第16話

 ずっと涙を流している父を見て、手を握っていた。

 見たことのない姿を見て、少し動揺しているが仕方がない。

 記憶の一番奥にある母の葬儀の光景と重なることが多い。


「お父さん……大丈夫? ちょっとだけ休む?」


 その言葉を聞いて意を決したような表情でごしごしとシャツの袖で涙を拭った。


「大丈夫だよ。他に見たい場所を見て回ろう」


 アンは父と共に資料館の飛ばした展示を見ることにした。

 いきなり慰霊碑に走っていったので、かなり展示をすっ飛ばしていたようだ。


(屋内がほとんどなんだ展示……すごい展示数だよね)


 父は琥珀色の瞳から零れ落ちる涙を拭いながら、ずっと歩き続けていっていた。


 でも、アン落ち着いていて、ふとした瞬間に泣いてしまいそうな心境ではあるのには変わりない。


 着ていた白い襟とカフス、リボンのついた濃紺のワンピースのスカートと黒髪が揺れる。


 風が吹いて、カラカラと何か音が鳴って、音の正体を見つけるように頭上を見た。

 屋根にある風見鶏はとても古く、少しだけ古いものみたいだった。


 歴史のある古い建物なのだと実感できるくらいのものだった。


「きれいに残ってるんだね? このお城」

「ああ……ほとんど無傷で残されたらしい。初めて来たな、ここは」


 ウィリアムがとても初めてだったようで、辺りをキョロキョロしている。


 展示は建物のなかがほとんどではあったが、目的の場所を探すことにした。

 トランクを片手にしっかりとした足取りで歩いていく。


 アンは深呼吸したり、ハンカチで鼻を拭いたりしている。


「アン。落ち着いた?」

「うん……お父さん、目元、赤いかな?」

「自分も言えないけど……まだ収まってない」


 慰霊碑の前で泣きすぎて目元が赤くなっているので、お互い苦笑いをしながら歩いていた。

 石階段を上ると、城のなかへと入った。



 城のなかはじゅうたんが敷かれ、まるで貴族の邸宅を思わせるような設えをしているのは明らかだ。


「ここお屋敷みたいだね! シャーリー伯父さんが持ってる別荘みたいだね」


 父の実家であるアンダーソン子爵家の本邸とは違うが、別邸がとても歴史のある建物であるとアンは思っていた。


(すごいお屋敷……ここ、かなり古そう)


 建てられて何百年も経つのか、あちこち古くないようだった。


「そうだな」


 城のなかは銃弾の穴があったり、作戦で使われたと思う地図が机におかれてあったりしている。


 机などの調度品は質素でありながら優美なものばかりであり、ここの主の趣味がにじみ出ていた。

 ここはハインブルクを治めていた領主の住まう城であったらしく、城の廊下には家族とおぼしき肖像画が飾られていたようだ。


 肖像画はきれいに保存されるように防御魔法がかかっているようだ。


「この肖像画……スミス中佐に似てない? 気のせいだと思うけど……」


 アンは一つの肖像画を指差した。


「ほんとだ、彼に似てるね」


 そこにあったのは金茶色の髪に緑色の瞳を持つ正装が身に包んだアンよりも年上の青年が立っている。

 彼に寄り添うように椅子に座るのは、緩やかに巻き毛は銀色でサファイアのような青い瞳を持つアンよりも年下の少女。


「きれいだね……この絵画、引き込まれる」


 彼らの描かれた服装からして半世紀ほど前のもので、説明文が書かれてあって父娘はそれを見てみると、この肖像画に描かれた青年は当時公爵だったヴィクトル・スミルノフ。

 隣にいる少女はその婚約者のアナスタシア・ルイエーエヴァ――当時ロジェ公国の君主であるルイエーエフ家の末娘で、絵が描かれたときの年齢は十四歳だったという。


 スミルノフ公爵の子孫は現在首都のユーリエブルクにおり、領地であるハインブルクこちらへは赴く程度になっている。


「面影が重なる気がする……」


 ここの城の主とは親戚なのかはわからないが、スミス中佐は戦争時は少し複雑そうな表情で戦地にいた。


 この建物が戦争に使われることは、地元住民も信じられないと思っていたはずだ。


「ここで……北軍の司令官が自害していた」


 父が母を看取った後、同僚に聞いた話を聞いたことだという。


「そうなんだね」

「うん。それから、あそこじゃないか?」


 そこはステンドグラスがきれいな場所で、そこの西側の石壁は文字が刻まれている。

 その文字は亡くなった兵士の名前が全て刻まれているのだ。


「すごい……」


 アンは少しだけ驚きの表情をしているようで、少し驚きを浮かべている。

 国ごとに名前が刻まれていて、アンは一人で母の名前を探し始めた。


「あった……」


 そこにハナ・サクラノミヤ=アンダーソンがあり、そっとアンはなぞっていく。


「お母さん。心配しなくてもいいからね? これからうちが教師として、次に伝えていくから」


 成人年齢を迎えて、アンは一つの目標ができた。

 教師となることが今の最大の目標であり、多くの子どもたちに戦争について教えていきたいと考えたのだ。


「うん。そうか……」

「お父さん、これからどこに行くの?」


 そのときにウィリアムはアンに地図を手渡した。


「ユーリエブルクへ行こ。あそこで一泊して、戻ってくれば……大丈夫だ、帰りは三日で戻れる」


 アンは驚きの表情を浮かべ、笑顔でうなずいた。


「行く! お父さん、早く行かないと、列車に間に合わなくなるよ!」


 資料館の門を出るとアンは空を見上げ、思わず眩しく琥珀色の瞳を細め、持ってきていた帽子を被って坂を下りていく。

 ウィリアムは娘の表情を見ながら、笑顔でそのあとを追いながら歩いていたとき。


「ウィル! アン!」


 サーシャがこっちに向かって手を振っていて、レイーズリー駅に来ていたみたいだ。


「どうしたんだ、サーシャ」

「ここに来る頃だと思ってね! 俺は息抜きも兼ねて来ただけ」


 サーシャと途中まで駅の近くで話をしてから、別れのあいさつをすることにした。


「元気に頑張れよ。ウィル、早死にするな」

「ああ……しないぞ。サーシャ、お前の書いた本、楽しみにしてるぞ」

「明後日なんだよ、締切……」


 どうやら締切前らしく、本人は大変そうな表情で結っていた金茶色の肩にかかる髪をかきあげている。

 やや遠くを見つめる眼鏡をかけた瞳は淡い水色をして、目を細めている。


「ウィル、わかってるって……そんなことを言われなくても。アン、またね。ファンレターを待ってるよ!」

「サーシャさんの本、また買いますね。手紙も書きます」


 サーシャはすぐにメモを書いて、アンに急いで手渡した。


「ここに送ってくれれば、俺にファンレターが届くから。また遊びに来てね! 今度は一人で」

「はい、お父さん。早く行こう」


 サーシャはウィリアムとアンを改札口まで見送ると、少しだけ煙草を吸ってから家に戻っていった。


「次回作、アンをモデルにしようかな?」


 そんな独り言を残して、急いで家へと向かった。



 アンは先に駅の改札の前へと走る。

 レイーズリー駅からハインブルク駅行の列車のチケットを買い、ホームに止まっている列車に乗っていく。


「あ、アン。ここに座ろう」

「一時間くらいだもんね。お父さん、ハインブルクまでは」


 ウィリアムがうなずくと、列車が動き出していた。車窓の風景がだんだん過ぎる速度を上げ、走り始めていく。


(わたし、今年の旅行が一番好きだな)


 いままで行ったことのない国へ行ってきたが、ロジェ公国の旅行はとても楽しい時間を過ごせている。


「お父さん、そろそろ旅行も終わりだね!」


 父に話したら、寂しそうにほほえんだ。


「そうだなぁ、今年で最後かもな」


 学院を卒業すると、アンは教育機関に就職して独り立ちする。

 その日まであと十ヶ月ほどだ。


(あんなに小さかったのに)


 仕事であまり会えなかったときは、会うときが楽しみだったのだ。


 そのつど彼女の成長していく姿を見せてくれ、たまに大きなケンカをして口を利かないときもあった。

 それがとても嬉しくもあり、ふと寂しさも含んだ気持ちになっていた。


(ほんとは成長してほしくないんだよ、ずっとこのままでいてほしい)


 仕事とかでずっとそばにいたわけではないが、娘のことは一度も忘れたこともなかったのだ。


「お父さん……何、じろじろ見てるの?」


 アンは旅行記を片手にずっと見ていた。


「アン、好きなところを見に行こう。ユーリエブルクに着いたら」

「いいの?」

「うん、演劇だったり、バレエだったり」

「そうだね。わたしはユーリエブルクの風景を見たい」


 旅行記のスケッチを見ながら、一緒に行く旅行の終着地はロジェ公国の首都ユーリエブルクだった。

 アンは列車のなかでずっと楽しみにしながら、早くユーリエブルクへと行きたいと思っていた。

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