2 嚆矢

 とある街の大きな通り沿いに、機械人間メーカーの工場が建っていた。その工場へと向かう一台のヴィークルが、工場を取り囲むフェンスと併走しながら、通りを走行していた。

「見えてきました」

 ヴィークルの助手席から、少し遠い後部座席に陣取る者に、若い女が笑顔で振り向く。

「そうか」

 顔や姿形を帽子とコートで覆い隠すその者は、表情も変えず、ただ素っ気なく答えた。

 あまりにも素っ気ない返答に、彼女は博士がご機嫌斜めなのだろうか思い、それを取り繕おうと更に笑ってみせるのだが、中途半端な何とも情けない作り笑いとなってしまった。彼女の顔は座席の背凭れにフェード・アウトしていった。

 何か失礼なことをしただろうかと考えるも、考え倦ねる。会ったときから偏屈な人だとは思ってはいたが、道中退屈だと思い話しかけても、返ってきたのは単調な返事。「ああ」とか「そうか」とか「いや」ばかり。【博士】と呼ばれる人は皆あんな感じなのだろうか。威厳はありそうなのだが‥‥と、思わず博士の力量を疑いそうになる。しかし、即座にそれを否定した。相手は【博士】と呼ばれるくらいであり、知り合いの機械人間工学博士に相談し、博士の存在を教えて貰い、紹介して貰った。内容は教えてくれなかったが、紹介してくれた知り合いが信用しているくらいの人なのだから、その人にも悪いし、連れてきた身でありながら、勝手に博士を疑うのはもっと理不尽。紹介がなかったら、話さえ聞いては貰えなかったのでは、と思う。

 そんなことを考えながら、前方のウインドスクリーンを見遣る。

 だが、

「またかぁ」

 やっと着いたと思えば、今の自分よりも憂慮すべき存在が目の前に迫り、思わず声を漏らしていた。

 工場の入り口に近づくにつれ、見えてきたのは人集りだった。

「済みません。ちょっとだけ騒がしくなると思います」

 彼女は後ろを振り向きそう言い放った。

 するとヴィークル運転手の機械人間が、ヴィークルの全ウインドスクリーンを2―Way(マジック・ミラー)に変え、徐行しだした。

 入り口の前にいた群衆の一人が、徐行したヴィークルに気づき、近づいてきたと思ったら機体を蹴り出し、何かを喚いていた。それにつられた数名も近寄っては手で機体を叩くなど、行く手を阻んできたのである。ヴィークル内の防音性は高いのだが、流石に衝撃や振動、近くからの怒号までは防ぎきれるものではなかった。

 その騒ぎに気づいた工場の警備員が割って入り、ヴィークルを誘導し、中へと進ませてくれていた。

 群衆は警備員や工場の敷地に入ったヴィークルに、いつまでも叫び続けていた。

「お騒がせしました」

 彼女は苦笑いで博士に謝っていた。

「予想はつくが、あいつらは何しているのだ?」

 やっぱり予想はついちゃうんだ、と思いつつ彼女は答えた。

「えーっとですね、端的に言いますと‥‥機械人間の製造をヤメてください運動です」

 端的に言うのは構わないが、大雑把すぎる。それに群衆が言っていたのは、悪辣な罵詈雑言。何故彼女はそれを丁寧に言い換えるのか、博士は不思議に思う。

 ヴィークルはウインドスクリーンを通常に戻し、社屋のエントランス前で着地していた。

「?」

 博士は自らドアを開けようとしたが、ドアにはロックがかけられていた。

「今お開けします」

 助手席にいた彼女はヴィークルから降り、運転手の機械人間に合図をした。ロックは解除され、後部座席のドアを開けて貰い、博士は外に出た。

 それを見ていたのであろう、社屋の中から人が数人出てきた。

「お待ちしておりました」

 儀礼的な挨拶と紹介。

「本来なら社長が出迎えるべきところを、こちらの都合とはいえ、申し訳ありません」

「いや、構わない」

 先に話したのは機械人間メーカーの専務取締役という肩書きの男だった。博士の来訪を出迎えるために、本社からワザワザ来ていたようだ。彼は仲間で会社を立ち上げた内の一人だった。笑顔を絶やさず潑剌とし、それでいてどんな相手に対しても敬意を以て接していた。

 その彼が紹介したのは、この工場の統括責任者の女だった。幾分恰幅のある身体で、柔和な顔の女だった。

 次に紹介したのが、開発責任者の男。彼らの中では一番年上であろう彼は、どうやら機械人間工学博士のようで、博士がヴィークルから降りたときから、ずっと人を値踏みするように見つめていた。

 最後に紹介されたのが、若い男。開発責任者の工学博士のアシスタントをしており、彼も工学博士だった。

 そんな彼らより後ろにいた女が、頃合いを見計らい専務の側に寄ると、「そろそろお時間です」と告げていた。彼の秘書なのであろう。

 専務は、「もう、かい? んん、仕方ないな」と、自分に与えられた時間の限界が迫ったことに疑義を抱くも、渋々ながら承諾し、博士に非礼を詫びた。

「それと、娘が失礼なことをしていないか、心配だったのですが……」

「ちょっとぉ」

 声を上げたのは、ここまで博士を連れてきた女だった。

「問題ない」

「そうでしたか。何せ、親のコネで入社したものですから」

「違うでしょ。わたしが入ったのも知らなかったでしょう‥‥っていうか、同じこと何回言うのよ。知らない人が聞いたら、本気にするじゃない」

 定番の親子ネタらしく、専務独りが笑っていた。 

 ネタの披露が終わったところで、「専務」と再び秘書の声。

「ああ、解った」

 後は統括責任者の女に任せ、表の『機械人間の製造をヤメてください運動』の群れを避けるべく、専務と秘書は社屋の屋上へと向かい、自社の航空機で去っていった。

「それではご案内いたします」

 統括責任者の女は先頭になり博士を誘導した。

「ゲート前の騒ぎ、驚かれたでしょう」

 あのような現象は、今に始まったことではない。さして驚きもしなかったが、

「労働組合団体、それに人権団体が集まってしまって、毎日あんなことに」

「毎日?」

 毎日となると、異常を来している。

 技術革新による人工知能の発達が、人間の労働者を失職させると騒がれたのは、遠い昔からのこと。機械人間が稼働可能となれば、更なる人間の労働力不要論が噴出し、彼らは機械人間の製造を止めさせようとしていた。

「そうなんですのよ。あのようのことが毎日」

 彼女は頰に手を当て、少しうんざり気味に困惑した表情をする。

「あの方たちの意見も解らないわけではないんですけど、機械人間は人の生活の向上に欠かせないものになってしまいましたから。医療の分野では、長時間の体力と思考の持久が困難な人間より、時間はもちろん、技術の正確性に於いても、稼働エネルギー源が確保されていれば、機械人間の方が上ですので、医師や看護師、介護士も必要ないことは、実証済みですからね」

 α国の救助・救護用機械人間のこともある。

 高価な医療用機械人間の導入と、育成の伴う医師や看護士、介護士、及び人間であるが故の技術差との費用対効果を比べても、相対的に機械人間の方が低コストな上、低リスクなのは間違いなかった。

「だからゲート前の警備を、機械人間にやらせてるのか?」

 ヴィークルが敷地に入ろうとした際、入り口で群がる者たちを排除し、速やかに入構させていたのが機械人間だった。

「ええ、そうなんですのよ。それもあるんですけど、以前は警備会社に頼んでいたんですよ。警備に人を雇うことで、労働組合団体からの攻撃を躱そう、と。ですけど、警備するのも人でしたから、毎日罵られては、仕事とはいえ感情の抑制も利かなくなります。何度か警備の方も代わられたりしておりました。それが度重なり、警備会社の方から辞退されまして、それならいっそ警備用機械人間を配置した方がいいということになったんです。そうしましたら、ここを警備されていた方がゲート前の人たちに加わっていらしたんです」

 統括責任者の女は、どうしたらいいものか、と苦笑していた。

 博士は、だからあのとき自分の問いに、専務の娘が困惑しながらも彼らのことを悪く言わなかったのは、自分たちが悪いわけではないのだが、結果的に影響を及ぼしていることへの、名状し難い遣る瀬ない思いがあったからであろうと思う。

 一同はエレヴェーター前で立ち止まり、エレヴェーターが来るのを待った。

 博士は彼女に訊ねた。

「労働組合団体が機械人間の製造中止を訴えるのは解るが、人権団体は真逆だろ」

 人権団体は機械人間に人間と同等の権利を付与しろと訴えていた。機械人間の製造を認めているようなものなのだが、何故か彼らも機械人間の製造中止を叫んでいたのである。

「そうなんですけど、労働組合団体と同じように、労働者の人権が機械人間によって脅かされているからと、機械人間の製造中止を叫んでいるんです。それに過酷な労働を機械人間に押しつける、そんな人権のない機械人間の製造は中止すべきだと言うんですのよ。警備という過酷な労働の対価を人にお支払いしていたのに、それを困難とさせるようにしておいてです。人権がないのは単に複雑化した機械だから、とはならないんです。そもそも機械人間に人権を、と言われましても、わたくしたち政府じゃありませんから、ねぇ」

 何より彼らの一番解らないのは、彼らがここに来られているのも、彼らの下で機械人間が働いているからなのに、と統括責任者の女は嘆いた。

 機械人間を卸している先は限られており、政府(行政)直轄の公共に重要な機関で、それも試験的に導入されていた。とはいえ、公共に重要な機関とは言い難い場所にも導入されていた。それが労働組合団体で、事務や受付係として活用されていたのである。無駄な活用法ではあるが。

 機械人間を製造しているのが人間なら、それを使っているのも否定しているのも同じ人間である。不知や無理解、思想信条と心情による遣り場のない鬱憤を晴らしているのが、ゲート前の群衆なのであろう。だが、人を豊かにするべき科学技術が、一方では人を苦しめる要因となったのも事実である。

 エレヴェーターのドアが開き皆が中へ入ると、統括責任者の女のセキュリティ認証で地下へと降り始めた。エレヴェーターは貨物兼用のようで、中は意外と広く取られていた。

 すると若い男が、

「その内、ゲート前に集まる連中、機械人間にやらせてたりして」

 と、笑った。

「それ、意味ないですよぉ」

 専務の娘が、彼のジョークを真に受け答えた。

「冗談に決まってるだろ。そうなったらまるで戦争を機械人間同士でやらせるようなモンだろ。破壊や殺人の思考がないから、ただの睨み合い‥‥いや、ただの近況報告会になっちまう」

「ですけど、あの方たち、機械人間を戦争の道具にするな、とも叫んでいますよ。そもそもできないのに……」

「どっかの国が造ろうとしていたじゃないか。それを誰かが世間にバラしたおかげで、国際法違反だと非難が集中し、計画は失敗に終わっただけさ」

「あれは元から失敗だったんです。先天的記憶を組むことができなかった。ですから動きにも精細さの欠く、単純な人工知能のドローンでしかなかったんです。わたしたちが使用しているシステム・プログラムは、わたしたちでさえ今以て未知のもので、組むことも、解析することさえできないんですよ」

「プログラム自体に鍵がかけられ、未だに開けることができないからな。それなのに人工脳には記憶させることができる。どんだけの天才が組んだんだよ、って話だよな。全世界で使用されてんだから、その天才も無償提供しないで、特許でも取得していれば、今頃は遊んで暮らしても、使い切れないほどの財産になってたのに」

「だからだと思いますよ。人工脳の設計まで公開し、システムまで無償提供したおかげで皆がそれを使い、使ったおかげで破壊も殺人も行わない思考・制御システムが普及したんです。それを狙ったんじゃないですか」

 既に特化型人工知能が世界に普及し、いずれは汎用型人工知能が、と噂されていた頃のことである。科学技術と軍事技術は切り離せるものではなく、今の時代、民間が先か、軍及び軍産複合体の企業が先かであり、それを転用し発展させ、高度な科学の産物が世に放たれるのはいつか。人々が危惧していたのは、放たれるものが如何なるものなのか、だった。

 そんな矢先、科学革命が放たれたのだ。

 これまで考えられていた人工脳の設計とは異なる、おそらくシステムに合わせた人工脳のモデリングと、システム・プログラム。

「お前たち止さぬか」

 開発責任者の機械人間工学博士が、若い二人を静かに叱責した。

「自分たちのできぬ事に嬉々としてどうする」

 話の流れで行き着いた話題で、二人も嬉々として話してはいないが、工学博士の言うことも強ち間違ってはいなかった。

 自分たちで解決できない事案が発生したから、外部の見ず知らずの学者を呼ばざるを得なかった現状を、恥ずかしさも悔しさも見せない。感じていない。剰え、呼んだ学者が解決できるかどうかも解らない。解決できなかった場合、どうするのかも危惧していない。

 機械人間の先天的記憶は、機械人間に特化させた改変も侵襲も赦されぬ領域、〝本能〟――人類が何世代にもわたり進化的に発達した遺伝情報――のようなものだった。外因や後天的によって齎されるものではなく、無知の人工脳に基本となる思考・制御システムを記憶させ、機械人間が機械人間として誕生(覚醒、稼働、呼び方は幾らでもあるが)した瞬間に生得されたモジュールである。それを一瞬にして、機械人間に遺伝させた。

 自分もそうだが、その技術革新に縋るだけで、新たな先天的記憶に未だに近づくことさえできていない。それなのにその匿名の科学者は創りあげるどころか、無償で提供した。誰もできないことを、誰もしようとはしないことを、その者はやってのけた。専務の娘が言ったことは、おそらくその通りであろう。まさに全世界に向けて、無血の革命をやってしまったのだ。

〈だからか……〉

 危惧すれども解決できぬ。二人に向けた苛立ちは、無能な自分自身への苛立ちなのだ。

「まぁまぁ、お客様の前ですよ。二人も少しは謹んでくださいね」

 統括責任者の女は、若い二人を窘めていながら、それとなく工学博士に対しても、敬意を以て注意をしていた。

「済みませんねぇ」

 彼女は、博士に恥ずかしいところを見せたと、口元を隠しながら笑って謝る。

 彼女がここの統括責任者として職務している理由が、博士には何となく理解できた。彼女に背負わされている重責は、並大抵のものではない。内部でのいざこざや外部からの圧力、それに今回の問題。それを適切に差配しなければ、全責任が彼女へとのしかかるのだ。が、彼女の性格‥‥だけではないのだろうが、良い緩衝材の役割を成している。それに今回の問題で、彼女に博士の存在を報告したのは専務の娘だが、外部に依頼することを上層部に提言したのは、彼女だった。外部に依頼する柔軟性は――専務の娘が関わっていることが影響していないとは言い切れないが――、新進の技術であることや、社風――起業した第一世代だからなせるワザかもしれなかった。

 柔軟性があるからとはいえ、何も考慮せずただ受け入れたわけではない。機械人間の人工脳、身体、後天的記憶〝経験〟システム・ソフトウェアなど、社独自の開発もあり、企業秘密が主だっている。それでも新進の技術を基に若い会社が販売路を獲得するには、自国の政府に売り込むか、世界各地で行われるコンベンションにて発表するしかない。自分たちの技術を売り込むにはもってこいの場所であると同時に、産業スパイの場所でもある。

 今回博士に依頼する際――専務の娘が相談した知り合いの相手が軍関係者であり、たまたまその人物が情報を他者に売るような人間ではなかっただけで、本来なら機密情報漏洩である――、守秘義務などの契約の元、それなりの報酬が支払われることになっていた。報酬が支払われるから安心というわけでもなく、やはりそこは信用問題。

「失礼序でに、恥を忍んで伺いたいのだが」

 工学博士が訊ねてきた。

「わたしも曲がり形にも機械人間工学博士という身。同じ号を持つ友人知人、名の知れた方々を知らないわけではない。だが、『博士』と呼ばれるあなたの御尊名を拝聴したことがなく、知らないでは狭い世間から取り残されたようで‥‥申し訳ないが、何処で博士号を取られたのか教えていただけぬか」

 博士は目深にかぶる帽子から工学博士を見下ろす。

「『博士』と勝手に呼ばれただけで、そのようなものは持ち合わせていない」

「では、何処で機械人間工学を学ばれたのです? 失礼ながら若いあなたが――」

「それを知ってどうする。今からそこに行って、一から学ぶつもりか? どんな学問であれ、追求は我が内にあり、それを以て発現させる。振りかざすものではない」

「……」

 工学博士は何も言えず慚愧した。

「わたしが『博士』と呼ばれるのが気にくわないのなら、修理師とでも呼んでくれ」

「いや、そういうつもりで訊いたのではない。誤解させたのなら謝る、申し訳ない」

 それならどういうつもりか、とまでは博士も追及しなかった。

 機械人間工学という分野は、学問としてそう新しい分野ではないが、科学革命により急速に発展した分野である。人工脳、素体、骨格、内部構造、擬似皮膚、エネルギー、どれ一つとっても追究する箇所は幾らでもある。部分的に特化した専門の研究者もいる。故に、何処の場所で学んだかによって、その者の実力が推し量れるとでも思ったのであろう。

 静まりかえる場。依頼して連れて来たにもかかわらず、気分を害させる――場の雰囲気に飲み込まれず、

「修理師ですか‥‥機械人間が一般にも普及すると、そういう方も増えてくるかもしれませんね」

 と、専務の娘は『修理師』という言葉に、ある感銘を受けていた。

 一同が呆気にとられる中、「ふむ」と、博士は自分で何気なく言った名称だが、改めてそう言われると、一理ないわけではないと思う。

 再び訪れた負荷のかかる静寂に、統括責任者の女が優しく手を叩き、その音で何とも言えぬ場の雰囲気を一掃させた。

「さぁさぁ、皆さん。ここにいても問題は解決できませんよ」

 彼女はそう言い、さっきと同じように‥‥とはいかず、どこか困ったような笑顔で、博士に謝罪した。

 エレヴェーターは既に目的の地下階層に到着していたが、ドアは自動で開こうとはせず、統括責任者の女のセキュリティ解除を待っていた。彼女は再度セキュリティを解除し、ドアが自動で開くと、そこは室内となっており、照明が点灯していた。

 厳重なセキュリティを要した一室。

「こちらです」

 彼女の後に次いで部屋に入る。

 部屋には解剖台のような寝台が置かれ、その上でボロボロ――否、一部バラバラにされた機械人間が、遺体を復元されているかのように並べられていた。破壊された頭部ではあったが、中の人工脳は無事のようで、機械人間の内部電源は停止していたため、外部電源から人工脳へと通電させ、記録データ読み解くためのコンピュータ・ネットワークの有線など、多種のコード類が内部に差し込まれていた。

 これが彼らを悩ます、問題となる機械人間だった。

 博士への依頼は、機械人間からデータを抜き出そうとしたが、データが見つからないため、探し出して欲しいというものだった。

 博士はその機械人間の側に行くと、ボロボロになった顔を見つめた。擬似皮膚の樹脂が擦られ抉られ剝がされ、硬い物で殴られた凹凸のある素体が剝き出しになった顔は、見覚えのある顔だった。

 依頼されたとき、企業秘密の部分があるため多くは語ることができない、と専務の娘に前置きはされていたが、無残な姿であることは説明されていなかった。ましてそれが……。

「警備の機械人間か」

 ゲート前で警備をしていた機械人間。この部屋に通されるまでの間、統括責任者の女が話していたことは、伏線というわけか。横から二、三イレギュラーなことはあったにせよ。

「そうです。ご説明させていただきますと」

 統括責任者の女が話し始めた。

 博士への依頼で、破壊された警備用機械人間であることを伏せていたのは、警備用でありながら破壊されてしまい――警備用機械人間を破壊したのは、ゲート前の誰かであることは間違いなく、ただゲート前の防犯カメラ外で起きたことであり、そこ以外に防犯カメラは、事件前までは設置されておらず、また機械人間からも得られないことから、状況証拠でしかない。彼らが機械人間を破壊したことを公にしないのは、こちらの出方を窺っているか、刑法に触れることでもあることから、沈黙しているのではと思われる――、尚かつその時の情報がこの機械人間から取り出せないでは、警備の体を成していないばかりか、製品化さえ無理な状況である。それが公になってしまうと、他の業種の機械人間にも不審を抱かれかねないことから、社の業績に影響を来す虞もあり、企業秘密とされた。

「発見したときには、エネルギーは人工脳に供給され、スリープ・モードになっていました。その時の状況が記録されているものと思い、本来なら警備の機械人間は、勤務が終わるとメイン・コンピュータと接続され、データ・ログ(勤務記録)を共有するのですが、事が事でしたので、外部はもちろん内部からもセキュリティ完備なこの部屋に持ち込みました。顚末を調査しようと人工脳内のデータをコンピュータで解析しましたところ、人工脳が活動休止状態(スリープ・モード)であるにもかかわらず、『データなし』という表示がされるんです。まるで昏睡状態のようで……」

 彼女はそう言って、人工脳に繫がれたケーブルの先にあるコンピュータのモニタを見た。画面には人工脳をモデリングしたものと、記憶領域――先天的記憶〝本能〟の使用領域と、物理的パーティションで分割された後天的記憶〝経験〟の使用領域、それに空きの領域が表示されていた。が、後天的記憶に記憶されているはずの領域が、『empty(空つぽ)』と表示されていたのだ。あるはずの警備用システム・データもろともである。

 機械人間のスリープ・モードとは、省エネルギー・モードであって、自覚・意識をしており、休止程度なのだ。人間の睡眠状態とは似て非なるもの。まして昏睡などあり得ない。仮にエネルギーの供給が失われ停止したとしても、機械人間にとってそれは死ではなく、再起動されるまでの間、時間をロストしただけのことである。再起動されぬとしても、ただの停止。記録の保管。記録メディアと同じ。人間の死とは非なるものなのだ。

「ふむ」

 統括責任者の女と一緒にモニタを観ていた博士は、コートのポケットから携帯情報端末機を取り出し、起動させた。

「? ここは外部通信ネットワークが入らないようだが?」

「ええ、先程も言いましたが、この部屋はセキュリティ上、内外のネットワークからも遮断しておりますので」

「繫げることは?」

「私の端末となら唯一繫ぐことは可能ですが、セキュリティ・システムのアイギスが起動しておりますので、外部との通信で、クラッキングやマルウェアと判断された場合は、遮断若しくは駆逐される可能性があります」

 新進の技術を扱う企業であるが故に、クラッキングやウイルスの侵入を防ぐ対策を採られているのが当然である。アイギスは外部からの攻撃を防御するだけではなく、侵入してきたものの出処を辿り攻撃するタイプであった。

「ああ、それでも構わない。繫げてくれるか?」

「!? ええ、解りました……」

 不承不承というわけではなく、不可解と疑問と困惑と怪訝が綯い交ぜで彼女は承諾し、若い男にケーブルを繫ぐよう指示し、自分はコンピュータを操作しネットワーク設定をする。それをし終えると、博士に使用許可を出した。

 博士は携帯情報端末機からのケーブルをコンピュータと繫げ、博士は端末を操作する。しばらくすると、人工脳を映していたモニタ画面にアラートが表示され、モデリングされた人工脳の後天的記憶領域が赤くなった。

「!?」

 彼らは今までに起きたことのない初めての現象に驚く。

 博士は自分の端末を観て、

「! 誰か記録メディアを持っていないか?」

 と、訊ねていた。

「は、はい」

 それに答えたのは、専務の娘だった。ポケットから記録メディアを取り出すと、博士に渡した。

「使えなくなるが、いいか?」

「えっ!? 大丈夫です」

「そうか」

 博士は渡された記録メディアをコンピュータに差し込むと、自分の端末を操作した。

 アラートを表示していたモニタ画面の、赤くなっていた人工脳が、

「――安定‥‥した?」

 噓のように治まった。

 逆に皆が驚き沸き立つ。

「何が起きたのだ!?」

 問題を解決できなかった工学博士にしてみれば、目の前で起きたことは魔法‥‥とは思わないが、理屈が解らず、それを想起させるような出来事だった。

「何をしたのです?」

 博士はコンピュータから記録メディアを抜くと、皆に見えるよう翳した。指先に持たれた記録メディアの端に、小さく発光する光源があった。通常は白色で、データが移動している状態だと青色に発光し、エラーが起きているときには赤色に発光した。そして今は、赤色に発光していた。

「ブレイン・ウイルスだ」

「ブレイン・ウイルスだと!? そんな‥‥ウイルスが侵入しているなどあり得ん。仮に侵入していたとして、何故我々が見つけられなかったのだ。チェックもしていたのだぞ」

 そう言われても博士とて知るはずもない。が……。

「何処で侵入されたかは、正確には此奴に訊かなければ分からないことだが、何故ウイルスが見つけられなかったかは、此奴がよく分かっているだろう」

 侵入させられた機械人間に訊くのが手っ取り早いのは、確かにその通りではある。が、あまりにも素っ気ない。侵入経路は博士も分からないだろうが、ウイルスが見つけられなかった理由くらいは説明してくれるものと、皆は思っていた。そうでなければ、博士が侵入させた。いや、それはない。今まで無反応だったモニタに映された機械人間の人工脳が、現に正常を明示している。

「済みません。『正確には』っていうことは、博士にはウイルスの侵入経路の見当がついているってことですか?」

 専務の娘が訊ねた。

「お前たちが言っていたことではないか」

「?」

 皆が不思議そうな顔をしていることに、博士は不満そうな顔で返した。

「お前たちが侵入させていないのなら、外部の者であろう。外部通信ネットワークからの侵入がアイギスで護られているのなら、直接しかあるまい。此奴がゲート前の連中にやられたのなら、その連中の誰かであろうに」

 だが、博士の論を工学博士が否定した。

「あり得ん。素人には無理だ。一般に普及されていないものが、奴らに――」

「一般に普及されていなくても、公共機関にはいるのだろう? 連中の下で機械人間が働いていると言っていたではないか」

「だけど、やっぱり素人じゃ無理だと思うけど……」

 工学博士を助けようと若い男が庇護した。

「何故普通の素人だと言える?」

「それは……」

 と考えるが、論理的に説明できない。それどころか、ゲート前にいる連中――一人は元警備員だったことくらいで、彼もここしばらく姿を見せていない。まして他の者たちのことなど詳しくは分からなかった。

「実行は素人かもしれないが、背後に産業スパイがいても可笑しくない。だろ?」

「えっ!?」

 日に数千数万回というサイバー攻撃を受けている企業である。実状は訊いていたが、処理はコンピュータのセキュリティ・システムがやっており、自分たちは直接関わっていないだけに、余り気にしていなかった。だから、産業スパイなる者が直接手を下してきたことに、皆は驚かざるを得なかった。一人を除いては……。おそらく統括責任者の女は、本社から危機管理上の情報は聞いていたであろう。

 専務の娘は疑問に思う。

「だけど、産業スパイがブレイン・ウイルスを入れた挙げ句、こんな破壊までしたら、目的の意味を成さないんじゃないですか。それに産業スパイかどうかも分かりませんよね」

「確かに、社の機密情報を引き出す、若しくはダメージを負わせる目的なら、無意味だよな。目的以前に‥‥ん? アレッ?」

 若い男は彼女に同調したのだが、何かが引っかかり、腕を組み小首を傾げる。

 産業スパイかどうかはともかく、機械人間にウイルスを侵入させたのなら、確かにわざわざ破壊行動に出る必要はない。一日のデータ・ログをメイン・コンピュータと有線通信にて共有させていた。

 機械人間に無線通信機能はない。情報を共有するには有線でしか得られなかった。機械人間に無線通信機能を付加させなかったのは、必ず人の監視が義務づけられたことによる。国際法に定められていた。それは人の労働の場を失わせないためと、機械人間の誤動作を誘発させ、世間に機械人間の危険性を知らしめるためでもあった。だが、機械人間の危険性は未だ報告例はなかった。

 では、何故彼らは破壊行動に出たのか?

 それに、この地下フロアのコンピュータに繫げても、コンピュータがウイルスに感染していないのは何故か、だ。

「まさか‥‥」

 声を上げたのは工学博士だった。

「‥‥アイギスに攻撃させようとしていた?」

 地下フロアのコンピュータは、内部の通信ネットワークと繫がっていなかった。つまり、セキュリティ・システムの範疇外。システムも組み込んでいない。統括責任者の女専用端末はセキュリティ・システムの範疇内。その端末を通したことで、機械人間の人工脳内にあるウイルスを感知したアイギスが、発動し駆除を行った。

「いや待て、それなら記録メディアにウイルスが入るわけがない。それに機械人間を破壊する意味も成しておらん」

 自問自答し、自分の論を自分で否定した工学博士。

「破壊せざるを得ない状況になったからだろ」

 博士は単調に言ってのける。

「それだ! ウイルスを侵入させたことで、機械人間が意識を失う羽目になった。だから

奴らは証拠を消すために破壊したんだ」

 若い男は引っかかっていた何かに辿り着き、正解を得たと言わんばかりに博士を見た。

「半分正解、ってとこだな」

「へっ!?」

 博士は説明した。

「機械人間は、ここのメイン・コンピュータと共有していたことにより、アイギスというセキュリティ・システムがあることを知っていた。ウイルスに感染してしまえば、有線通信で共有した際、問答無用にアイギスによって人工脳の後天的記憶部が攻撃され、データ・ログもろとも消失してしまうと思った。誰が犯人であるかという証拠も、な」

「確かに証拠は失うけど――」

「だがもう一つ、自分に侵入してきたウイルスが、メイン・コンピュータの上を行く感染力を持っていた場合を考えた。メイン・コンピュータに繫がれても、ウイルスが侵入しないように、それと自分の記憶が侵されぬように、ウイルスごと封じ込めた。結果的にそれが、『empty(空つぽ)』と表示される原因となった。此奴は自ら抗体となり、活動休止状態(スリープ・モード)となってはいるが、寝ずの番(ビジリア)をしていたのだ」

 警備用の機械人間は記憶していた。ここの人たちから、いつも労いや感謝の言葉をかけられていたことを。

「自分やここを護ろうとして……」

「自ら抗体となり、ウイルスを見張っていた」

 専務の娘と若い男は、警備の機械人間を見つめた。

 まさに警備の鑑である機械人間を。

 博士は持っていた記録メディアを一瞥し、工学博士に渡した。

「他の機械人間で試して成功したのであろうが、ここの機械人間は経験の差――情報の差で違う症状となった。ウイルスを仕込んだヤツにしてみれば、機械人間が故障し、停止したと思った。だからその証拠を隠滅しようと破壊行動に出たのであろう」

 工学博士の手にある赤く光っていた記録メディアが、白色に変わっていた。中のブレイン・ウイルスが、記録メディア内を浸食し、成りすましをしたのだ。知らずにネットワークの共有されたコンピュータに接続したら、内部からメイン・コンピュータへと感染する虞があった。

「いずれ近い未来、先天的記憶を越える新たなシステムや性能を持つ人工脳は開発されていく。悪意は人から生ずる。だが、善意も人から生ずるもの。若い者たちをどう導くかは、老いた者たちが自ら示していかねばなるまい。ここを護ろうとする機械人間を造れる者によって」

 博士は彼にそう言うと、統括責任者の女に向き直る。

「帰らせて貰おうか」

「見ていかれないのですか?」

 機械人間が死守した記録、映像。

「わたしの仕事は終わりであろう? 後はお前たちの仕事だ」

 博士は統括責任者の女と連れだって、エレヴェーターに乗っていった。

 その後ろ姿を見送った工学博士は、若い二人に、機械人間の人工脳からデータを抜き取り、検証用データとして保全させ、更に新しい警備用機械人間に移植するよう命じる。そして、手の中にあるブレイン・ウイルス用駆除システムの開発を行うことを決めた。

「でもあの博士、何故外部通信ネットワークができるよう指示してきたんでしょうか?」

 専務の娘がそう不思議がり、若い男に訊ねた。

「万が一を考えて、アイギスにって‥‥アレ? 頼んだ時あの人、ウチにアイギスがあるの知る前? 後?」

「前だと思いますが‥‥アイギスに処理させるなら、内部のネットワークで事足りますよね?」

「外部の何処かにアクセスしてたなら、通信ログが残ってるだろう」

 工学博士が調べてみるよう促す。

 専務の娘はネットワークが繫がったままのコンピュータを操作し、メイン・コンピュータに通信記録を調べさせた。

「残ってないようです」

「! アイギスも反応していなかったのか?」

「そのようです」

 博士の持っていた携帯情報端末機では、それこそ浸食されて終わりなはず。

 工学博士は自分の手にある記録メディアを見た。

「どうやってコレにウイルスを……」

 三人は互いに顔を見合わせた。


 博士は統括責任者の女に見送られ、用意されたヴィークルに一人乗り、ゲートでの一悶着を過ぎ、工場を後にした。

 しばらくして携帯情報端末機を操作し、

「今帰る途中だ。それでブレイン・ウイルスの処置は?」

 通信相手と話した。

『処置いたしました』

 と、ヴィークルの運転手である機械人間が喋りだした。

「早いな」

 博士は運転手の機械人間が喋りだしたことに驚きもせず、何気なく窓の外を見る。

「それで出処は分かったのか?」

『いいえ、突き止められるような証拠はありませんでした。今回が初めてのケースのようですし、警備用機械人間に内蔵されたカメラの範囲外で、ウイルスが侵入されておりますので、犯人の特定は無理かと。工場をクラッキングしているのも不特定多数。同業者が多いようですが、ブレイン・ウイルスと類似する癖のクラッキングはありませんでした』

 通信相手は、自動運転(オートノマス)のヴィークルの無線通信を通じ、有線で繫がっている機械人間を介して話していた。

「そうか。警備員が何度も代わっていたようだから、成りすましていた可能性もある。ゲート前の連中とて、何処の誰とも知れぬ。そこから辿るのも難しいだろうな」

『今日の方々にお教えしなくてよろしいのですか?』

「原因が解れば、奴らも自分たちで何とかするだろう。それだけの力はあるのだからな」

『この運転手も機械人間でありながら、オートノマス・ヴィークルの一部として、人の監視対象外にする法のギリギリを衝いていますし、事故の際の救護の能力、搭乗者の警護能力も付加されているようです。ですが、脆弱性は否めません。仕方のないことではありますが……」

 機械人間に直接無線通信機能が付いていないので、合法スレスレである。

「! まさかあいつら、機内の会話を盗み聴きしようとしているのか?」

『そのようですね。ですが彼らに聴こえているのは無音ですが』

「くだらんことを……」

『致し方ありません。博士がブレイン・ウイルスをどうやって記録メディアに入れたか、不思議がるのも無理はないでしょう』

「修理師が、自分の手の内を明かすわけがなかろう」

『何ですか、その『修理師』とは?』

「『博士』を廃業し、機械人間の修理師になろうかと思ってな」

『それは、善きことです。これからご依頼があれば、お受けしてもよろしいのですね』

「……冗談に決まっているだろう」

『ノーブル・イデアレ・オブリージュ』

 通信相手にそう言われた博士は、

「わたしにどれだけ残されているのか、分からんのだよ」

 と、自分の手を見つめた。

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