午前3時の訪問者

蓮水凛子

第1話

 ピンポーン……

 インターホンの響きが、俺を心地よい眠りから引きずり出した。

 暗闇の中、枕元のスマホを手探りで引っ張り、タップする。時刻は、ちょうど午前3時。

「勘弁してくれよ」

 俺は耐えきれず、布団を頭からひっかぶった。

 ピンポーン、ピンポーン……

 そんな俺の気持ちなどお構いなしに、インターホンは狂ったように鳴り続けた。



「大丈夫か?」

 翌日、大学の教室に入るやいなや、友人の蔭山(かげやま)君から声をかけられた。

「んあ?」

 まともに寝ていないので、俺は半分あくびをしながら、蔭山君の顔を見上げた。

「目の下にクマできてるよ。顔色も悪いし。今日は休んだ方が良くないか」

「んー……」

 蔭山君は心底、心配してくれているようだ。俺は思い切って、今の状況を蔭山君に相談してみることにした。



 俺と蔭山君が出会ったのは3カ月前。大学の入学式後のオリエンテーションで、だった。大学に入学して、まず不安なことといえば……。まあ履修登録とか、慣れない一人暮らしとか、いろいろあるが、最も重要なのは「友達できるかな」ってところだろう。友達に恵まれるかどうかで、この4年間の成否が決まると言っても過言ではない……いや、さすがに過言か。

 まあそんな気持ちは俺だけではなかったようで、オリエンテーションの前半が終わり休憩に入ると、何となく前後や左右で自己紹介を兼ねた会話が始まった。とはいえ、元々人見知りな俺。しかも秋田県から上京したばかりで、方言もあって余計口が重くなる。そんな時、話しかけてきてくれたのが、前の席に座っていた蔭山君だった。話していくうち、蔭山君が青森県から上京し、大学入学を機に一人暮らしをしていることが分かった。同じ東北出身、しかもよく似た境遇だったから、あっという間に意気投合し、結果、蔭山君は大学で初めてできた友達となった。



 1年生のうちは必修科目が多いから、蔭山君とはほぼ毎日顔を合わせた。蔭山君は背が高く、顔もどちらかといえば男前に属する部類だが、服装は地味でチャラい雰囲気は全くない。物静かでいつも落ち着いていて、同い年なのに、何というか、凄く大人だった。そんな蔭山君に、俺はここ数日眠れない原因を打ち明けようと決めた。



 2人で授業を自主休講(要するにサボリ)にして、俺と蔭山君は学食で向かい合った。まだ午前中ということもあって、人はまばらだ。

「で、何があったんだ?」

 自販機で買った紙コップのコーヒーを啜りながら、蔭山君は尋ねた。

「うん。実はさ」

 俺も紙コップのコーヒーに口をつけた。蔭山君の真似をしてブラックのまま飲んでみたのだが、あまりの苦さに「実はさ」の後を続けることができなかったから、諦めていつも通り砂糖を2杯、コーヒーフレッシュを1個入れた。

「……最近、夜中にインターホンが鳴るんだ」

 俺はここ数日悩まされている深夜3時のインターホンについて蔭山君に語った。

「毎日、3時?」

「うん。スマホで時間見たから、間違いない。毎日同じ時間」

「ふうん。イタズラにしては、タチが悪いな」

「だよな。毎日それで起こされて、そのあと朝まで寝れなくて、ここんとこずっと寝不足なんだ」

「そっか」

 蔭山君はしばらく考えていたが、やがて言った。

「今日、加藤君ち泊まっていい?実際に俺も見てみたい」

 それは願ってもない申し出だった。2人いれば心強いし、何か対策ができるかもしれない。

「ありがとう。助かるよ」

 こうして俺と蔭山君は授業が終わったあと(2限目からはちゃんと出席した)、一緒に俺のアパートへと向かった。



 俺が一人暮らしをしているアパートは、大学から徒歩15分の距離だ。築15年の2階建て。全10室のこじんまりとした建物で、周囲は住宅街で治安もいい。

 俺は蔭山君を案内してアパートに着くと、まず郵便受けを開けた。中にはダイレクトメールやチラシの他、封筒がいくつか入っていた。が、その封筒の宛先は俺ではない。「中条ちさと様」となっている。「ちゅうじょう」だか「なかじょう」だか、読み方は知らない。

「あ、まただ」

 俺は蔭山君を振り返り、封筒を見せた。

「ひょっとして、前住んでた人のか?」

 蔭山君が言った。俺は頷いた。

「たぶんね。転送、ちゃんとしてないんだと思う」

「どうすんの、それ」

「捨ててるけど、マズイかな」

「勝手には良くないな」

 蔭山君は俺の手から封筒を受け取った。裏と表を確認して、ちょっと顔をしかめる。

「督促状って。ヤバイだろ、これ」

「よく入ってるよ。電話とか、電気とかガスとか……こないだは明らかにサラ金ぽいのもあった」

「取り立てとか来たらどうするんだ。不動産屋さんか大家さんに連絡した方がいい」

「うん。やっぱ、そうだよな」

 俺は1階の外廊下を奥へとすすんだ。一番奥、105号室が俺の部屋だ。

「入って。散らかってるけど」

 鍵を開け、背後の蔭山君を振り返る。蔭山君は部屋のドアではなく、隣の空き地をじっと見つめていた。

「どうかした?」

 蔭山君は俺がそう聞いてもしばらく答えず、何だか険しい表情で空き地の一点を凝視していた。

「蔭山君?」

 再度、俺が呼びかけると、弾かれたように蔭山君が振り返った。まるで今やっと俺に気付いた、とでもいうふうに。そして、俺に聞いた。

「なあ、あの空き地って、ずっと空き地?」

「え?あ、ああ。少なくとも俺が引っ越してきた時はもう空き地だったよ」

「ふうん」

「空き地がどうかした?」

「いや、別に」

 蔭山君はそれ以上何も言わず、「お邪魔します」と言って部屋に入った。俺は何となく気になったが、結局、その疑問をどう聞けばいいのかも分からなかったので、空き地の話はこれっきりになった。



「散らかってるけど」。

 人を部屋に招き入れる場合によく発せられるその言葉はたいてい、謙遜だろう。まがりなりにも人に遊びに来てもらう、もしくは泊まってもらうのなら、それなりのレベルには片付けるはずだ。

 が、しかし。俺の場合の「散らかってるけど」は紛れもない真実だ。実家にいるときは母が口うるさく「片付けなさい」と怒鳴っていたが、1人暮らしになるともはや注意してくれる人が誰もいない。入居当初、一緒に上京した母とともに、快適な住空間を作り上げたはずだったが、今やそれは崩壊の危機に瀕していた。ベッドの上に脱ぎっぱなしの服、フローリングの床に転がった片方だけの靴下、雑誌、大学の教科書、DVD、ゲーム、食べかけのお菓子……。蔭山君は何も言わなかったが、さすがに苦笑していた。俺はどうにか物を端に寄せ、2人座れるくらいのスペースを作り、座布団を置いて蔭山君の席を作った。



 他愛もない話に興じたり、ゲームをしたりしているうちに、いつしか窓の外は暗くなっていた。時計を見ると7時だ。

「夕飯どうする?」

 と俺は蔭山君に聞いた。

「俺が何か作ろうか」

 と蔭山君が答えた。

「蔭山君、料理できるんだ」

「うちはずっと父親と2人だったから。中学の頃から、俺が炊事当番だったんだ」

 蔭山君が小学校3年のときに両親が離婚し、母親が家を出たため、それ以降、家族は父親だけ。仕事が忙しい父親に代わり、中学生の頃から料理をするようになったという。

「すごいな」

 俺は心底感心した。俺は実家にいた頃、料理なんて全くしたことがない。アパートには一応、炊飯器や電子レンジといった家電が揃い、2口コンロも付いているが、入学以来、まともに自炊なんてしたこともない。朝はコンビニで買ったパンかカロリーメイト。昼は学食だからまあまともだが、夜はたいていコンビニ弁当かカップ麺。バイトがある日はバイト先のまかない、という感じの食生活だった。家にはお菓子をのぞけば、食材はおろか、調味料すらない。たった一つ、実家から送って来た米はあったが、炊くのが面倒でそのままになっている。冷蔵庫はほぼ空っぽで、入っているのはペットボトルのお茶だけだ。

「すごいな」

 蔭山君は俺の後ろから冷蔵庫を覗き込み、心底感心……いや、確実に、呆れかえっていた。



 結局、俺と蔭山君は、近所のスーパーへ食材の調達に行った。俺の普段の食生活、そして調味料すらないという事態を心配した蔭山君が、カレーを何日分か作り置いてくれるという。

「マジで、体壊すからな。せめてご飯くらい炊けよ。せっかく米、送って来てくれるんだし」

 と蔭山君は怒っているのと笑いとが半々くらいの表情で言った。

「だよなあ。料理とかマジ苦手でさ」

「慣れだよ、慣れ。別に自分が食うだけだし、多少変でもいいんだよ。俺も簡単なものしか作れないし」

 簡単なものしか作れない、という割に、蔭山君は慣れた手つきで食材を次々カゴに入れ、カレールーを手に取って吟味している。簡単なもの。俺にとって簡単なのはカップ麺くらいだが、それは料理とは言えないしな……と、俺はちらりと思った。



 蔭山君の作るカレーは、お世辞抜きに美味かった。久々にまともな夕食を食ったという感じで、俺は何度も蔭山君にお礼を言った。

 食べ終わると蔭山君は炊飯器に残っていたご飯を1膳分ずつラップにくるみ、冷凍庫に入れた。カレーも1食分ずつタッパーに移している。(ラップもタッパーもさっきスーパーで買ってきたやつだ)

「明日はレンチンすれば食べられるから」

 と蔭山君は言った。もう完全に主婦みたいだ。何もかもやってもらったのが申し訳なくて、俺は食後の皿洗いを一手に引き受けた。そして、せめてカレーくらいは自分で作れるようになろうと固く心に誓った。



 お菓子を食べながら延々ゲームをやって、俺と蔭山君が布団に入ったのは深夜2時を過ぎた頃だった。ベッドは蔭山君に譲り、俺はベッド下でタオルケットにくるまった。

 電気を消し、真っ暗になった部屋。寝不足なはずなのに、俺は妙に目が冴えていた。今日も、インターホンは鳴る。そんな確信にも近い予感があった。ちらりとベッドを見上げる。蔭山君はタオルケットをかぶって、身動きひとつしない。眠っているのかどうかはよく分からない。時計の音がやけに大きく聞こえ、時折、冷蔵庫のブウンというモーター音がそれに混じった。

 ……。

 どれくらい、経っただろうか。

 少し、うとうとしかけて、ハッと目を覚ます。それを繰り返していた時だ。

 

 ピンポーン……


 

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