1 根人の悪夢
人は悪夢を見る。それに恐れ、うなされ、最後にはもがきながら死んでしまう。僕はその恐ろしい悪夢へ飛び込む獏(ばく)の内の一人――――いや一匹だ。もっとも、単位につられて本質が変化するならば、世の中これほど楽なことはない。
一体この悪夢の発症者はどんな思いを抱えていたのか。いつ、どのようなことが起こったため、このような心象風景を描き始めたのかーーーつい、無為な同情に囚われそうになる。
物語の中の生物『獏』。彼らがどんな特性を持っているか正確に把握できるわけもないが、きっと悪夢の中で発症者の事情を妄想したりはしないだろう。
「なにナーバスになってるんだか・・」
気を取り直すようにそうぼやきながら、僕は足元を踏みしめた。細い葉の一本一本にたっぷりの露が乗っていて、まるで地球に霧吹きでもかけたようだ。こんなところに座った日には、着替えるまで大手を振って外を歩けないだろうーーそういえば、去年にそんなことが起こった記憶があった。
京(みやこ)先輩が「ピクニックだ!」なんて言って外に連れまわされた挙句、彼女がこんな風な芝生に座ってスカートをびしょびしょにしていたようなーーと、僕はそこで考えることをやめた。
今そのことを思い出してはいけない。実習中に足を止めてしまったら、もう二度と動けなくなってしまう気がする。僕は自分の頭を自分で小突いて、正面を見据えた。
見渡す限り、この場所から先はありがちな草原がずっと続いているようだ。なんとなく「ここはどこまでも続いていて終わりがないのだろう」と察することが出来た。
「あ?」
――――いや、違う。ひたすら草原が続いているだけではない。目を凝らしてみると、遥か彼方に豆粒くらいの大きさの何かを発見することが出来た。
「人・・?」
そう口に出してみれば、確かに人に見えなくもない。ともかく、近づいて見なければ断言はできなかった。僕は腰に掛けた刀に一瞬触れた後、駆け出した。
豆粒ほどにしか見えなかったその存在が、何者か判別できるほどに近づいた。すると、ソレはこちらへ振り向いて口を開いた。
「悪夢祓いかい?」
敵意に籠ったその声に、僕はもちろん快く返答をーーーーするわけがなかった。
なぜなら、ソレは人ではなかったからだ。
より正確に言うならば、下半身だけヒトの姿を保っていなかった。
気難しそうな表情が張り付けられた顔に、スーツ姿の上半身。そこから視線を下げてみれば、ソレの下半身は『根』だった。太い根や細い根、ごぼうの先端からひょっこりと出ているようなひげ根まで、様々な根が絡み合い蠢いている。それらをタコ足のように動かして平然と移動している彼は、まさに化け物――『根人』と呼ぶに相応しかった。
僕は即座に刀を鞘から抜いて、斬りかからんと根人に接近する。
「ふっ」
そう息を短く漏らした時には、既に根人の背後を取っていた。刀を振り下ろせば、スーツを裂きながら右肩から左脇腹まで袈裟斬りにすることができるーーはずだった。
――――振りかぶった刀が振り抜けない。
僕は一拍遅れてそのことに気が付いた。刀がまるで空間に縫い付けられたようにぴくりとも動かない。
刀を確認してみると、浅黒くて太い根が刃に巻き付いている。おぞましい光景に動揺している間にも、それらは生きているように蠢いて、刃をより固く、強く握りしめていく。これでは、刀を手放さなければこの場から動くこともできないだろう。
顔を正面に戻してみれば、根人がほくそ笑みながら後退するところだった。その気味の悪いにやけ顔が、縦半分にぱっくり割れる。本来肉があるはずのそこもまた、根がびっしり張り付いていた。まもなく僕に向けてカウンターの一撃が放たれることは必定だった。
刀を手放すわけにはいかない。武器を奪われれば、万に一つも勝ち目はない。だからこそ、僕は刀を背負い投げでもするような構えを取って、なおも刀を振り下ろすことを諦めなかった。
「――上等・・っ」
なにかがひしゃげるような音も、急かすように僕の足元に群がり始めた根も、一切無視だ。脱臼しそうな肩とわなわなと震え始めた全身の筋肉を仮想子(フラグメント)で支えて、力をさらに篭める。ずるずると、徐々に刀への拘束が緩んでいくのが分かった。
「だぁぁ!!」
なりふり構わずそう叫んで、渾身の膂力を捻りだした。すると、遂に刀は根の拘束から離れる。僕は根人から数メートルもの距離があるにも関わらず、その場で刀を振り抜いた。
死神の鎌を連想させるおぞましい風切り音が草原を駆け抜けていく――否、音だけではない。紅蓮の混じった白色の斬撃が、振り抜かれた刀の先の一直線上へ伝播していった。それは当然のように根人の頭から下半身の頑強な根元まで貫いて、半分に裂いた。
――――ガァアアアアア!
耳で感じることのできない悲鳴が、広大な草原を震わせた。その後、ガラスの割れるような激しい破壊音がして、根人は倒れ伏した。
「よし・・」
僕はほっと一息ついて、刀を腰の鞘にしまった。
透きとおる空も、風に揺れる草原も、空間そのものがカサブタのように剥がれ落ちていく。それは『夢主』の死によって、悪夢が崩壊したことを意味していた。したがって実習終了。
無為な毎日が、なんとなく締まった気がする。
――現在、西暦2030年。
人類は悪夢に、必死の抵抗をしている最中(さなか)だ。
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