その日 別室

 エイルはロクサーヌと一緒に調整室にいた。

 エイルは部屋を見回し、機器の配置が以前と変わっていることに気づく。おそらく博士が臥床してからなのであろう。彼女独りで自分を調整できるように。

 だが、限界がある。

 今日この家に来て彼女が出迎えたとき、エイルはもしかしたらと思った。彼女の動きが、僅かながらぎこちなかったのだ。一般の人間が認識できないほどの僅かな動作の緩慢さではあったが。彼女が着ていた服は、何てことはないロング丈のメイド服(クラシカルなピナフォア)。手には手袋を嵌め、脚には肌の透けない濃い色のタイツを穿いていた。自分たちが来なければ、彼女の平服はおそらく長袖とパンツ姿。博士の世話、部屋の掃除、庭の手入れと、動きやすい恰好でいたはず。自分たちを出迎えるべくメイド服に着替えたようだが、それでも肌の露出を避けていた。何故なら、博士から素肌を隠すために。

「何故もっと早く連絡してくれなかったの?」

 ロクサーヌがそうせざるを得なかったのは、表面を覆う人の皮膚に模した樹脂のスキン・テクスチャーが剝がれ、剝き出しになった素体(ネイキッド)や骨格を隠すべく、急場の応急処置を施していた。総て元に戻すには時間がかかり、身動きが取れなくなってしまう。そして連絡しなかったのは、博士に余計な心配をかけさせぬためであろう。

「あなたの気持ちは分かるけど……」

 それ以上、言えなかった。

 エイルは彼女に服を脱ぐよう指示する。

 ロクサーヌは言われるがまま着ていたメイド服を脱ぐ。

 隠されていた部分が露わになるにつれ、彼女の身体の損傷が可成りなものだと分かる。

 幾ら強度や柔軟性のある樹脂のスキン・テクスチャーとはいえ、人の皮膚のようには再生しない。劣化したらそれまでである。接触や加圧、熱や摩耗による剝離の多い手足や関節部分は特に破損が激しい。破損箇所には応急処置的にその上から樹脂のスキン・テクスチャーを張ることも可能だが、耐久性はなく剝がれやすい。凹凸ができて見栄えも悪い。彼女はそれを繰り返し行っていた。

 彼女の動作がぎこちなく見えたのは、擬似皮膚であるスキン・テクスチャーの下の素体――擬似皮下組織構造の緩衝ゲルも一緒に破損していることから、人型を形成する炭素繊維合金フレームの骨格への影響は少なからずあった。そもそも関節部分の摩耗、衝撃による耐久性の低下があり、その上彼女は庭仕事をしていたため土や砂埃の混入も予想された。

 もう一つの原因が、炭素繊維合金フレームに添う、ソフトアクチュエータであるシリコーン・ゴムと炭素繊製の人工筋肉だった。物理的運動装置である人工筋肉は、全動作の要でもある。それ故に摩耗や劣化、断裂は、動作に多大なる影響を来す。だが、低電圧で動作する人工筋肉は、数億回の屈曲に耐えられることから、早々に摩耗や劣化、断裂することは考えにくかった。考えられるとしたら、重い物を持つか動かすなど、無理をした場合である。

 エイルはボロボロの素肌で立つ彼女を抱きしめた。

「よくここまで頑張ったわね」

 抱きしめられた彼女は、

「大したことではありませんが、博士様のお世話に支障を来すんじゃないかと心配でした」

 と。

「わたしたちが来たのだから安心して。今はあなたのことよ」

 ロクサーヌは自分が修理されている間、博士に何かあったらと思うのと、二人がいることへの安心がせめぎあった。彼女に送られてくる博士のヴァイタル・サインは、幾分昂揚しており疲労も見受けられた。久しぶりにミイロとの会話を愉しんでいるようだが、かつてのような体力があるわけではない。それでも博士が――ロクサーヌ自身もだが、絶大の信頼をしている二人である。彼女はよりリスクの少ない方を選択するしかなかった。

「……はい」

「もうすぐミイロも降りてくるでしょうから、準備をしておきましょう」

「……」

 だがロクサーヌは、何かを考えていた。

「どうしたの?」

「今、博士様の部屋でお二人が話されているのは、私のことだと思うんです」

「そう‥‥ね」

 エイルは『会って話がしたい』と連絡を受けた時点で、彼が自分自身の末期のことをミイロに伝えようとしているのだと思った。口にはしなかったが、ミイロもその覚悟だった。それにここを訪れ、ロクサーヌを見て、彼は自分が機械人間の修理師として動けなくなった。だから彼女の調整を自分たちに頼むためにも呼んだものと理解した。自分の手で彼女を診てやれないもどかしさ、悔しさ、虚しさ。そう思った。

「違うんです」

「何が?」

「博士様は、ご自分が亡くなった後、お二人に私の記憶をフォーマットするよう頼んでいるんだと思います」

「!」

 彼女に言われて、ハッとした。

「ここしばらく博士様は御自分を佚しておられました。昔の記憶が現在だと誤認しており、私がそれを正すと納得されることが度々でした。たぶん私の身体のことも知らない――いえ、私が知られないようにしておりましたから、気づかれてはいないと思います」

 自分の手で彼女を診てやれないのではなかった。それすら考えることが……。尚更、彼が彼女の記憶をフォーマットするよう頼むのであろうか、と疑問になる。

「それなら、どうしてあなたの記憶を?」

「時折、窓の外を御覧になり、『わたしはそこまで愚かではない』と仰ることがありました。可成り昔のことですが、あるお方が機械人間を愛する余り、その機械人間を破壊しようとしたことがございました。そこに博士様がいらっしゃり、そのお方に止めるよう説かれたのですが、そのお方は博士様に『お前だってそうするはずだ』と仰ったのです」

「それで彼が……」

「はい。『仮にそうだとしても、わたしはそこまで愚かではない。その者に向けた愛が本物なら、愛でその者を穢すことはできない』と。博士様は、後にこう仰っておられました、『気高き理想は責任を要す(ノーブル・イデアレ・オブリージユ)』」

「……愛で穢す。気高き理想は責任を要す。だから、あなたの記憶をフォーマットする、と?」

「他人への譲渡及び売却には、記憶のフォーマット化が必須です。必要としないのは、親族が相続した時のみ。ですが、彼に親族はおりません。法の抜け道として、私の記憶を維持させるには、機械人間の修理師であるお二人への譲渡だけです」

 機械人間の修理師なら、機械人間を手許に置いている内は、記憶をフォーマットするまでに猶予があった。

 機械人間が世間に普及するにつれ、製造・販売や修理を大手メーカーや正規ディーラーだけではなく、販売や修理を行うサブディーラーとして起業する者も増え始め、違法行為回避(保証責任逃れ、違法改造、違法取引など)のために免許制度が定められていた。

 一般人が機械人間を所有するには、新体及び中古体の販売側と所有したい側との間で売買が成立し、機械人間の記憶(後天的起憶)が初期化された状態である証拠と、前・現所有者の個人情報を役所へ届け出さなければならない。届け出が受理された時点で、所有権が確定され、機械人間の個体情報と所有者の情報が登記される。新体は正規ディーラー、サブディーラーに所有権があるが、中古体の場合は前所有者の所有権解除の手続きを行い、仮の所有権がそれらや修理師(又は、特殊法人)に与えられる。所有権の明確義務である。一般人が放棄や譲渡及び売却する際にも、それらに依頼し、同様の手続きをして貰わなければならない。所有権の移行である。相続には相続手続きが必要となる。但し、個人間の直接譲渡・売却は禁止されており、一般人は機械人間の記憶に直接介入してはならないため、個人情報漏洩を防ぐため、販売店や修理師には守秘義務が法制化されていた。

 故に、機械人間の修理師には、機械人間をフォーマットするまでに時間の猶予があった。

「ですが、博士様はお二人への譲渡を考えてはいないでしょう」

「人間と機械人間の間にある記憶の差」

「記憶の差は命の差とも同意になります」

「譲渡されたとしても、譲渡された側の命も尽きてしまう」

「自分の想いを押しつけるのは傲慢であると」

「だから、『愛でその者を穢す』ことになる」

「『気高き理想は責任を要す』とは、そういうことだと、博士様は考えていらっしゃるのだと思います」

 ロクサーヌは俯く。

「私は明日を迎えるのが厭なのです」

 博士が死ぬことへの拒否。

「博士様の過去が無くなるのも厭なのです」

 彼と暮らしてきた記憶を忘れたくないという‥‥

 そして、エイルの顔を見つめた。

「私にはあの方しかいないのです」

 ‥‥ロクサーヌの訴え。

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