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    ハッピーエンドの犠牲者への応援コメント

     語り手と物語との距離感について考えさせられました。
     私は、この語り手が「何だか憎めない人」だと感じた一方で、紙一重で嫌味な人という印象を抱きかねないとも思いました。この違いは、「語り手が物語の中心テーマに対してどれだけ切実な問題を抱えているか」なのではないか、とこの小説を通して気が付きました。
     例えば、「芸術分野でプロを目指す主人公が、才能のなさに打ちのめされる」という物語があったとします。この手の話は世間にありふれていますが、私の中で2つのパターンに分類されています。①自分が精神にダメージを負って傷つくパターンと、②①のようにならないパターンです。どうしてこういう違いが生じるのだろうと長年疑問だったのですが、「感情の疑似体験には、間違いなく面白さがある。自分の安全が保証されたフィクションだからこそ、不幸が楽しめる」という記述が解決のヒントになりました。
     ①に分類している物語のほとんどは、主人公(語り手)と作者が一体不可分の関係であることを察してしまうパターンです。つまり、作者は現実世界で才能をめぐり苦しんでいて、この物語を書かなければ生きていけないという切実性を感じ取れる場合です。この構造により、物語に描かれた苦悩をリアルに体感出来る一方、あまりにリアルすぎて辛くなってしまう(=安全が保証されていないノンフィクションなので、不幸が楽しめない)のです。(恐らく全く同じ理由で、私はツイッターのエッセイ風問題提起漫画が苦手です。)
     この小説の語り手にとって、ハッピーエンドの犠牲者の議論は、そうしなければ生きていけないほど切実な問題ではないと思います。自分は恋人がいて現状幸せに生きているように見えるからです。犠牲者の議論が、恋人との掛け合いという「自分の安全が保証されたフィクション」に落とし込まれているので、私は心地よい距離感を保ってこの小説を読むことが出来たし、語り手に好印象を抱いたのではないかと思いました。
     ナツメさんの意図とは違うことを読み取ってるかもしれませんが、とにかく面白かったです!

    作者からの返信

    これだけで読み物になりそうなとても面白い分析、ありがとうございます!
    自分では認識できていなかった深度の問題でしたが、作者の切実性が出ていると苦手、というのは大変共感しました。
    語り手にとっては、かつては切実な問題だったが、状況が転じてそれを乗り越えたことで、「現実を、ある時点を結末と捉えて嘆く/喜ぶのはあんまり意味がない」と気付いた、だから今は切実ではなく、理論を弄ぶように語れる、というところでしょうか。
    この語り手は読み手のコンディションなどによっても印象が分かれるかもしれません。夏木郁さんに好印象を持っていただけて良かったです!
    お読みいただきありがとうございました。