2002/03/15-03/21
3月15日、金曜日
モモはまたしばらくの間ひきこもろうと決めていました。実際にここ数日間はひきこもっていました。いろんなひとが麻衣のことをまるで人間じゃないみたいに言ったからです。
だけど今朝、騒がしい音がして目を覚ますと、喪服の刑事さんたちが、モモとお兄さんのふたりだけの部屋をめちゃくちゃにかきまわしていました。
モモは何がなんだかわからなくて、ベッドから体を起こしたまま、何もできませんでした。
はじめて訪ねてきたときは北海道警の刑事さんでした。
二度目に訪ねてきたときはなつめ警察署の刑事さんでした。
警察手帳はそのたびに違いました。だけど本物だったと思います。本物は刑事ドラマの警察手帳より大きいと聞いていたから。確かに大きかったから。
ふたりはモモが目を覚ましたことにも気づかない様子だったので、モモはいつものように朝食の支度をして、ひとりで食べました。何日も干しっぱなしだった洗濯物を取り込もうかと思いましたが、またモヨコちゃんに話しかけられたらうそつきと言ってしまいそうでこわかったのでやめました。
コープさんとゲロさんは何かを探しているのだということはわかりました。モモのものではなくて、お兄さんのものだと思います。この部屋にモモのものなんて、以前着ていた富良野のセーラー服とジャージと、お兄さんがくれたロリ服やモモの学校のセーラー服、パジャマや下着、生理用のナプキンくらいのものです。このノートパソコンもお兄さんのものです。
モモは松山に知り合いはたくさんいますが、友達はいません。富良野でもそうでしたが、麻衣にはお兄ちゃんがいました。モモにはお兄さんがいます。だけどモモのお兄さんは全然帰ってきません。
だからどこにも行くところがありません。
コープさんとゲロさんのお仕事が終わるのをモモは待つことにしました。
3月16日、土曜日
ふたりのお仕事は日付が変わるまで続きました。
三ヶ月ほど手記を書かなかった時期もありましたが、麻衣はまたバレンタインの翌日から一ヶ月近く書き続けていました。だから以前棗さんが麻衣に望んだように、国家公安委員会に消されてしまった麻衣のホームページをもう一度だけ始めようと思いました。
しかしそれはトモヤに止められてしまいました。
「誰も麻衣ちゃんの誘拐事件に興味なんかもっちゃいないよ。きみの写真がかわいかったから、みんな見てくれてただけだよ」
トモヤのポストメイドが笑顔で運んできたメールにはそうありました。
「デジカメは壊しちゃったって言ってただろう?」
枝幸でセルフ撮影をしていたときに、麻衣は棗さんのデジカメを落として壊してしまっていました。
麻衣は誘拐されたネットアイドルでした。
だから麻衣はあきらめることにしたのです。
でも何年先でもいいから麻衣の手記を読みたいといってくれる人がいたらいいな。そのときのために麻衣は手記を書き続けようと思います。
喪服の刑事さんたちがモモたちの部屋の中で煙草に火をつけました。ヤニでお部屋が黄色くなってしまうのがいやで、お兄さんにもお部屋の中で煙草を吸わせなかったのに。
3月17日、日曜日
コープさんとゲロさんは居直り強盗のように、包丁や拳銃をモモに突き付けはしませんでしたが、お仕事が終わっても帰ろうとはしませんでした。
「加藤麻衣さん」
とコープさんはモモを何度も呼びました。
「違います」
とその度にモモは言いました。コープさんは悲しそうな顔をして黙ってしまいました。
だからコープさんとモモの会話はなかなか先に進みませんでした。
ゲロさんがしびれをきらして話をすすめてくれました。
「加藤麻衣さん、あなたを誘拐した棗弘幸さんはどこにいるのかな?」
「そんな人知りませんし、モモはそんな名前じゃありません」
「そういう風に言うように言われてるの?」
「違います」
「普通、こういう場合は『なんの話ですか?』じゃないかな?」
「じゃあ、なんの話ですか?」
「きみはおもしろい子だね」
「モモとお兄さんの部屋をこんなにぐちゃぐちゃにして、どういうつもりですか?」
「家宅捜査の令状ならあるけど見る?」
「結構です。一体どういうつもりですか?」
コープさんがまた煙草に火をつけました。
「人間というのは平等じゃない。犯罪を犯しても罪にならない人間がいる」
「あなたを誘拐した人が棗グループの元会長のご子息だということはご存じですね?」
「こちらの手違いで棗弘幸を全国指名手配してしまったが、彼もまた犯罪を犯しても罪にならない人間だった」
「彼を第8番夢の島に送り届けたのもわたしたちです」
「きみの恋人はもう帰ってはこないよ」
「彼はあなたをおいて逃げたんです」
3月18日、月曜日
第8番夢の島で進められているミラー首都建造計画の中で、いち早く建造が進められた建物があるそうです。
その建物は風俗拾路病院221Bブロックというそうです。
いつの間にかモモたちの部屋に入ってきていた花梨さんと硲さんも刑事さんたちの話を聞いていました。
ベランダにはモヨコちゃんとミヤザワさんが立っていました。モヨコちゃんは虹色の布を巻き付けてはおらず、裸でした。
麻衣の知り合いにはろくなひとがいません。他人の家をなんだと思っているのでしょう。
「弘幸さんはその病院にいるの?」
花梨さんは棗さんのことを弘幸さんと呼びます。
「はい、しかしあなたたちの知る棗弘幸ではないでしょう」
ゲロさんはお話を熱心に聞いてくれる花梨さんを気に入ったようでした。
「それってどういうこと?」
「我々の仕事が、罪を問われない者のかわりに罪をつぐなう者を作り出す、ということです」
例え一生を檻の中で過ごすことになっても、仕事とご飯さえあれば、あるいは家族に莫大な財産をもたらしてくれると言われたら、自らすすんで身代わりの山羊になりたがる人は多いのだそうです。
「コープさんとゲロさんは本当に刑事さんなんですか?」
ずっと疑問に思っていたことをモモは聞きました。
「我々は警視庁の国家公安委員会の者です」
「コープです」
「ゲロです」
「加藤麻衣さん、いえ、彼女を殺害してなりすました大塚恋子さん、麻衣さんにはココと呼ばれていたそうですね、加藤麻衣殺害と死体遺棄の容疑であなたを逮捕します」
モモの視界を逮捕状がふさぎました。
モモの両の手首に、黒い手錠がかけられました。
「わたしたちはずっと、その証拠を探していたんです」
その証拠が何だったのか、見つかったのかどうかは、ふたりに何度聞いても教えてはくれませんでした。
3月19日、火曜日
加藤麻衣は人魚の肉を食べて不老不死になった八尾比丘尼?
加藤麻衣は神に背くために生まれ落ちるはずだった忌み子?
大塚恋子が加藤麻衣を殺して、そして入れ替わっていた?
硲さんのお話を信じるなら、麻衣は化け物です。
ミヤザワさんのお話を信じるなら、麻衣はたぶん誰かの空想のお友達です。
コープさんとゲロさんのお話を信じるなら、麻衣はココです。
誰のどのお話も馬鹿げていて、麻衣はとても信じる気にはなりません。みんな頭がおかしいのです。
棗さんならそのこたえを知っているのでしょうか。だけど麻衣は棗さんに捨てられてしまいました。
麻衣は逮捕されてしまったはずなのに、手錠をかけられたまままだこの部屋にいます。
コープさんやゲロさんもいっしょです。花梨さんも硲さんもいます。ベランダにはモヨコちゃんもミヤザワさんもいます。
せまい部屋で七人の奇妙な共同生活がはじまってしまっていました。
ここにいないのは棗さんだけです。
3月20日、水曜日
ひさしぶりに繋がれた手錠は、麻衣が誘拐された女の子だということを思い出させてくれていました。
食事は昼と夜に室内の五人でファミレスに行き、ベランダのふたりはファミレスでも窓から店内を覗きました。花梨さんがクレジットカードでおごってくれました。
出かけるときはいつもミヤザワさんがモヨコちゃんにお洋服を着せたがらないので困りました。裸の上に虹色の布をまとわなければモヨコちゃんがコスモの電波にやられて死んでしまうと本当に思いこんでいるのです。
いろいろと当番も決めました。お風呂掃除はコープさんの仕事です。ゲロさんはトイレ掃除、硲さんはごみ出しです。
部屋の中でテリトリーのようなものもいつの間にか出来上がりました。部屋は麻衣と花梨さんのものになりました。寝るところはベッドの上が麻衣、ソファが花梨さんです。引き戸を挟んだキッチンの狭い空間は三人の男の人たちのもの。ベランダはあのふたりのものです。
花梨さんに麻衣は頭が上がりませんでした。
言いたいことを何でもその場で言ってしまえる人が麻衣は苦手でした。麻衣はその逆で、言いたいことをため込んでため込んで、そしてあるとき突然に爆発させてしまうタイプだから。
麻衣だってお菓子やケーキをいっぱい食べたいです。朝起きると甘いものが食べたくて仕方がありませんが、我慢しています。だけど、花梨さんは麻衣に買いに行くように命令をします。手錠につながれてしまっているので、男の人たちに頼むほかありません。何でもいいから買ってきて、と言っておきながら、花梨さんは麻衣に買ってきてもらったお菓子の文句ばかり言いました。
いつか花梨さんの横柄なふるまいに麻衣は爆発してしまうかもしれません。
3月21日、木曜日
お兄さんといつもいっしょに寝ていたモモは、この三週間ずっとあまり眠れない日が続いていました。とくにここ数日は手錠をかけられているために、手首が擦れて赤くなってしまっていて、ひりひりと痛くて眠れませんでした。
花梨さんは棗さんの失踪からもうずっと睡眠薬なしで眠れないのだと言いました。その睡眠薬ももう体が慣れてしまってほとんど効かないそうです。
「麻衣ちゃん、まだ起きてる?」
真っ暗な天井をぼんやりと眺めていると、花梨さんが話しかけてきました。
「うん、花梨さんも眠れないの?」
「わたし、考えたんだ。弘幸さんがいないならこの街にいつまでもいたって意味がないって」
わたし、第8番夢の島に行こうと思うの、と花梨さんは言いました。泣いているようなか細い声でした。
第8番夢の島では、ホームレスの人か誰かが身代わりの山羊になるために棗さんそっくりに整形手術をされているはずです。棗さんはその手術の手続きのために呼ばれたのであって、今もまだ島にいるとは限りません。
「それでもここで弘幸さんが帰ってくるのを待っているよりはずっといいと思うの。
ねぇ、麻衣ちゃんもいっしょにいかない?
ふたりで迎えに行って、弘幸さんに麻衣ちゃんかわたしか選んでもらいましょう。
弘幸さんはきっとあなたを選ぶと思うわ。わたしはあなたには勝てないもの。あなたは硲さんにもコープさんにもゲロさんにもミヤザワさんにも好かれてる。誰も口には出さないけど見ていたらわかるわ。ミヤザワさんはモヨコちゃんが一番なんだろうけどね。
勝てないけれど、フェアじゃないのはわたしはいや。あなたを出し抜いて弘幸さんを手に入れたってわたしはちっともうれしくないもの。
だから、いっしょに弘幸さんを迎えに行きましょう」
花梨さんはとてもわがままだけれど、本当はいい子なのかもしれません。
だけど麻衣は断りました。
棗さんから待っているように言われていたから。
他の約束はいっぱい破ってしまったけれど、麻衣はそれだけは守りたかったから。
花梨さんは明日の夕方、棗グループのクルーザーで、第8番夢の島へ向かうそうです。
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