第11話 仕事の記憶がない
お風呂場から戻って来るとソファーに腰をかけ、ポンポンとこちらへ座るように促される。
「じゃあいろいろ聞かせてもらおうかしら」
さっきのニヤけた顔などこちらが忘れてしまうほどに怖い。
「次の作品は……」
「そっちの話じゃない。……記憶あるんでしょ?」
もう誤魔化す事は出来ないし、ナツ姉には誤魔化そうとも思わない。
「記憶がなくなっていたのは3日だけだよ。ずっと騙しててごめん……」
僕の言葉にプンプンと怒ってるようにほっぺたを膨らませながらも、瞳からは優しさや安心しなさいといった想いが伝わってくる。
「ほんとだよ!この悪ガキがー。それで?全部聞きたいところだけど、強情なメモリーの事だから無理に聞いても答えない可能性もあるし言える範囲でいいから吐き出しなさい。少しはスッキリするわよ」
全部お見通しか。それが逆に嬉しい。
記憶喪失のフリは思っていたよりもしんどかった。人を騙すのは少なからずストレスが溜まって当たり前だけど、僕の場合は世間の目を全部騙しているのだから。
誰かに言いたいことも言えない。愚痴を聞いて欲しくても言えない。辛くてもいつもひとりぼっちだ。
「3日間の記憶喪失で嫌になっちゃったんだよいろいろな事が。人を信じられなくなった」
「わたしまで信じられなくなった?」
「そんなことない。僕は階段から押されて入院したから、今度はスキャンダルだけじゃなく物理的にナツ姉を狙って巻き込まれでもしたらと思うと……怖くて危険にさらしたくはなかったんだよ」
「そっか守ってくれようとしてたんだね」
お願いだから、「いーこいーこ」って呟きながら頭撫でて子供みたいにしないでよ恥ずかしいから。
でもこんな時間も久しぶりで楽しい。
「それで?千花ちゃんには隠さずに言ったんでしょ?」
「……記憶をなくしてる間に別れてくれってメッセージが来てて、俺たち……別れたんだよ」
「ちょっと待ってよ。ぜんっぜんわかんない!意味わかんない」
「でしょ?」
「でしょじゃないわよあんたがよ!殴られたいの?」
「えっ?」
「え?じゃないわよ。言いたいことは山ほどあるけど、返事もしなかったって事でしょ?あんた達の付き合いがメッセージだけのやりとりで終わるわけがないじゃない!なんで会って聞かないのよ?なんで電話くらいしないのよ?あー頭にくる」
「記憶喪失だったから……」
「たった3日でしょ!記憶が戻ったならすぐに連絡するべきでしょ?千花ちゃんも千花ちゃんで学校で起きた事故なのに知っててなんで病院に来ないわけ?心配で見舞い行くでしょ普通。別れるならメッセージだけなんて絶対におかしい!」
……たしかにそうだ。
小さな頃からずっと一緒に過ごしてきた千花が真っすぐな性格なのを僕が一番知っている。
裏切ったのは千花ではなく……僕が信じることが出来なかったのか?
あのメッセージにはなにか秘密や理由があるのか?
「一通り聞いてからにするわ、続けて」
「そんな簡単に別れられるほど薄っぺらい絆だと思ったらどーでもよくなって」
「記憶喪失のフリを続けて現実から逃げたと?」
「はい」
ナツ姉が般若のような顔になっている。
全部ひとりで考えていたから思いもよらなかった。不自然なところがないか原稿の読み合わせをする打ち合わせと同じ要領でナツ姉が疑問点を洗い出していく。さすが敏腕キャリアウーマン。
「学校でも記憶喪失のフリをしていたら、千花と親友だと思ってた浩一が恋人同士だと聞かされて……」
「ちょっと待った!メモリーが記憶喪失なのにすぐに付き合いだした事を報告してきたと。どっちが言ったの?」
「何を?」
「あーイライラが止まらないわ。どっちが恋人だって言ったのか聞いてんのよ?」
「浩一……です」
横にいるから睨まれると近くてやばい怖い。これじゃ仕事の時と同じじゃないか。
帰りたい……ここが僕の家だけど。
「千花ちゃんは肯定も否定もしなかったでしょ?」
「なんでわかるの?」
「この話が没原稿だからよ。あなたも小説家なら冷静になれば分かることじゃない」
頭にチョップを何度もしてきてさらに、
「それ以来ラブラブな二人を見かけないでしょどうせ」
「一緒にいるところも見てないし、この間千花に助けられた時も浩一と目も合わせてなかった」
そうでしょそうでしょと目を閉じたままナツ姉は頷いている。
僕が間違いだらけだった?
完全記憶能力を持っているから、自分を過信しすぎていた?
「助けられただー?もういい、メモリー帰っていいわ。今日はもう仕事にならないわ。ビール持ってきてビール」
やった、やっと帰れる……って仕事じゃないし、高校生だからビール買えないし、僕の家だからナツ姉が帰ればいいじゃん。
「だいたいこっちの話は分かったわ。わたしから言える事は、とにかく早く千花ちゃんとじっくり話合いなさい。ここまで拗れてしまったからなんとも言えないけど……話を彼女から聞かないと前に進めないわ」
そうだナツ姉の言うとおりだ。
ちゃんと向き合って話さなければ何も分からない。もう遅いかもしれないけど逃げてばかりじゃダメなんだ。
ん?こっちの話?あっちの話でもあるの?
「わかったよ。ちゃんと話してみるよ」
「その時も記憶喪失のフリしながら話すのよ?誰が聞いているか分からないし話が漏れると面倒なことになるから。わたしの推測で先入観を与えたくはないからちゃんと話を聞くのよ?」
「わかったよ。頭が混乱しているけどナツ姉に聞いてもらって良かったよ。ありがとう」
「なにひとりで完結してるわけ?あっちの話がまだでしょ?」
なに逃げきろうとしてんのよ?と言わんばかりにジト目で僕を見てくる。
あっちの話って……下ネタ……なわけないですよね。
「メモリーから女の匂いがする。この部屋からも同じ匂いがする」
「はへっ!?」
驚いて変な声をあげてしまった。
ここまでくると『名探偵ナツミ』だよこれじゃ。
「なんで?って顔してるわね。あのキッチン棚に置いてある真新しい可愛いマグカップは誰のかしら?」
「え?ええええええええ」
急いでキッチンに行ってみれば、たしかに大きなハートのイラストが描かれたピンクの可愛いマグカップがキッチン棚に置いてある。
完全記憶能力で記憶しているけど、自分の家の中を注意深く見ることはないから気付かなかった。
今日の話といいマグカップといい僕はかなり抜けてるのかもしれない。
でも悪いのは僕ではない。
もちろん小悪魔だ。
いなくてもあざとい。
「あいつ……」
「さあ今度は全部聞こうかしら?」
ナツ姉の目はまったく笑ってはいなかった。
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