第2話 始まらない恋を失うということ


 今日はあこがれの先輩の卒業式。


 卒業式が終わるのを待って手渡そうと握りしめた手紙が汗でよれよれになってしまった。その手紙は、昨夜深夜までかかって俺が書き上げた、一世一代のラブレターだ。書き上げた便せんを折りたたんで、百均で買った少しオサレな模様の入った封筒に入れて、準備したものだ。


 その手紙のしわをしっかり伸ばして、もう一度持ち直す。


 講堂の前で式の終わった卒業生を出待でまちしていたら、扉が一斉に開き、保護者がぞろぞろと講堂から出て来た。その後を卒業生が胸にリボンを付けて男女2列ずつでクラス順に並んでこちらに向かって歩いて来る。


 先輩がいた! 今だ。


 長い黒髪を後ろで三つ編みにして赤いリボンでまとめた先輩を見つけた俺は、先輩以外周りが全く目に入らず駆けだした。


 そしてつまずいた。


 それはもう盛大に。しかもゴロリと一回転までした。なんとかアスファルト製の地面から起き上がり、先輩に向かってもう一度駆けだす。


 転んだ拍子ひょうしひたいの辺りをどこか切ったらしく、垂れた血が目に入ったみたいで、よけい周りが見えなくなってしまい、そしてまたつまずいた。何とか起き上がった俺は、一歩、また一歩とよれよれの手紙を握りしめ、先輩に近づいて行った。


「キャー!」


 それが、俺にとっての先輩の最後の言葉だった。


 そして、俺の後方からは大笑いの声。誰の声かは顔を見なくても分かる。もちろん、声の主は花沢京子だ。





 保健室の窓から西日が差している。


 手のひらや、顔には絆創膏が貼られている。頭を触ると包帯が巻いてあった。


 大笑いする花沢に付き添われて俺は保健室に行き、そこで保健室の先生に治療を受けた後、ベッドに横になっていたら眠ってしまったようだ。


「松田、もう放課後だ。目が覚めたのならもう帰れ」


 保健室の先生に礼を言って、保健室の扉を開けたら、花沢京子が俺のカバンを持って立っていた。


「ほら、あんたのカバン持ってきてあげたわよ。重かったんだからね」


「ああ、ありがと」


「『花沢さん、ありがとうございました』でしょ!」


「花沢さん、ありがとうございました」


「よろしい。あと、ジュースかなにか、帰りにおごってよ」


 ジュース程度なら安いものだ。




「さっきはジュースをおごってって言ったけどやっぱりいいわ」


 どうした風の吹き回しだ? なにかありそうで何だか怖いぞ。


「そのかわり、」


 やっぱりだった。


「そのかわり、祐介は帰宅部なんだから、来月から生徒会に入らない? 私が決めていい枠が一つ余ってるんだけど」


 それ来た。


「ジュースをおごってやるからな。変なことを俺に言わないでくれるか。俺みたいなのが生徒会に入ったらそれこそ顰蹙ひんしゅくものだろ?」


「そんなことはないと思うわ。現に祐介、成績だってそれなりにいい方だし。わたしより成績は悪いけど、それは当たり前なんだから気にしなくていいのよ」


 一言多いんだよ!


「……」


「そういえば祐介、あんた最後に転んだ時、これ落としたでしょ? 拾ってあげたわよ。感謝しなさい」


 すっかり、ラブレターのことを忘れていた。最後の『キャー!』で頭の中が空っぽになってたようだ。しかし、これは本当に助かった。


「花沢さん、ありがとうございました」


 今回の感謝の気持ちは本物だ。ここで対応を間違えると大変なことになる。


「よろしい。他には?」


「え?」


「だから、他に何か私に言うことないの? あるでしょ。あら、何もないの? それじゃあ、これは返してあげない」


 俺なんか生徒会に入れてこいつは何をしたいんだ? 生徒会に入れて俺を雑用係にしたいのか? とはいえ、あの手紙が世に出てはマズい。非常にマズい。ここは、己を殺すかないようだ。


「分かったよ。やればいいんだろ、生徒会」


「あら? 言い方がちょっと気にいらないわ」


「分かりました、花沢さん。わたくしを生徒会に入れてください!」


「よろしい。それじゃあ、はい」


 京子に手渡された手紙を受け取って、ポケットにしまった。家に帰ったら小さくちぎってごみ箱に捨てなくてはならない。


「はあー」


 ため息が出てしまった。来月から俺は帰宅部ではなくなるのか。


 始まる前から失恋した俺の気持ちはその時ほとんどえていたと思う。




 京子と別れ、とぼとぼうちに帰った俺は、母さんに制服のことを根掘り葉掘り聞かれるのを覚悟していたが、特段何も言われなかった。血が付いて、肘や膝の辺りが擦り切れてしまいところどころに孔の空いた制服を、繕ってからクリーニングに出すから纏めておきなさいと言われただけだった。

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