第三章 第六節 野獣の独奏
移動中にヒナさんと打ち合わせは済ませた。ヒナさんがインターフォンを押して、俺はモニターに映らないよう気をつける。オートロックなので階を上がった玄関先でも同様だ。
そしてその玄関が開いた。
「うおっ! なんだてめぇ! 何しに来た!」
玄関先で驚いて凄んだのはカナメだった。俺はカナメにタックルをかまして土足のまま上がり込む。元々は俺の暴力が事の発端だから一応力加減は配慮した。
少し前にヒナさんがカナメにエカさんを迎えに行くと連絡した。カナメはヒナさんもそのまま連れ込もうと欲をかいたのだろう。ヒナさんにも宅飲みに付き合えと言ってきて、ヒナさんは少しだけならと答えた。だからこの油断だった。
すべてヒナさんの思惑通りだ。この時にカナメの自宅の場所も聞き出していた。
玄関を抜けた俺は勢いよく突っ切る。そこは明るく広いリビングだった。テーブルの上で菓子が食い散らかされ、アルコールの缶がそこら中に放置されている。
「んん! んんっ!」
くぐもった声が聞こえた。その方向に首を振ると、なんとエカさんがベッドで拘束されていた。スライドドアでリビングと間取りを分けた寝室で、ドアが全開なので照明を点けていない室内でも容易に視認できる。
広いベッドでエカさんは仰向けにされ、頭側にいるヤスがエカさんの両手と口を押えていた。足元にいるケンがエカさんの足を掴んでいる。エカさんはシャツを捲られ、デニムのパンツを膝まで下ろされ、上下の下着が露になっていた。
これは間に合ったと捉えていいのか? 普段なら動揺必至であろうエカさんの下着姿も、焦燥感が本来の目的を見失わせない。
ガシャンッ
その瞬間だった。俺の側頭部に鈍い痛みが走る。こめかみに手をやるとぬるっとした生暖かい感触があった。意識が朦朧とし、そんな中で手にべっとりついた血を見た。あぁ、俺の頭の血か。男の喚き散らす声も聞こえるが、耳が遠くなった感じもする。がくんと膝が折れて床に手をついた。
カナメが俺を背後からビール瓶で殴ったのだと気づいた。瓶の破片が床に散乱している。全く力が入らない。それなのに意識は失わないから激痛は感じる。マズい状況になった。
エカさんの足元のケンが移動したのが見えた。ヤスは相変わらずエカさんを押さえている。力が入らなくなった俺はカナメとケンから両手両足を縛られ、更に縛られた箇所同士を結束されて正座をさせられた。服は脱がされていて、パンツ一枚だ。場所はエカさんが抑え込まれているベッド脇である。
「てめぇ、性懲りもなく」
カナメからそんな言葉を吐かれ、殴られた。
「お前、こんな必死になってエカに惚れてんのか?」
「黙れ。エカさんを離せ」
「ふっ。そこでエカがマワされんのを見てろよ。どうせこいつ男に尽くすタイプだから喜ぶぜ? ついでにエカが犯されんのを見ながらお前が勃たせるのも楽しんでやるから」
カナメが、いや、ケンもヤスも含めて汚いナニカに見える。実際に品のない笑い方をしている。しかし悔しい。この拘束された状態でエカさんをどうやって助ければいいのか。やっと力は入るようになってきたのだが。
それなのに俺の体力の回復も虚しく、ケンが再びベッドに上がる。俺に焦りが生まれる。
「んん! んんっ!」
完全に怯え切っているエカさんが首を左右に振ろうとする。しかし口を押えられているのでそれも微々たるものだ。見ているしかできない自分が情けなく、これでエカさんを救出できなかったら俺は一生自分を恨むだろう。
そんな自分の非力を呪っている時だった。電気が放電されるような音が聞こえた。
ビリビリビリッ
「うっ……」
一気に視界が暗くなった。何が起きた? 突然悶絶しながらカナメが俺に倒れてきた。俺は上半身と頭を振ってなんとかカナメを引き剥がす。やっと視界が確保されるとカナメは見るも無残に失神していた。
「何やってんのバイト! グズ! ボケ! 木偶の棒! ソチン!」
怒鳴りながら俺を汚い言葉で罵ったのはヒナさんだ。ヒナさんが手に持っている物を見て震撼する。スタンガンだ。カナメはこれでやられたようだ。あぁ、車の中で俺に殺意を抱いた時、失神させると言った根拠はこれか。
「
いまだ俺の膝にいたカナメを足蹴りしてどかすと俺の背後に回った。
「こんな状況で暴力解禁に決まってんでしょうが!」
ヒナさんから俺への罵声は続く。どうやら俺の拘束を解いてくれるようだ。しかしそれに気づいたケンが動く。
瞬間。
ビリビリッ
ヒナさんがケンに向かってスタンガンを向けた。ケンは「くっ……」と言って怯んだ。
「どうしてそんなもの」
頬にヒナさんの髪を感じながら問う。
「パパ活してると時々約束を破って強引なことをしようとする禿がいんのよ。だから護身用」
一瞬、それならヒナさん1人でエカさんを助けられたのでは? とも思ったが、さすがに女1人で男3人を正面から相手にするのは無謀だと考え改めた。
「すいません。助かりました」
「遅いと思って来てみればなんで縛られてんのよ」
「さーせん。ビール瓶でやられました」
「……逆にそれだとどんだけ丈夫なのよ。どうせ暴力我慢したんでしょ? まったく、本当不器用なんだから。状況を選びなさい」
ヒナさんもあまり冷静ではないのだろう。散乱しているビール瓶の破片が目に入らなかったようだ。それでもヒナさんが拘束を解いてくれたので、俺はすぐに立ち上がる。
――なんだ、暴れていいのか。我慢して損した。
足元に転がっているカナメはとりあえず放っておいて、俺はケンとヤスを睨みつけた。
「ひぃ!」
ヤスから悲鳴が上がりエカさんから手を離した。ケンも怯えた表情で後退る。今の俺はパンツ一枚だからとても動きやすそうだ。これなら思う存分暴れられる。しかし。
「こないだは悪かった」
俺はケンとヤスに謝った。本当は足元に転がっているカナメこそ当事者なんだが、伸びているからこの際仕方ない。ケンとヤスは解せない表情だ。
「ここでエカさんを解放して俺たちが連れ帰っていいならもうこれ以上は何もしない。けど答えがノーなら二度と楽器に触れない体にする」
手を合わせるように指を伸ばしながら言った。すると振るえた声でヤスが言うのだ。
「危害を加える気なんてねぇって。この女が飲み過ぎて気持ち悪そうだったから介抱してたんだよ」
下着まで晒しておいてよく言う。それにエカさんは酒豪だ。酔い潰れるわけがない。とにかく彼らが観念した様子は見て取れる。
「ヒナさん、それ貸してください」
「ん」
ヒナさんは喉を鳴らしてスタンガンを手渡してくれた。ずっしりと重い。俺はそれを持ってベッドに上がった。
「ちょっ」
「ひっ」
ケンが慌て、ヤスが怯える。そんなことお構いなしに――
ビリビリッ
ビリビリッ
――俺は2人を失神させた。そこで俺はエカさんに目を落とす。エカさんはかなり怯えていて、こめかみは両目からの涙で濡れていた。
俺はベッドを下りるとスタンガンをヒナさんに返した。
「俺、服着るんで、エカさんを頼みます」
「了解」
先ほどは不意打ちを食らってビール瓶で殴られた。この身支度の間にケンとヤスが襲ってこないとも限らない。だから少しの間眠ってもらった。
俺が服を着終わる頃にはエカさんも服装を整えていて、ヒナさんに支えられていた。エカさんは泣きながらヒナさんに「ごめんなさい」と繰り返す。
「まぁったく、だから言ったじゃない」
ヒナさんは呆れた様子で応えていた。助けに来て救出には成功したものの実は俺、エカさんと気まずいままだ。なんと声をかけたらいいのかわからん。だからカナメの部屋を出て、来た車に乗り込むまでエカさんとの会話は生まれなかった。目も合わせることができなかった。
しかしヒナさんの指示で乗った後部座席。隣にはこれまたヒナさんの指示でエカさんだ。車が発進した頃、初めてエカさんが俺に向けて声を発した。
「助けてくれてありがとう」
「いえ……」
少しばかり照れもあってエカさんに目も向けず視線を下げた。すると側頭部が柔らかい感触で包まれた。俺はエカさんに振り返ろうとした。
「動かないで。まだ血が出てるから」
エカさんが自分のハンカチで優しく俺の傷口を押さえてくれていた。一瞬ルームミラーで運転席のヒナさんが薄く笑ったのが見えた。
帰路はヒナさんの運転が穏やかで、エカさんの触れている傷口が温かかった。
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