手のひらを翳す。

 と青山は微笑みなにも言わずに手を差し出し道と握手する。

 明子と久美は呆然とみまもる。

 魔法だ。

 青山は言いたいことも言わず、ぶつぶつ言いながらいなくなる。


 ファンファーレの音楽が響き幕が開いていく。

客席の藤川はさあいよいよだ。やはり3幕の黒鳥のグラン・パ・ド・ドゥは一番のクライマックスだ。今日は楽しみになってきた。隣の三田は3幕を観ずに帰っていった。終演後に打ち上げがないのだ。個別の接待もないと言っていた。

「藤川ちゃん、結末だけ教えてね。」

三田は2幕は寝ていたので魔法にはかからず、プロローグと1幕の演出でだいたいのながれがわかったので批評が書けるのだろう。ただ飯がないのだ、いる必要がない。


 舞台上は幕が開くと大勢の人で溢れている。

 青山の演出は幕が開いたときに派手にがモットーでどんな演目でも1人の出演者で幕開きをするのを嫌う。1人で客を魅了する者はそういない。ましてや日本人でそれほどのオーラと知名度がある者は皆無だ。歩く立ちだけのエキストラを雇えるだけ雇っている。

行進の中で道化の代りの王子の友人が舞台中央で呼ぶと各国の姫たちが現れるお付をともなっている。グリゴロービッチの焼き直しなので真ん中の姫が各国の踊りをやると想像がつく。少し考えたなと思うのは姫のお付の他に各国の王妃と王様がエスコートしているのだ。

チャルダッシュは王妃と王様が揃ってエスコートし、ルスカヤとスペインは王様だけ、ナポリは両方、マズルカは王妃だけ。その国のイメージで配列しているのだろう。団員の数なのかもしれない。

藤川にただ単にジークフリードの花嫁探しをするだけではなく、ゆくゆくはこの国を治めていく王子のために彼を紹介し確固たる同盟を結びこの国の平和を保つためのイベントだと感じる。お見合いに来ているのに親がいないのも変だと思っていた。うまく、やっている。

 青山は新演出に合わせてドロップや袖幕を新しくしたかったんだろうなと藤川は察する。10年ほど前に新白鳥と銘打ち助成金を集めすべてを一新した。

今回もすべてを変えようとまえの衣裳、舞台装置を一括である国のバレエ団に売ろうとした。そこに横やりが入る。ノルマーのキツイバレエ団が国からの4千万の助成金で新しく作った舞台装置をそのバレエ団に売ったのだ。青山は資金調達ができなくなり新しく加えた役の衣裳とドロップをリホームするしかなかった。青山が国にノルマーのキツイバレエ団のしたことチクると、国はノルマーのキツイバレエ団に5年間の助成金を廃止する。

 ノルマーのキツイバレエ団の団長は自分の名前の団のしたことなのに事務局が勝手にしたことで私は一切知らなかったと主張しなんの責任もとらず名ばかりのロイヤルバレエ団のスクール校長を今も堂々と続けている。

 

 舞台袖で出番を待つ明子の前で各国の踊りがくりひろげられる。

 スペインで始まり、チャルダッシュ、ナポリ、マズルカ、ルスカヤの順番だ。なるべくバレエ団の粗が出ないような振付になっている。青山の唯一の才能といっていいだろう。バレリーナの実力をみてパを組み合わせてる。全員がトウシューズ。日本のバレリーナたちはキュラクターダンスをやってきていない。すべての団員が留学経験があるならばいいがコンクールばかりに追われてきた彼女たちにはキャラクターシューズの踊りは弱すぎる。色気もない。トウシューズでテクニックを競わせた方がいいという結論だ。

 ルスカヤが終わり、各国の姫たちと王子の踊りになる。

 この後がオディールとロットバルトの出番だ。

道はここまで一言もしゃべらず、もくもくと身体を動かしている。初めての大役で緊張しているのか、もともと無口なのかまだ付き合いが短いので明子にはわからない。

ただ顔つきはとてつもなく優しく、どこか懐かしい。2幕では被り物をしていたので顔つきや表情がわからなかったので、今まじまじと見ると道はすてきだ。明子は彼ならすべてを任せられると安心する。こんな感じ方をする後輩は初めてだ。先輩ダンサーで1人だけそう思った人がいたが、今年の初めに逝ってしまう。

 明子の初の白鳥のときロットバルトをやってくれた。とてもおしゃべりな方で舞台袖で出番の直前までいろいろな話をしてくれた。為になる話だけではなく、くだらない話やスケベ話もあった。暖かい時間だった。まったくタイプが違うがこんな年下なのに道に同じような安心感がある。

「緊張してる?」

明子はどうしても道に話しかけたかった。こんな質問しかできない自分の方が彼に緊張している。

「いえ。」

と道は答え。明子がそのあとを促すようにみつめると

「とても楽しくて、うれしいです。」

と言い明子の手を握る。

出番だ。このまま道がエスコートし2人は舞台に走り出る。


 まさに夢のような時間だと明子は思う。身体の痛みを感じることなく踊れ若さを取り戻しているのだ。いつまでも続けと願う。本倉のサポートもロットバルトに守られてスムーズだ。道のリフトは軽々と持ち上げてくれて気持ちがいい。

 オデットの影が舞台上に現れたとき回りの出演者が本当に凍り付き影が消えると開放される。

 アッという間のアダジオだった。客の歓声、拍手も本物だ。まさしく舞台は麻薬だ。一度あじわったらやめられない。

 男性ヴァリアシオンはチャイコフスキーパ・ド・ドゥの音だ。本倉はソロは上手だ。いくつかのコンクールで上位にきているほどだ。とくにジャンプが高くていい。

 道に導かれオディールの明子が音楽とともに登場する。ブルメイスティルの女性ヴァリアシオンだ。最初の回転は音で下りられないんじゃないかと思うほどにポアントにのれる。いつまでも回ってられる。ジャンプも軽やかに跳べた。次のピルエットも引き上げ高いところで早く回れている。続けてピケアンデダンのマネージにはいり間にジュッテを入れることができ舞台の隅々まで使えた。最後のポースはシャッセからルルベアップしアチチュードで止まった。自分で下りるまで上で動かなかった。若いときのコンクールのようだ。

 明子は拍手を浴びながらこみ上げるものがあったがまだまだと冷静にならなければと自分に言い聞かせる。コーダの前にロットバルトのヴァリアシオンがあるのでいいインターバルになると舞台からはける。

 ロットバルトのヴァリアシオンは昔観たヴェトロフのようだと明子はびっくりする。

こんなダンサーがうちに来てくれたことに感謝だ。あーそれよりも彼は魔法使いだった。

回りがこの状況を素直に受け入れているのだ。なんてたって心地いい。

 ジークフリードがシャセグランジュッテでコーダが始まっていくパッセトゥールアラベスクからピルエットをし上手から下手にグランジュッテで移動する。


 客席の藤川

「さあ、いよいよだ。」


 別の客席で片岡道隆はまだ心配している。


 明子は舞台中央まで走り出でパドブレからピルエットをしフェッテを始める。最初のピルエットも自分で何回、回ったかわからないほどスムーズでそのあとのフェッテの体力やバランスなどまったっく気にせずにやっている。稽古場のようだ。床の硬さも平気何の不安もない。ダブルを途中にいれたりトリプルまでも挑戦している。失敗したらどうするの途中でとまったらどうするの、とは微塵も思わない。音楽にのっているだけだ。数えてもいなかった。

「さあ、まとめるよ。」

と明子は調子にのり最後の一回をアラセゴンのまま回り、アラセゴンからルチレにもってきてピルエットで回り5番ルルベでポーズする。もう何回、回ったかまたわからない。

ただ拍手でコーダが中断してしまう。

 本倉はすでにでてきて5番で待ちプレパレーションしようとしていた。

この拍手では音楽が聞こえない。ポーズを崩し拍手にこたえている明子をみまもる。とロットバルトが現れ明子をエスコートする。

 明子がはけるとロットバルトは後ろにまわりこみアラセゴンターンを始めようとする本倉を制しプレパレーションからアチチュードアラセゴンターンを始める。

 もう見守るしかない。聞いてないよと本倉は思う。そして、ドラえもんがよくついてきているなとも。

ロットバルトがポーズで終わるとわれんばかりの拍手だ。

「そりゃそうだ。すごかったもん。こんなアドリブありかよ」

と呆れているとロットバルトが

「次はおまえだ。」

というように手を本倉に差し出す。

「しょうがないな。ドラえもんついて来いよ。」

本倉もアラセゴンターンをする。

終わると拍手の中音楽は続きオディールがバディシャ、パッセルチレアラベスクを繰り返しながら王子の前にきてプリエソッテをしながらルルベアラベスクで下がり、中央にソッテアラベスクで出てきてパドブレ4番ピルエットからリフトされ王子は傅きオディールは不敵に微笑み後にのけぞる。

 また拍手が鳴りやまない。 

 明子は

「もう死んでもいい」

こんな瞬間がまた味わえるなんて。

 ロットバルトが現れ拍手をおさめ、芝居を続ける。

 王子は王妃にオディールが僕が選んだ人だと告げていく。

 ロットバルトは再びオディールを呼び王子にこの女性だなと念を押すように愛を誓わせる。と舞台は一変する。舞台後でオデットが現れ手を羽根のようにバタバタとしている。

 ロットバルトとオディールは王子をだました成功だと不気味な笑い。

 藤川がここはロイヤル版と思った瞬間驚く。

 ロットバルトが魔法をとくようにオディールに微笑み身振りすると黒の衣裳が白に変わっていき4羽の中の1人の女性に戻っていく。そして手をとり走り去る。

 なんだこれはと息つく間がなく舞台は転換していく。紗幕のようなものが下ろされ、王子も後を追い王室が湖に変わっていく。着替えが終わった数名の白鳥たちがすでに舞台上にあらわれる。

 




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