74 プロジェクターで、百合の刻印を捜す
ぼくが応接室に入ると、すでに萩原信之がソファーに座っていた。
ようやく陽が上り始めたころである。
ぼくは萩原と向かい合って座る。
「警察の調べは進んでいますか」
彼は身を乗り出して訊いた。
「発見された六人の遺体のうち、二人の身許が分かりました。一人はぼくの父、高木雅人、もう一人は尾崎勝利の妻真理子です。後の四人も、間もなく判明するでしょう」
「マスコミが、心配ですね」
彼の問に、ぼくは頷いた。
「警察は、いつ公表するのですか」
「今日か、明日か、だと思います」
「どうします?」
彼は腕を組んでぼくを見詰める。
「すぐ、役員を集めてください。ぼくから説明します。正面突破するしか、ありません」
彼は顔を両手で覆った。
「役員に何を話すのですか」
「すべてです。すべてを明らかにし、審判を仰ぐだけです。ぼくは、ぼくが持っている物すべてを投げ出します。審判に応えるために……」
「分かりました」
彼は立ち上がると、杖を突きながら応接室を出ていった。
ガラス張りのガーデンテラスで朝食をとった。
朝日が満ち溢れている。
初めてこのガーデンテラスに来た時から八か月経過している。あの日も朝日が満ちていた。
食欲がなかった。
コーンシチューを啜り、卵サンドイッチを食べた。それからコーヒーを飲み、三十分ほど過ごした。
ぼくの傍には、執事の大森が立ち尽くしている。あえてぼくに話しかけてこなかった。彼は誠実に勤めてくれた。役員会が終わったら、事の次第を説明するつもりだ。
ぼくは祖母の書斎に行った。
カーテンで閉ざされた暗い室内で、絵莉がプロジェクタ―を見ていた。
「どうだった?」
彼女はスクリーンを見詰めたまま訊いた。
「役員会を開きます」
「うん……」
「まだ、時間がかかりますか」
「……分からない。たしかに見たんだ、この部屋で。百合の刻印が刻まれた石板を」
「これから、自分の部屋に籠って、役員会で話すことを、まとめます」
「うん……」
「役員会が終わったら、また来ます」
彼女は画面を見詰めながら頷いた。
役員全員が揃った、と寺島ホールディングスの社員が伝えに来た。
三十分ほど、ガーデンテラスで時間を潰していた。メモ用紙を見ながら、呼吸を整えていた。ぼくは仮面を被り、メモ用紙を持って重い心を持ち上げた。腕時計を見た。午前十一時十五分。
ガーデンテラスから玄関へ歩き、階段を上る。二階フロワー、祖父の肖像画の下の扉の前に、社員が二人立っていた。ぼくを見ると会釈し、両扉を開ける。
会議室に入ると、円形テーブルに腰かけていた役員たちが一斉に立ち上がった。
テーブル奥の萩原の隣の椅子に腰を落とす。
萩原が口を開いた。
「緊急事態が発生しました。会長からお話があります」
ぼくはメモ用紙を手にして、
「十月二十九日から三十日にかけて、北海道の寺島家所有地にある山荘の敷地から、五人の遺体が発見されました」
ぼくはそう
二日間の出来事を、初めから詳細に説明していく。二十年前の寺師家の企業活動の最中に起こったこと、その事件に先々代が関与していた可能性があることなど、
一息おいて、ぼくは重い唇を動かした。
かって、重役を務めていた人物が殺人を犯したこと、その遺体を農場に埋めていたことを、ゆっくりと話した。いずれ分かることだが、その遺体が自分の父親だとは言わなかった。
当然のことだが、背景にある硝子の仮面と鉄の杖については、一言も触れなかった。あくまでも、個人の犯罪として片付けることにしたのだ。これから調査を続行し、全容解明に全力を尽くす、と付け足した。
不気味に静まりかえる会議室の中で、ぼくは立ちあがった。
「先代の会長寺島悠子は、寺島家の企業活動において危害、損害を受けた者たちに謝罪するため、寺島福祉財団を立ち上げました。生活破綻者への資金援助、老人介護、病弱者への療養費支援、子供たちへの教育支援です。わたしは、この財団の責任者として、着実に実行していくつもりです。現在七十二人の対象者がいて、そのうち血縁者を含め六十八人が寺島の支援を受けることを承諾しています」
一人の役員が手を上げた。何か?、と萩原が尋ねる。
その役員が立ち上がった。
「今度の事態は、法人としての責任であり、会長の個人としての責任はないのではありませんか」
ぼくは唇に手を添えてその役員を見詰めた。
「このことは、わたしの祖母、先代の遺言でありますので、わたしは全責任を負うつもりです。わたしは、裸一貫になっても、法人と社員を守りたいと思っています」
会議室は静まり返った。
「犠牲者の
そう言って、ぼくは役員たちを見回した。
彼らはぼくを真剣な眼差しで見詰めている。
「遅くとも、今月二十五日までには調査を終え、記者会見の席で私が事件の全貌を説明するつもりです。もし、今度の事態について問われたならば、そう答えてください」
いっとき置いて、信之が言った。
「これで、役員会を終了します」
役員たちを見送った後、ぼくは祖母の書斎に向かった。
絵莉は椅子の背もたれに体を委ね、目を閉じていた。
「百合の石板はなかったのですか」
「うん……」彼女はぼくに疲れ切った視線を向けた。
「たしかに、あった。わたしは見たの、百合の刻印を」
彼女は立ち上がった。カーテンの隙間から外を見る。
「全部見たんですか」
「うん。航空写真を撮ったのは、道東の寺島の所有地だ。全部見た。間違いない」
「寺島の所有地は、道東の他にも、あったはずです。寺島は観光事業にも、手を出していましたから」
「ん?」
絵莉は振り返ってぼくを見詰めた。
彼女はキャビネットを開け覗き込んだ。
そして、一枚のDVDを取り出した。そして震える手でパソコンにセットする。
プロジェクタに画像が映し出される。
「大雪山系だ。忘れていた」
彼女の顔が綻んでいる。
十分ほどして、画像が止まった。
「これだ。これを見たんだ」
スクリーンに百合の刻印が映っている。山の中腹に、石板が埋もれている。たしかに、その石板には百合の刻印があった。
「わたしは、勘違いしていた。石塔は地下に埋もれていたんだ、地下に」彼女の声が弾んだ。
「大雪湖の北西だ。十キロほど行ったところだ。四駆で行くよ」
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