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『男は辟易していた。』


つまらないのだ。

窓ガラス越しには煙草の煙を溜めた様な色をしている空。

彼の頭の中には既に些少の喜怒哀楽もなく、有象無象への関心が失せていた。

しかしながら自分を傷つけたり動かす勇気も気力も無く、ただ植物のようにそこに座り、煙草を吹かしていた。

なにも心を病んでいるのだとかそんなことではない。

ただ、楽しくないのだ。

好きな物はある。一日のふとした時に聴くジャズは心が落ち着くし、少し古いSFやミステリー映画が好きだし、冷やした白米に乗せたカレーが好きだ。

ただ、楽しくない。

恐らく、誰のせいでもなければ、凡そ、自分のせいだろうと分かる。だからこそ何も悲しく思わず、煙草の煙を見つめているだけであった。

この世界は悪くは無い。と男は知っている。恋人はいたし、愛するということを知っていた。育ちだって頗る良いという訳では無いが、悪いというわけでもなかったし、大学にも行った。決して高い給料ではないが、職にも就いている。

ただ、ぼんやりと時間が過ぎていく毎日。陳腐な言い回しだがその通りなのだ。

子どもがいじけているようにも見えるし、アンニュイな大人にも見えるのが彼という男であった。

どこからこうなったのかまるで検討がつかない人生である。途中でこうしていれば、などという後悔もなく、行き着いた先がそのままこの世界と感情であった。

朝、起きて仕事に向かい、夜、帰路につく。ただその繰り返し。仕事をしているさなか、幾つか面白いような事が起きて笑顔を浮かべるが、すぐにでも真顔になれる余裕がいつにでもあった。

とても良くないことに、男はそれを良しとしていた。ただそのままでも問題がないとしていた。

愉悦もないが、絶望のない世界の中で、男はただ人生を弄んでいた。

何かきっかけがあれば変わるのだろうか。などとこちらもまた陳腐な言い回しだが日に片手の指の数ほど思っていた。

この世界の終焉だとか、テロリストが会社に乗り込んできて皆を救うだとか、そんな大きなきっかけがあれば、とぼんやり考えてはいたが、どの想像世界線の中でも自分を登場させると、『通行人』というキャスティングしか見つからなかった。そんな考えを起こしたあと、彼は必ず自嘲する。自らが見切りをつけたこの世界でそのようなことが起きても、おそらく、きっと、多分、それを面白いと感じたり、興奮するなんて以ての外だと分かっているからだ。

しかしながら、そうあれかしと心の奥底の縁の方、指図め、瓶詰めのジャムの残りに残った端っこのカス溜めのような場所にほのかにそんな世界があればと望む気持ちが些少にあったことに自嘲を浮かべるのだ。

『君の目は何故そんなに常に曇っているのか。』それが上司の男に対しての口癖だった。別に曇らせたつもりもなければ、曇らせたかったわけでもなし、責められても困るなあといつも上の空であった。

会社を見渡せば目を輝かせて働く人間が周りにいる。たまにはしたくもない上司のご機嫌取りをして立場をつくりあげるようなやつもいたが、それも才能のひとつだ。と、それもよしとして尊敬すらしていた。

外を見渡せばはしゃぐ子ども、買い物袋をもった母親らしき女性、その他大勢の活力に満ちた若者、実際はそうでなく、各々に悩みや苦悩があると知っていたが、自分よりはマシだと男は知っている。

『おそらくこれは、孤独という。』ふと、小説のような言い回しで男は小言をもらした。

男は会社の喫煙室で、自分が孤独であることをいつも通りに自覚した。

その横では煙草の煙がエアコンの風と遊んでいた。

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