To angel,from angel

 翌日、終業式の日の夜のことだ。

 自室の机の上で天使ノートを完成させ、最後のページに大きく「¥130」と書きなぐった。

 記憶を掘り起して神経疲労に満たされた俺はベッドにダイブした。


 数秒ベッドの上に仰向けで寛いだ俺は、鏡に電話をかけることにした。

 基本連絡不精な俺が自ら連絡を取るのは、確認をしたいことがあったからだ。

 寂しい称号をちょっと前まで腰にぶら下げていた俺としては、こういったことは慣れていないので、あくまで確認という体裁での電話だ。笑われるかもしれないけど。


『もしもし』


 発信から五秒と経たずに鏡の声が聞こえた。


「えと、こんばんわ、風林だけど」

『そんなの番号でわかってるわよ』

「……ですよね」


 慣れない緊張で余計な恥をかく、俺のテンプレートになりつつあるな。


『どうしたの? 何かあったの?』

「いやー……うん、何かあると言えばあるけど、無いといえば無いような……」

『……切るわよ』

「あー! 待って待って、その明後日のことなんだけど!」

『明後日? がどうかしたの?』


 そう、明後日はクリスマスイブなのだった。

 これまで、撲滅せよ……爆発せよ……と念じる側だった俺も、もしかしたら反対側の人間になれるかもな……なんて思い馳せ参じて候わったという訳だった。わりいな、山目。


「明後日、暇かなー、なんて」

『明後日は賢道けんどう高校との練習試合があるの』

「…………」


 山目よ、まだ俺もそっち側だったみたいだ。

 クリスマスぼっち同士、共に慰め合おうではないか。いや、会いたくもないけども。


「そっか、悪い。じゃあ、練習試合頑張ってくれ」

『…………し、しし、し――』

「し?」

明々後日しあさって! 明々後日なら、その、何も予定はないけど……』


 明後日の翌日、クリスマスイブの翌日、つまり、クリスマス――。


「本当か!? じゃあ、会おうぜ!」

『……………………うん』


 ちょっぴり長い沈黙の後に承諾の返事が一つ。

 きっと今頃鏡は髪の毛でも弄っている事だろうな。俺は興奮で鼻の穴が広がっている。

 山目、わりいな!! 俺はもうそっちじゃないようだぜ! ガッハッハ。


『その代わりというか、一個、お願いがあるんだけど』

「お? なんだ? 何でも聞くぜ! マイスイートエンジェルの為なら何だって――」

『アホな事言ってると切るわよ』

「すんません」


 冗談の通じないエンジェルだこと。


『お願いって言うか、ただの願望なんだけど』

「おう」

『これから、その、い、一緒になっても、私より先に死なないでね』


 俺は絶句してしまった。

 鏡がどんな思いでそんな言葉を言ったかは見当がつかないが、鏡の願望は恐らく叶うことになるだろう。


「わかった。約束する」


 したくもない約束を俺はした。せざるを得なかった。これが強制力ってか。


 詳細は明日また電話する、と言い残して俺は電話を終える。

 頭の中が再び悲しき推論で満たされる。

 こんな辛い事実も、未来の泣きべそな俺なら規定事項で済ませてしまうのだろうか。


 恐らく、幾つになっても受入れられなさそうな規定事項をできるだけ考えないようにして、俺は眼を閉じた。







――ピロロ! ピロロ! ピロロ!


 夢の世界に四割程浸かっていた俺の意識は、何ともコミカルな音によって自室のベッドの上に舞い戻った。

 滅多に聴きはしないがこの音は俺の携帯電話への着信音だ。

 定位置から慌てて痺れ気味の右手で携帯電話を取り出し、画面を見て俺は首の隙間辺りから「は」という甲高い声を出していた。

 画面に表示されていたのは番号でも登録者の名前でもなく、『GD・DM』という意味不明な文字列だった。なんだ? ガドリニウムか? 遊○王か?

 止む気配がない着信に、悪戯電話の可能性を加味しつつ俺は恐る恐る出てみる。


「……もしもし」

『ネガティブでペシミストなアナタに、一つ提案があります』

「は?」


 なんだいきなり、やっぱり悪戯電話か? 宗教勧誘か?

 しかし受話器から聞こえる落ち着いたその声に、俺は無意識に背筋を伸ばしていた。


『規定事項を変えてみたいと思いませんか?』


 俺の頭の中に七色に光る液体がなだれ込むような感覚が走り、俺は体をバネのように起こした。

 携帯電話を持つ手が震えている。


『言い方を変えますね。誰かを死ぬ運命から救いたいと思いませんか?』


 俺は言葉が出ないまま、いつの間にか立ち上がっていた。

 この女の声は、そう、間違いない。


「どういう意味か説明してくれ!」

『そのままの意味ですよ! とにかく窓を開けてください!』


 言われるがまま、俺は乱暴にカーテンを纏めて力いっぱい窓を開けた。

 そこにはふわふわと浮いている片もみあげだけ長い女が居た。

 電話を切るのも忘れて俺は無我夢中で何度も見た格好をするその女に話しかけた。


「深月、お前今幾つだ?」

「二十四です! 女性に年齢を聞くのは失礼ですよ!」

「二十四でその格好は……どうかと思うなあ」

「う、うるさい! おじいちゃんに格好の事言われたくない!」


 おじいちゃん……。


「そ、そんなことはどうでもいいんです! それよりどうなんですか? おじ……夏樹さんは死ぬ運命から救いたい人、いますか? いますよね!?」

「どうでもいいって……。ああ、そりゃ居るけど」

「誰ですか!? 今、答えてください!」

「…………マイスイートエンジェル」


 俺の答えに大人びた深月はふわふわ浮いたままおでこに手を当ててやれやれと言わんばかりに首を振った。


「夏樹さんはあっちでもの事たまにそう呼んでましたね……この頃からだったんですね。とにかく、救いたいなら、来てください!」

「来てって……だって、それは規定事項で、強制力があるんじゃ」

「私の考えを忘れましたか? 私は最初から、規定事項は未来からの干渉で歪曲する可能性はゼロではないって言ったじゃないですか。今回は夏樹さんの指示ではないですけど、私の提案には賛成してくれたんです! ほら、行きますよ!」


 そう言って窓の向こうから手を差し伸べてくる深月。

 やっぱり、俺の推論は正しかったんだね。良く思春期を貫いた、偉いぞ、俺。


「行くって、何をしに!?」

「夏樹さんのエンジェルを救いに、です!」

「どこに!?」

「いいから、早く掴まって! 時間がないんです!」


 このやりとりに既視感を感じながら、俺は窓の外に浮く深月の小さな手を掴む。

 それと同時に深月と共に俺は上昇し、宙に浮いた。

 空を飛んだ…………とは言えないかな。深月にぶら下がっているだけだし。

 そしてめっちゃ怖い。落ちたら死ぬ。


「それじゃ行きます!」

「深月、お前の苗字は何ていうんだ?」

「もうわかってるでしょ! 行きますよ!」


 言いながら深月はポケットから小さな羽根のキーホルダーの付いたパスケースの様なものを取り出して、同時に落下が始まった。

 不意に煌めく空気の粒と圧し掛かる重力を感じながら、また今回もゆっくり話す事はできそうにないなと思った。


 取り敢えずは、可能性があるなら天使様の言う通りにしてみるか。

 差し当たり、俺の天使を救いに行ってみるとしよう。

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