そして二人はキスをした

まちだ きい(旧神邪エリス)

鹿田斬彦と赤宮千里の場合

 赤宮千里あかみやちさとは人気者だ。

 入学すれば在学生が騒ぎ出すし、一日も経てば友達が出来る。二日なんか経ってしまえば彼女に恋する人が軽く二桁は出てくるし、三日も経てば告白する人達までウジャウジャ沸いてくる。


鹿田しかだ先輩」


 ――そんな赤宮は、どうして俺のような陰キャとつるんでいるのだろうか。


「鹿田先輩、今日も図書館に残って勉強ですか」

「ああ、三年生は大学受験で忙しくてな」


 赤宮は今年入学したばかりの一年生だ。

 なのに、どことなく大人びており、二個上の俺がまるで年下なのではないかと錯覚してしまう。多分この実年齢よりだいぶ大人びた容姿が影響しているのだろう。


「あ、そこ間違ってますよ」

「え、マジで」

「はい。公式自体は正しいですが、途中式が違います」


 憎いことに、この赤宮という女、高校一年生にしてもう三年次の数学を理解しているのだ。容姿だけでなく知能もずば抜けているだなんて、神様はなんて存在を作り上げたてしまったのか。


 赤宮は俺の隣に座ると、近くにあったペンを手に取り俺が間違った所に横線を引く。

 なんか申し訳なかったので俺は言う。


「別にいいよ……お前もっ、忙しいだろ……その、バイトとかで」

「バイトは今日休みなんで……」

「いやいやっ、でも日頃の疲れとか……色々、あるだろ……」

「先輩は優しいですね」

「は、はぁ……? っ、普通だろ……そーゆーの……」

「普通……」


 赤宮は少し考える仕草をした後、少しだけ微笑み、こう言う。


「私が先輩に教えたいんです。それじゃあ、ダメ……ですか?」

「……それなら、いいけど」

「ふふ、じゃあ、まずはこの問題からです」


 そう言って赤宮は塾講師のように授業を始める。後輩に教わるのはなんか変な気分だな。


「っ……」


 横に座られて、改めて実感する。

 赤宮千里あかみやちさとはやはり美少女だ。クルッと重力に逆らって伸びる長いまつ毛とリンゴ色の唇は大人っぽい魅力があるし、秋の公園に落ちる枯葉のような濃い色の茶髪ボブカットは落ち着いた雰囲気を与えてくれる。

 そして何より一番印象を与えるのは、胸部の豊満な膨らみだ。女の子の胸のサイズなんてよく分からないけれど、きっとF……いや、Hくらいはあるのではないだろうか。


「――先輩、先輩」

「っ、は……っ! 何……?」

「顔」

「え、?」

「真っ赤ですよ」


 言われて気付いた。

 俺の顔は茹でられたかのように火照っており、表情も少しばかり固まっていた。

 まるで童貞の挙動だ。いや、実際童貞なのだが。


「私の話、聞いてました?」

「い、いや……ゴメンもう一回……」

「はぁ……じゃあ最初から言いますね。まず計算ミスを無くす為には――」


 今度はしっかり話を聞くように務め、俺達は放課後二人っきりの図書館を過ごすのだった。


 そして時刻は過ぎ。


「あ、もうこんな時間ですね。帰らなきゃ」

「あ、ああ……そうだな」


 図書館の閉館まで残り10分ほどだ。

 ちょうどキリも良いので、長机に広がった教材やら筆記用具ならを片付け、帰宅の準備を始める。すると赤宮がポショリとこう呟く。


「あの、鹿田先輩」

「な、何……?」

「一緒に帰りませんか……?」


 電撃を身体に浴びせられたかのような衝撃が俺を襲った。そんな美貌で、そんな愛らしい表情で、言葉で、そんな風に訊かれたら、断れる訳が無いじゃないか。


「い、いいよ……っ」

「ふふ、決まりですね」


 赤宮は悪戯そうにニヒヒンと歯を見せて笑う。知的そうな顔から覗かせる子供っぽさに、胸をくすぐられるようなこそばゆさを感じた。


「じゃ、行こうか……」

「あ、その前に飲み物買ってきます。玄関で待ってて下さい」

「お、おう」


 そう言って赤宮は俺より一歩先に図書館を後にした。ああ、何かこういうの良いな。


 一人になった俺はじわじわと襲ってきた幸福感に頬を緩ませ、収まるまで少し待ってから図書館を後にしたのだった。


※※※


「遅いな……」


 10分ほど経っても、赤宮は現れない。

 俺はちゃんと玄関で待っている。なのに声一つ聞こえないのだ。これは一体どうなっているのか。

 俺の心臓がドッドッドッと跳ねる。

 要らぬ心配かもしれないが、赤宮に何かあったのでは無いかと不安になる。一度不安になると、もう感情が天井知らずに高まる。


「様子、見てみるか」


 歩を進め、再び玄関を入り、俺は赤宮がいると思われる自販機前に行く。

 行き違いになったりする可能性も考えたが、もういてもたってもいられなかったのだ。気持ちが抑えられなかったと言っても良い。


「――でさー、マジウザイんだよねー」


 自販機の近くに着くと、人の声がした。

 とっさに隠れ、曲がり角からこっそり相手の様子をうかがう。……どうやら赤宮と、その友人? らしい。バドミントンのラケット片手に、首にタオルを掛け、赤宮と話し込んでいる。どうやらコイツ、話すと長いマシンガントーク女のようだ。だから足止めを食らって、なかなか帰れなかったようだ。

 ……しょうがない。ここは俺が出て、この長ったるいトークに終止符を打ってやろう。なんたって俺は赤宮といい関係なんだからな。


 そう言って一歩踏み出そうとした時、相手がこう言った。


「――そういや、最近あの陰キャオタクとつるんでんの?」


 ……は? 陰キャオタク?

 踏み出した足を戻して、また聞き耳を立てる。すると赤宮が冷静な声で言う。


「鹿田先輩の事?」

「いや名前とか知らんねんけどさぁ……で、どうなのよ」

「んー……まあ普通に、お話してるよ」

「マジ? 止めときなって! 臭いが移るよ?」


 足が震える。

 今俺、目の前で馬鹿にされてるんだ。

 明らかな差別意識を持たれて、まるで人じゃないかのように軽蔑されてるんだ。


「あははー……そっか、考えとくね」

「いい? あーゆーオタクチー牛男はちょっと話しかけると両思いだと思ってストーカーしてくるんだから、もう縁切りなー?」

「そっかー……」


 そうだ。

 最初から住む世界が違ったんだ。

 だから恋愛関係なんて成立する訳が無い。

 最近から、何も始まって無かったんだ。そう、最近から……。


「せん、ぱい……?」

「うわっ、ヤバ、聞かれてた?!」

「っっ……!」


 いつの間にか数歩前に立っていたようで、俺は二人に見つかってしまった。するとバド部女は居心地が悪そうに、


「じゃ、私はこれで……じゃね! 赤宮さん……」


 そう言ってその場を去っていった。

 二人っきりになると、静かな空間が訪れた。もう図書館の頃のような温かい空気ではない。どんよりと、ジメジメと、梅雨の空のような薄暗い空間がそこには広がっていた。


「先輩」

「……」

「先輩……あの」


 赤宮が何を言おうと、多分俺は傷付くだろう。だからその前に、最後の会話の温度を覚えているうちに、ここから離れたかった。

 だから後ずさりをして、この場から逃げようとしたんだ。そうしたら――



「ごめん、なさい……っ、ぅ、」


「赤宮……」


 赤宮は泣いていた。

 美麗な顔を悲しみの感情で歪ませて、瞳から透明なしずくを何滴もこぼしていた。いてもたってもいられず、赤宮の元に駆け寄る。


「せん、ぱい……わたし……」

「赤宮……俺……」


 女の子が泣いた時、どうすれば良いなんて、赤本にも書いていないもんだから、俺は滅茶苦茶困惑した。焦って焦って、堪らなく焦ったもんだから、とっさに、


「っ! ……せんぱい」

「ゴメン、キモかった?」


 抱きしめたのだった。

 女の子の身体は予想以上に柔らかくて、それでいて少しでも力を入れたらホロホロと崩れてしまいそうなほど華奢だった。そして泣いているもんだから、震えているのだ。

 嗚咽の波をかき分けて、何とか赤宮は消えそうな声でこう言う。


「嫌じゃ……ないです……っ、」

「…………そっか」


 しばらく抱き合って、数分が経った。

 あと一分もすれば閉門のチャイムが鳴るだろう。それまでに帰らないと、用務員さんに叱られてしまう。


「………っ、先輩……先輩っ」


 なのに、赤宮が可愛過ぎて、離れる事が出来ない。磁石のようにくっついて、自分の意思ではどうにもならないのだ。


「赤宮……学校閉まっちゃう……」

「……そう、ですね……」


 赤宮は胸の前で手を握り、顔を真っ赤にしてポショリとこう呟く。


「あのっ、変なお願いしていいですか……?」

「変な……? 今じゃなきゃなのか……?」

「えと、……はい。今じゃないと、出来なそうなので……」

「それって……」


 リンゴ色の唇をきゅぅと結び、知的そうな顔を真っ赤に火照らせ、瞳に熱を灯し、赤宮は確かにこう言った。


「ちゅー……してください……」

「っ……マジか……」

「はい、マジです……嫌、ですか……?」

「……嫌じゃないよ」


 そう言って俺は、赤宮の頬に手を添えると、そっと顔を寄せた。……赤宮は目をつぶり、衝撃に備える。


 そして唇が合わさった。


「っ、ん……っ……」


 呼吸穴から漏れた吐息が、何ともエロい。

 プルっとしたリンゴ色の唇が、閉じたまぶたから覗かせる長いまつ毛が、可愛過ぎる。

 するとちょうど閉門のチャイムが鳴り響く。だから俺達はゆっくりとお互いの顔を離す。

 

「……しちゃいましたね」

「……ああ、しちゃったな」

「私、初めてでした」

「そうか。俺はちゃんと出来ていただろうか」


 そうすると赤宮は、ニヒヒンと悪戯そうに笑い、人差し指を先程這わせた魅惑の唇に合わせ、シーのポーズでこう言った。


「ナイショ……です♡」


 俺がこの笑顔に勝てる日は、多分永遠に来ないのだろうな。


※※※


「なぁ、赤宮。赤宮は何で俺なんかを……好きに、なったんだ……?」


 その日の帰り。

 帰路を共にする道中、俺がポツリと訊く。

 すると赤宮がうつむき、少しためらった素振りを見せた後、ゆっくりと語り出す。


「簡単に言うと、他の人と違うからです」

「他の、人……?」

「はい。他の人は、本当の意味で私を大事にしてくれないんです。だからさっきの子だって、鹿田先輩を見たら逃げていきました。でも」


 キチンと俺の方を向いて、赤宮はこう言った。


「鹿田先輩は……私の事を……っ、ちゃんと大事にしてくれます。図書館の時だって、それにさっきだって……」

「赤宮……でも、それが普通だろ……」

「ふふ、先輩はやっぱり優しいですね」


 よろっと近付き、俺の胸に頭を寄せる赤宮。その仕草が可愛過ぎて、またキスをしたくなった。だから赤宮の肩をそれとなく掴み、見つめた。すると俺の言動の意味を知ったのか、赤宮がクスッと笑いこう言う。


「ダメです……今日の分は、しちゃいましたから……」

「一日一回なのか」

「二回がいいんですか? 変態ですね」

「一日じゃ足りない……」


 それを聞いた赤宮、ヤレヤレと言った顔で立ち止まり、唇を突き出し瞳を閉じる。

 これは……そういう事だよな、良いんだよな?

 ゴクリと唾を飲み込み、潤んだ唇に顔を近付ける。二度目はさほど緊張しないかと思ったが、とんでもない。一回目と同じくらい緊張するではないか。


「ん、……先輩……大好き」


 あ、これ三回目来るやつだ。

 そう心の中で思う俺なのだった。


 

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