冬の虫・バスルーム・七段
仕事が収め終わったその日の夜。いつもより少しだけ静かな町の中を帰る。いや、騒がしい部分も少しだけは残っているのだ。いくつかのグループがポツン、ポツンと円を囲むように宴会の終わりだろうか、人が固まっている。
その姿を横目に歩む速度は速くなる。早く帰って暖かいバスルームに入って今年一年の疲れを落とすのだ。それが今一番の楽しみであり今年最後の楽しみでもある。それが少しだけさみしくもある。昔は年末は家族で過ごしていた。それも忙しさのあまり疎遠になっている。実家が遠いのもいけない。無理やり仕事を休むのは少しだけ気が引けるし、反動はすぐに自分に返ってくる。
そこまで考えて自分が仕事の虫になっていることを実感し、ため息が止まらない。なんのために仕事をしているのか考えなくもない。仕事がつまらないわけでも、苦手なわけでもない。だからこそ何のためにという疑問が止まらないことがある。当然生きるための手段ではある。しかし目的だと思ったことはなかった。
考えるのをやめよう。これ以上の思考は疲れるだけだ。そう思い空を見上げる。今年最後の日は今年最高の寒さを記録している。今にも振り出しそうな雪雲を見上げるとその重量感に押しつぶされそうになる。
ふと雪が地上から空に向かっていくのが見えた。ついに幻覚まで見る様にと思ったけれど、それが横に移動したのを見て雪虫であると認識して少しほっとする。冬の虫である雪虫は決してかわいいものではないけれど、その雪が舞っている様に見えるその姿に今は少しだけ雪の訪れを期待させるものだ。
雪降るのかな。
少しだけ声に出してみた。意味はなくなんとなくだ。雪が降ったからと言ってなにかが変わるわけでもなく、明日の交通情報と雪かきの心配をしなくてはならないという不安が増えるだけなのだが、それでも何かしらが変わる、そう期待してしまうのは何故なんだろう。
また考えてしまっているのに気づく。悪い癖だ。それだけ疲れているのも分かっているが気にしてしまうとキリがないのも分かっているからそれ以上は踏み込まない。悪循環だ。
家に帰ってからの楽しいことを考えながら帰路を急ぐ。趣味の将棋の段位を上げなくてはならないのだ。今七段。決してすごいものではない。なぜってゲームの中の段位だ。現実の段位とは違う。
それでも段位を駆け上がっていく感覚は嫌いではなく。日々の楽しみになっている。楽しみもちゃんとあるじゃないか。そう思った。
「あっ、雪」
だれかがそう言った。降ってきた雪は世界を白く染め上げるのだろうか。世界はそれで変わるのだろうか。自分は変わりたいのだろうか。
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