Le Combattant Solitaire ~孤独な拳闘士~
平中なごん
Ⅰ 秘密倶楽部の拳闘士
聖暦1580年代中頃。フランクル王国・王都パリーシィス……。
セイン川の河畔に開けたこの大都市には、街を貫く幾つもの広い大通りに瀟洒な高層建築が立ち並び、世に〝華の王都〟とも謳われる、エウロパ世界における文化の中心地である、
だが、そんな美しく華やかな街にも、その裏側には深い闇が広がっている……いや、表の世界が明るく輝けば輝くほど、その光の届かぬ裏側には、濃く、深い闇が作り出されるのだ。
エウロパ最古級の伝統を誇るサン・ソルボーン大学を中心とした学生の街カルチェ・レカンドラ。それに隣接するモン・パルナッソー地区は荒れ果てた何もない丘陵地だったが、近年の道路整備にともない、カフェやキャバレーなどが軒を連ねる大歓楽街へと変貌を遂げていた。
そんな夜の街の遊興施設の一つ、貴族や大物商人もお忍びで通う、富裕層向けの会員制秘密倶楽部〝
ただし、こちらは古代のそれと違い、〝剣〟ではなく〝拳〟でやり合う一対一の〝拳闘〟である。もちろん、脚や頭など徒手空拳ならばなんでも使ってよい。
また、それは勝者を当てるギャンブルともなっており、命を賭けた真剣勝負に高揚するばかりでなく、観客達は多額の金をひいきの拳闘士につぎ込み、夜ごと狂乱の宴に興じているのだ。
「――さあ、次は今夜一番の注目のカードです! 一方は最近人気急上昇中! 遥か南方、海を隔てた未開の地オスクロ大陸よりやって来た奴隷出身の大男、人呼んで〝黒豹〟ことミカ~ル・テ~ソぉ~っ!」
赤い鮮やかなジュストコール(※ジャケット)に水色のジャボ(※首に巻くヒラヒラのやつ)を着け、オールバックの黒髪に眼帯をしたチョビ髭のダンディなレフリーが、大きなシャンデリアに照らし出されたリングの中央で、よく通る名声を高い丸天井に響かせる。
「おおおおおお~!」
「キャー! ミカル~! 愛してる~っ!」
すると、大きな歓声が巻き起こる中、リング脇にかけられた緞帳が上がり、一般人の倍はあろうかという肌の黒い男が、テープを巻いた両の拳を高々と掲げ、腰巻一丁の半裸姿で筋肉隆々の肉体を晒しながら現れる。
「対するは、常連客の間でも根強い人気を誇る、こちらもはるか東方
「ヒュ~っ!」
「L・O・V・E、らぶりールゥファ!」
続いて、やはり大声援に背中を押されながら、今度はどこからどう見ても子供のような、ツインお団子頭に桃色の丈の短いカンフー服を着た東方人の少女が、反対側の緞帳が上がるとともにちょこちょこと歩いてリング中央へと進み出る。
一見、闘うまでもなく結果は明らかな、目に見えて少女には不利な対戦に思われるかもしれないが、それがそうでもないことはホールを埋め尽くす観客の声を聞けばよくわかる。
「ミカル! そんなガキ、踏み潰しちまえ! 負けたら承知しねえからな!」
リングの脇に立つ、いかにも極悪なマフィアのような風貌をした白い髭面のオヤジ――ミカルの主人である興行師サリュック・ダリッソーが、応援するというよりは叱りつけるように怒気を含んだ声を荒げる。
「露華っ! やっちまえ! サリュックの野郎におまえの強さを見せつけてやれっ!」
また、反対側のリング脇では、黒いつば広帽をかぶった銀色巻き毛ロングの中年男性――少女の雇い主で、やはり興行師のジャン・イルモンドも、欲深げな顔を赤らめて自らの手駒に檄を飛ばしている。
「お互い準備はいいな? それでは、
象と蟻ほども身長差のある二拳闘士がリング中央で対峙すると、レフリーが闘技場を囲む観客達の方を見回しながら、大仰な仕草で試合開始の声をあげる。
「ウオォォーッ!」
と同時に、ミカルの猛攻が即座に始まった。彼はその巨体から繰り出される重たいパンチの連打を、情け容赦なく相手の少女へと浴びせかける。
「そうだミカル! 速攻で沈めちまえ!」
「キャ~っ! ミカル最高ぉーっ!」
必死でそれを受け止め、防戦一方のように見える少女の姿に、ミカルの主人サリュックや彼のファン達からは興奮の声が次々とあがる。
「フン。素人どもめ。どいつもこいつも目が節穴のようだな……」
だが、少女を見守るジャンが嘯いた通り、それが卑裂な弱い者いじめでも、過剰な暴力でもないことは見る者が見ればすぐに知れる……少女――露華はその拳を全弾その身に受けながらも、小さな体を捌いて柳の如くすべてを受け流し、微塵もダメージを負ってはいないのだ。
「……ハァ……ハァ……ウオォッ…!」
「息ガ上がって来たネ……それじゃ、そろそろこっちモ行くネ。アチョーっ!」
さらにはちょっと変なイントネーションながらも余裕綽々な様子でそう呟くと、ミカルが疲労するのを待っていよいよ攻勢に転じる。
「ハイ! ハイ! ハイ! ハイネっ!」
若干、速度と威力の落ちたミカルの拳を掻い潜り、露華は独楽鼠のように素早く動き回りながら、その巨体のあちこちに高速の拳打と蹴りを連続で叩き込んでゆく。
「ウゥ……」
その雨霰の如く降り注ぐ攻撃に、ミカルは堪らず巨体を丸めると、露華とは対照的にすべてを真正面から受け止める。
「…ウゥ……ウオォォォォーッ!」
「チッ…硬くて通らないカ……」
だが、小柄な露華の打撃では……いや、普通の人間なら一撃でのされるほどの威力は充分にあるのだが、そんな彼女の拳や蹴りを以てしても、ミカルの分厚い筋肉の鎧は跳ね返してしまうのだ。
「ウオォォォォーッ…!」
「いいぞ! よく耐えた! 頑丈なおまえにはどんな攻撃も効きやしねえ! そのまま防御は考えずに殴っ殴って殴り続けろ~っ!」
再び猛攻を始める黒い巨人に、サリュックやファン達は再び盛り上がり、雄叫びの如き声をホール内に響かせる。
「打たれ強い野郎ネ……デモ、そんなヤツニハ陽拳でなく陰拳ヲ使うマデネ!」
しかし、東方の不可思議な拳法を使う少女は、なおも攻撃を受け流しながら、何も動じることがなかった。
再び襲い来る拳を捌きながら隙を窺うと、まるで小さなヒビにでも沁み込む水の如く、一瞬のその隙を突いてミカルの懐へ入り込む。
「コォ……ハァっ!」
そして、少し変わった呼吸の仕方をすると、渾身の一撃をミカルのシックスパックに割れた腹に打ち込んだ。
「無駄ダ、オマエノ拳、俺ニハ通ジナイ……」
しかし、分厚い筋肉の鎧にやはり阻まれてか、ミカルが片言のフランクルで語るように、その一撃もまるで効いている様子はない……かに思われた。
「ヒャハハ! どうだ! ジャンのとこの小娘! いくら東方のアマソナスだろうが、ミカルの頑丈さには敵わねえんだよ!」
「……? ………ウグッ…ゴハァッ…!」
だが、またもサリュックが自慢げに挑発するかのような声をあげたその時、何事もないように思えたミカルが突然、血を吐き、そのまま前方へ倒木の如く倒れてしまった。
「我ガ拳ハ表裏一体の双極拳。体の表面ヲ破壊する陽拳ガ表の拳なら、裏の拳である陰拳ハ衝撃波デ体内奥深くにまで損傷ヲ与えるネ。どんなに体ヲ鍛えようと防ぐ事ハ不可能ネ」
倒れ込むミカルを余裕の態度で横に避けながら、すでに気を失っている彼に語りかけるようにして露華は嘯く。
「ば、バカな……あのミカルが一撃でやられただと……」
「ヒャッハー! よくやったぞ露華! それでこそ俺が見出した逸材だあっ!」
唖然とするサリュックの呟きと喚起するジャンの叫び……対照的な二人の反応の後、闘技場は割れんばかりの拍手と歓声、それにアンチのブーイングで満たされる。
「ミカル、どうやらもう立ち上がれない模様……よって勝者は東方のアマソナス、陳露華ァぁぁぁ~っ!」
「今夜の仕事モ終わったネ。トットト帰って寝るネ……」
続くレフリーの絶叫にますます観客達のボルテージが上がる中、露華は手を組んで動かないミカルに一礼すると、淡々とした調子でリングを後にしてゆく。
「今夜もいい試合だったぞ、露華。ほら、今日の取り分だ。これでスープパスタでもなんでも食え」
そんな露華が下がって来た闘技場の隅で、ジャンはぎっしり硬貨の詰まった革袋の中から、わずかな銅貨だけを取り出して彼女に手渡す。
「パスタじゃなく拉麺がイイネ。デモ、辰国料理出す店ないから自分で作るネ……」
それを愛想のない顔で、やはり妙に淡々とした態度で受け取ると、特に勝利したことに喜ぶでもなく、どこかつまらなそうに露華はさっさと舞台裏へはけていった――。
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