画鋲・禁煙・義務

 ビルの入口に画鋲で貼られているポスターを横目に通り過ぎる。そうしてから、確かに吹き抜けのロビーは人が溜まりやすく、人も出入りするのにそんなのだから苦情はひとつやふたつではないのだろうと想像つくけれど。そう大きく貼ったところでなにかが変わる感じはしない。それでも掲示したという事実が大事なのだろう。これだから大人の世界は形式ばかりで嫌だ。案の定足元にはたばこの吸い殻がいくつも転がっていて、夜にはここで誰かが立ち止まって吸っているのが想像できる。

 最近だと部屋に入ってから吸わせてもらえなくてベランダで吸っている人たちもいると聞いたけれど、それすらも上下左右の隣の部屋から苦情が来るらしく、苦肉の策で入口ぎりぎりで最後の一本を吸ってから入るのだろう。

 なんでそんなことを知ってるのかと問われたらそれは、母親がそう愚痴を言ってくるからだと即座に答える。禁煙と大きく二文字だけが書かれたポスターは母親たちの怒りを表しているようで背筋に悪寒が走る。なんてことはない、昨日、テストの結果を見せた時の母親の顔が頭の中でちらついただけだ。

『おこづかいなしだからね』

 そう言った時の本気の顔だったのが、信じたくないがもらえる可能性は低いと思う。勉強は子どもの義務です。なんて大きくないけど静かな声で言われたときには静かにはい。と頷くことしかできないでいた。それで機嫌を悪くしてからが愚痴の始まりだったと思う。父親が吸わなくなってようやくたばこの臭いから解放されたのにと延々と続く愚痴に付き合うことがテストの結果を忘れさせることだと理解していたのでその場でじっと聞いているふりをしていたので、ちょっぴり足が痛かったりもする。

 立ち止まって後ろを振り返る。ここからみるとポスターは全く見えず、おそらく火を点けてあの場所にいく大人たちにとって吸い始めたものを辞めるところまでの抑止力がないのだろう。

 なので戻ってカバンから筆箱を取り出すと、油性のペンで文字を書き足し始める。

『破ったら罰金。見つけたら100円いただきます』

 禁煙の下にちょっとだけ小さめに記入しておいた。今日の夜辺り、様子を見に来ればひとりくらいいてもおかしくない。

 お小遣いがない分稼げたら儲けもんだ。100円くらいならきっと文句を言いつつも出してくれそうな気がする。少しだけ気分が良くなって学校への足取りが軽くなった気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る