第四章 第七節 野獣の独奏

 恒星がスタジオに入っている日なので、この日はエカさんも来店する。エカさん以外の来客はまだなく、俺はエカさんと2人の時間を楽しんでいた。

 すると時刻が19時に差し掛かった頃だった。エカさんは恒星との店内での対面避けるため退店しようとしていた。そこへあの人がやって来たのだ。


 カランカラン


「あ! ヒナ!」

「あら。エカもいるじゃない。ちょうど良かったわ。夏休みが明けたらまた授業と就活で忙しくなるんだから飲むわよ」

「え、え……」


 エカさんは困惑した。そりゃそうだろう。ツンデレ弟がもうすぐスタジオから下りてくるのだから。しかし待てよ。そのツンデレ弟はお目当てのヒナさんとも出くわすのではないか? そう気づいた俺はエカさんに対して手のひらを下に向けた。


「エカさん、ステイ」

「えぇ……」


 エカさんは渋い表情をするものの、親友と恋人からの引き留めに渋々従った。恒星を気にして退店したかったのだろうが、せっかくなんだから恒星がどんな反応をするのか一緒に見たいと思う。


 すると注文を終えて飲み始めたヒナさんが、突然俺に人差し指をピンと向けて言う。


「バイト君!」

「な、なんすか?」

「今度エカを泣かせたら失神させるから」


 ぽかーんとしてしまった。エカさんはどこか照れたような表情だ。どうやら俺は一度エカさんを泣かせたことをすっかり知られているらしい。しかしビリビリっと気持ちが入った瞬間、ヒナさんに真剣な表情を向ける。


「安心してください。これからは嬉し泣きをさせるくらい幸せにしますから」

「格好いいこというじゃん」


 ヒナさんは満足そうにグラスを口に運んだ。エカさんが潤んだ瞳で俺を見てくれるのも嬉しい。


「うおっ! ヒナちゃん!」


 するとそんな時だった。恒星が下りて来たのだ。声も表情も驚いていて、こんな恒星を初めて見た。名前を呼ばれたヒナさんは目を見開く。


「恒星じゃん! 久しぶり! ん? あれ? エカと一緒に来てたの? あぁ、だからエカはさっき帰ろうと」


 シスコンツンデレ弟にとってはくすぐったい部分を容赦なく突くヒナさんである。一方恒星はと言うと、ホールと廊下の間で立ち尽くしている。いつも生意気な恒星だから、なんだか新鮮で痛快だ。

 すると思い立ったようにヒナさんが言った。


「せっかくだから恒星も一緒に飲むわよ!」

「え! 俺も? 高校生だよ。単車の運転もあるし」

「ソフトドリンクで勘弁してあげるし、奢ってあげるから」

「じゃ、じゃぁ、ちょっとだけ……」


 面倒くさそうな態度を示す恒星だが、どうしてかそのオーラが嬉しそうだと感じさせる。俺はエカさんと目を合わせて笑った。

 暫くそんな若いメンバーで歓談をした。恒星も楽しそうで、初めて彼の笑顔を見た。確かにヒナさんに対してはデレているようにも見える。エカさんとの席にも嫌な顔を見せないのは、ヒナさんに対して気分が上がっているからだろう。


 すると次の来客があった。


 カランカラン


「あ、河野さん。いらっしゃい」

「おう」


 やって来たのは高齢で白髪の弁護士、河野さんだ。河野さんは弱った足腰で若者の席に近づいてくる。珍しい光景を見るかのような表情だ。


「ん? ヒナと姉弟もいるじゃないか」


 俺、ぽかーんである。河野さんはエカさんと恒星をまとめて姉弟と言ったか?

 この場ではヒナさんが2人の関係性を知っているのは確かだ。俺は最近知ったばかりである。しかしツンとした恒星に調子を合わせていたエカさんだから、この姉弟が店内で一緒になったことはない。今日が初めてだ。

 それなのになんで常連さんである河野さんが姉弟だと知っている? そもそも恒星とも面識があるのか?


「河野さん! シー!」

「ん? なにをだ?」


 慌ててエカさんが渋い顔を作り、人差し指を口元に当てて河野さんに向ける。一方河野さんはなぜそんなことをするのか解せない様子だ。ヒナさんはその様子を黙って見ているが、恒星はどちらかと言うと河野さん寄りで、姉のジェスチャーの意味がわかっていないと言った感じだ。もちろん俺も解せない。


 それから数分後。面々の話を繋ぎ合わせて事情はわかった。すると河野さんの高笑いが鳴る。


「はっはっは! エカはパパ活って言ってたのか。確かに間違ってねぇな」


 豪快に笑った河野さんはウイスキーのロックを口に運んだ。エカさんは恥ずかしそうに真っ赤になって力んでいる。ヒナさんも恒星もエカさんを見て笑っていた。俺は呆れていた。


 実はエカさんのパパ活の相手は河野さんだった。ダイヤモンドハーレムとの対バンがきっかけでピンキーパークを知った河野さんだ。それから時々ピンキーパークの方のライブも観に行っていたらしい。それで私的交流か。

 私的交流と言ったらこの店の常連さんはみんな間違いなく私的交流だ。ピンキーパークとも、ここを拠点にしていた頃のダイヤモンドハーレムとも。


 数年前に奥さんに先立たれている河野さんは、最近足腰が弱くて不便している。子供さんは県外で独立しているらしい。弁護士事務所もそろそろ引退して施設に入ろうかとまで考えているそうだ。これを聞いた時ばかりはさすがに寂しくなった。

 そんな河野さんの不便を感じ取ったエカさんは何かと世話を焼こうとした。料理を作りに行ったり、買い物を代わったり、外出時の歩行のサポートなどだ。河野さんはそれに甘えることもあれば、時には遠慮してエカさんを外食に誘い、色々手伝ってくれるお礼にお小遣いを渡しているのだと。


 ――パパ活ではなくて介助の報酬じゃん。


 それでもまだ車は運転できる河野さんなのでエカさんを家まで送ったりした。そこでベースを背負った恒星とも出会った。尤も車の免許もそろそろ返納しようかと考えているそうだが。

 河野さんは高笑いを伴って続ける。


「はっはっは! 俺としては隠してなかったが、確かにエカに助けられてることは言ったことねぇわ」

「俺も」


 すると笑いながら恒星も続いた。まぁ、恒星としては店の利用客ではあったものの、この日までバーの常連さんとの交流がなかったからそうだろう。


「まさかエカのパパ活相手が河野さんだったなんて」


 ヒナさんも笑って続く。ヒナさん自身、エカさんにパパがいることは知っていても、それが誰かまでは今まで知らなかったらしい。


 もちろんこの場の誰もが河野さんとエカさんの交流をパパ活だと認識していない。エカさんを除いて。そのエカさんだけはご飯に行ってお小遣いをもらっているから、パパ活だと信じて疑っていなかったわけだ。それを笑われて今の羞恥である。

 しかもピンキーパークの私的交流どころか、ゴッドロックカフェの常連さんが相手なので、頑なにそれが誰なのかを秘密にしていた。特に俺はスタッフだから言いたくなかったらしい。これでやっと「バイト君だからバイト君にだけは絶対に言えない」の意味もわかった。


「はっはっは。どうせ俺のアレはもう使い物にならんから健全なパパ活だ。な? エカ」


 河野さんがエカさんに同意を求める。エカさんは目もギュッと瞑ってより恥ずかしそうだ。て言うかそのネタ、生々しいから実弟の前で言うなよ。複雑な気分になるから恋人の俺の前で言うなよ。まぁ、常連さんが俺とエカさんの関係を知るのはもう少し後だが。


 やがて時間が経つにつれて続々と他の常連さんがやってくる。この日は女子大生が2人いる店内に鼻の下を伸ばす人がいて、新顔の高校生ベーシスト――尤も今までもスタジオ利用の際、ホールを通過してはいたが――に興味を持つ人がいて、終始温かい盛り上がりを見せた。


 そんなゴッドロックカフェが俺は好きだ。だからそれから半年が経つのは、この日が来てみればあっという間だと思った。

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