暴虐な王と敗国の軍師

束原ミヤコ

序章

第1話


 大地はなんと狭いのだろう。


 嶺《レイ》は馬を駆っていた。少々気性が荒く人になつかないが、見事な黒毛馬である。一足ごとに艶やかにその体はひかり、風に美しい鬣が靡く。


 嶺は大柄な体つきの男であったが、黒毛馬は人を背に乗せているという負担をまったく感じさせることなく、風のように駆けた。

 足元の緑豊かな大地は、見渡す限り平坦で何もなく、遠くに山脈が連なっているのが見える。

 嶺は小高い丘まで馬を走らせると、綱を引く。黒毛馬は数歩歩くとその場で足を止め、窮屈そうに馬首を振った。

「見ろ、黒陽。あれが国境だ」

 嶺は、馬に話しかける。

「あの河が、国境だ。お前はあれを越えられるか?」

 高台からは、台地を隔てる大河が見える。

 その向こうに都が小さく見え、嶺の胸は躍った。

 あれは苑王の治める国である。嶺の国の隣国であり、馬にして約半日。なんと近いのだろうか。

 そして、自国のなんと狭い事だろうか。


 嶺は齢二十五。王の名を冠した嶺国レイゴクと言われるこの大地の王であった。

 即位して未だ二年に満たない。

 嶺国は大陸の南に位置する小国である。だが完全な自治が始まったのはほんの二年前で、その前は大陸を統べる沁王シンオウの属国であった。

 支配下に置かれたのは嶺の国だけではない。この周辺は総じて、長い大戦の後覇権を手にした沁王の属国にされていた。

 沁王の武力は強大であり、王は恐怖で人の心を縛っていたが、彼に逆らおうという気骨のある者はいなかった。嶺は幾度も反旗を翻そうと試みたが、その時は未だ若君であり、自分の意思だけでは軍を動かすことはできなかったのである。


 その沁王も、二年前に自らの臣下に謀反を起こされて、他界した。

 跡を継ぐ者は居なかったようだ。

 独裁者であった沁王を失い、配下は完全に統率を無くしたらしい。沁王の城は廃墟と化し、新たに力をつけたソウという男が、土地を奪ったようである。

 未だ二年。

 自治を取り戻した国々は沈黙を保っているが、再び戦乱の世が来るのはそう遠くない、と嶺は思う。

 ならば、自分が。

 嶺は、己の掌を眺めた。

 幼きころから、自分が武力に抜きん出ている自覚をしていた。

 大人たちと手合わせをし、それだけでは飽き足らず賊徒を討伐などしてきたが、嶺にとってその誰もが、雑魚にしかすぎなかった。嶺は苛烈な性分であったので、稽古においても真剣を使用し、負けた相手を切り殺してきた。殺されると分かっているので、相手が子供といえど皆必死であった。手加減されていたという記憶はない。

 それでもどの人間たちも虫けらにしか過ぎなかったのだから、きっと己が化物なのだろうと思う。

 王は嶺の力を恐れ、暗殺を企てていたようだが、その父ももう居ない。

 嶺は己の力を試してみたかった。

 沁王の居た場所を自分のものとするのは、なんと気分のいいことだろうとも思うが、それ以上に己の力を戦場にて発揮してみたかった。

 その為には、必要なものがある。

 嶺は再び視線を、遠くの都に向けた。

 ただ純粋に、欲しい。

 それはなんと甘美な妄執だろうか。

 俺にはあれが必要だ。

 嶺は玩具を欲する子供のような心境でそう思うと、再び馬の腹を蹴って高台から駆け下りた。

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