すばらしきこのせかい 第四部

 俺は今日死ぬ。

 余命が来たわけじゃない。

 人生とか人間関係とか仕事とか世界とかそういうのに絶望して自殺するわけでもない。

 ただ、今日死ぬことは既に決定した。


「……マジかよ」


 最初に言っておこう。俺は占い師だ。

 昔から集団行動が苦手で世の中の縦社会にもイマイチ馴染めなかった俺は、気付いたら占い師なんていういい加減な商売に手を染めていた(全国の占い師さん本当にごめんなさい)。

 ただ、占いこそ俺に与えられた天職だった。文字通り。

 なぜなら、俺の占いの的中率は100%だから。

 子供の頃から頭はあまり良いとはいえなかったけれど勘とか空気を読むことに関してはそれなりに優れていたし、“なんとなく”近いうちこういうことが起こるんじゃないか、みたいな予感はだいたい的中していた。

 100%当たる占い師なんてまるでアニメや漫画の登場人物みたいな設定だとあなたは思うだろう?誰だってそう思う。俺もそう思う。

 でも残念なことにそれは厳然とした現実であって、俺は100%当たる占い師だ。その前提がないと俺が今日死ぬことと話が結びつかなくなるからそこは割り切ってほしい。

 単純な話だ。魔が差して自分で今日の自分の運勢をタロットで占ってみたら正位置の【死神】のカードが出た。タロットの第13番目、【死神】のカードが示す暗示は0から21まである大アルカナの中で最も分かりやすい。カード名に“死”という単語が入っている。これでもし【塔】のカードでも引いていれば札幌のテレビ塔にでも行く気になったかもしれないが(もちろん【塔】のカードにそんな暗示はない)。


「占い師になって、余命が格段に延びたんだけどなぁ。一体どうやって死ぬってんだ?」


 高校卒業時は30歳程度しかなかった余命は、占い師として有名になってからというものその倍以上に延びていた。当然稼ぎもいいしメディアにも引っ張りだこ。このまま何不自由ない人生を送っていくものなのだと、この世界を信じて疑っていなかったのに。


 ———自分で自分を占うのはタブーだなんてこと、素人でも知ってるってのに。ついつい調子に乗っちゃったなぁ。

 ———マジでどうしよ。今日は家から一歩も出ないようにしようか?

 ———そんなことで死の運命から逃れられるか?


 そんな風に思案していると、不意にリビングの机に置いていたスマートフォンが振動する。その音を聴いて、直視しがたい現実を思い出した。


 ———そういや今日もテレビの取材あったんだっけ…。


 おそらくもうすぐこちらに迎えが来るという連絡の電話だろう。このまま居留守を使ってもいいが、下手に扱うと不興を買って今後の仕事に支障をきたす恐れもある。このご時世、マスメディアを敵に回すことがどれほど恐ろしいか、うっかり有名になってしまった自分は嫌というほど知っていた。思案しているうちに着信は途切れる。


「でも、占いで今日死ぬって出たから取材受けませんっていうのも……いや、俺が言えば信じてくれる可能性も……いや、でも向こうも俺のことそんなに詳しくないしなぁ、信じてもらえるかどうか」


 いくら100%の的中率と言ってもやっていることは占いという胡散臭い商売だ(重ね重ね全国の占い師の皆さん本当に申し訳ございません)。世間には俺の占いをやらせの類だと勘ぐっている人も多い。ぶっちゃけ俺も自分で自分の占いを信じ切れているかと言われれば微妙なところだ。高確率で当たるとかならまだ分かる。すげーよく分かる。百発百中よりもそっちの方がよほど現実味があるしな。だが、今まで一度も外したことがないとなると占っている本人だって疑わしく思うのだ。そして、もしこの先どこかで外してしまったら世間はどう思うのだろうという恐怖とプレッシャーも。


 ———いっそこの占いが外れてくれれば何も言うことはないんだけどな。

 ———でも、うん、やっぱり今日は家で大人しくしていよう。急に体調が悪くなったことにして。一日だけだし。一日くらい許してくれよ神様。俺が今日死んじゃうと与えられた余命が無駄になるし、俺の占いで救われたかもしれない何万という人の運命が狂っちまうんだぞ?


 そう思ってリビングのソファーから立ち上がった時、聞いたこともないような破壊音が鼓膜に響いた。

 思わず真横を見ると、そこには家のガラス窓を突き破って太く長い棒状の何かが家の内部にまで迫ってきていた。棒には黒っぽい糸か紐のようなものが何本か巻き付いており、その先端からはバチバチと光が点滅している。

 自宅そばの道にある電柱だと気づいた直後、窓の外から作業服を着た男性の声が届いた。


「すみません!大丈夫ですか?!工事中の電柱が倒れてしまって!!」

「……いや、電柱が倒れるってどういうことだよ」


 電柱の撤去作業について数名の電気工事士の説明を受けた後、テレビ局の方に適当に連絡を終えるとはじき出されたように俺は外に出た。身体と心がしきりに「逃げろ」と危険信号を発していた。


 ———いやいやいや流石にないない。家に電柱が突き刺さるとかないって。

 ———どこか静かなカフェにでも逃げ込もう。日付が変わるまでに一生分のカフェイン摂取してやる。


 ***


「すぐに238万用意しろ!さもないとお前らを殺して俺も死んでやる!!!」


 ———どうしてこうなった。


 近所のカフェに入店した僅か数分後に、店は拳銃を所持する立てこもり犯の事件現場と化した。【人類削減法】が施行されてからというもの、短い余命を宣告された人間が自暴自棄になってこうした犯罪行為に及ぶことは珍しくない。


 ———というかなんで238万とか微妙な額要求するんだよ。せめてキリよく300万とかさ。


「社会復帰に失敗して借金まみれなんだよ!もうこんな世界嫌だ!」


 ———借金かい!余命が短いとかじゃないのか!


「あー、お兄さん」

「喋るな!ちょっとでも変な真似したら撃つからなぁ!」

「大丈夫、あんた5年後くらいに社会復帰して借金はちゃんと返せるよ。タロットにそう出てるから。あとね、だいたいあと10秒くらいで警官が突入してくるから早く逃げた方がいい」

「何言ってふご」


 ふご、と奇怪な音を発した時には、立てこもり犯は突入隊に拘束されていた。


 ***


 三度目の正直、という言葉がある。

 俺は今日既に二度の命の危機に瀕している。なんとなく、次が本当に最期になるんじゃないかという予感がした。

 立てこもり事件が解決して警察から軽い事情聴取を受ける頃には、時刻は昼を過ぎていた。


 ———もう本当に疲れた。間違いなく過去最大の厄日だわ今日。


 身も心も疲弊しきった状態で当てもなく外を歩いていると、ふと頬に冷たい何かの感覚を覚えた。


「……雪?」


 見上げると、雪が降っている。別に珍しくもなんともない。今は冬なのだから。その珍しくもない雪に気を取られてしまったのだから本当に今日は運が悪い。

 自分が思わず立ち止まったのは、信号機のない横断歩道の、ドがつくほどのド真ん中。視線を空に向けておまけに疲弊していた俺は、横から迫ってくる大型トラックの走行音に気付くのが一手遅れた。


「———あ」


 間の抜けた声をあげた0.1秒後に、凄まじい速さと重さが自分の身体に襲い掛かる。


 ———あぁもう。本ッ当に今日はツイてないや。

 ———自分が死ぬ運命まで的中させた占い師とか、後でいろいろ言われるのかな。


 死の間際、そんな暢気なことを考えていた自分に辟易する。

 意識が飛ぶ最中、最後に視界が捉えたのはトラックの無機質な銀色の車体と、身に覚えのない赤いマフラーだった。


 ***


「……生きてる?」

「あ、おじさん目が覚めた?」

「……えっと、君は誰かな?」


 目が覚めると、見知らぬ部屋の天井が自分を出迎えた。お花畑や血の池や三途の川が見えないということはどうやらあの世ではないらしい。いや、いくら占い師でもあの世がどういうものかまでは知らないからここはやっぱりあの世なのかもしれない。


「えーっと、事故現場に居合わせた一般人?とりあえず今お医者さん呼ぶね」

「お医者さん?じゃあここは病院?」

「そうだよ」

「そっか、助かったのか———ッ、いたた!!」


 身体をベッドから起こそうとした瞬間、刺すような痛みが両足に襲う。途中まで枕から上げた頭を思わず戻してしまった。


「無理に身体動かさない方がいいよ。おじさん、トラックに撥ねられて両足の骨が折れちゃったらしいから」

「足の骨……?」


 首だけ動かしてみると、そこには確かに絵に描いたような分厚いギプスでぐるぐる巻きにされた自分の両足があった。まるで白い長靴かブーツのようにすら見える。


「でもおじさんツイてたね。お姉ちゃんが咄嗟に突き飛ばしてくれなかったら間違いなく即死だったってお医者さんとか警察の人が言ってたよ」

「お姉ちゃん?」

「……私です」


 声のする方を見ると、自分が寝かされているベッドの隣に、可憐ながらやや軽薄そうな表情の女の子が横になっていた。どうやら、自分はこの子に助けられたらしい。


「お嬢さんが俺を助けてくれたのか」

「まぁ、そうなりますね」

「そうか、ありがとう」

「気にしないでいいです。それに、背中を押したときにちょうどあなたの身体が盾になってくれたおかげで私は軽い打ち身で済みましたから」


 見れば、確かに少女は自分のように包帯でぐるぐる巻きにはされていない。本当に軽いケガで済んだようだ。


「それでもだよ。本当にありがとう」

「……どういたしまして」

「そういえば坊や、ついでにもう一つ教えて欲しいんだけど、今の時間は何時ごろなのかな?」

「え?事故があった日付をとっくに過ぎて、翌日の夕方ですけど」


 ———そうか、翌日か。


「プッ、くふふふ」

「何笑ってるんですか?」

「あぁ、いやごめん。実はおじさん、本当は昨日死ぬはずだったからさ」


 ———とうとう、俺が占いを外しちまったか。

 ———こんな可愛い女の子に外してもらえたのなら、まだ良かったのかもな。


 思っていたよりも、世界はそう残酷なものでもないらしい。

 占いが初めて外れた上に大怪我を負ったというのに、どこか俺は清々しい気分だった。

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