撃破・筋肉・送迎

 空気の入れ替えが必要とかで、送迎に使われているバスの窓は半開きのまま走行していた。メンバー全員、一緒に行動しているのだバスの中の換気になんお意味がなんて思わなくもないが、運転手さんのことを考えればそうも言っていられないのだろう。ただ、急激に涼しくなってきたこの頃。風にあっていると肌寒さで少しだけ身震いしてしまう。

 違うのか。この身震いは寒さのせいだけではないのかもしれない。もうすぐ見えてくるはずである球場の方向をじっと見つめる。ビルの隙間から見えてもおかしくないのだがまだそこは見えては来ない。心は驚くくらい落ち着いている。おかしいなと思う。夢見た舞台に立てるのだ。もう少し興奮してもおかしくないような気がするが。不思議と落ち着いていた。

 最近よく昔のことを思い出す。近所の高架下。そこにあった広場で毎日の様に的に向かってボールを投げ続けた。持久力を付けるためにランニングもした。筋肉を付けようと筋トレもした。今日、ここにいれるのは全部あそこでの努力が報われたからだと思っている。そして、そこにいた女の子の事をよく思い出す。

 名前も知らない女の子だ。気づいたらそばにいてやることを全部見られていた気がする。ほとんどはボールを的に当てていただけだ。何が面白かったのかはわからない。話をしたことすらほとんどなかったように思う。

 けれど、その妙な時間が今の自分を作っているのだと切にそう思う。彼女が見ていたから、投げるのを止めたくなかった。いつまでも投げ続けようとそう思い続けることが出来た。

 感謝したいな。そう思うタイミングも増えていた。しかし、突然行くことが出来なくなったことを彼女はどう思っているのだろうか。さよならのひとつも言えなかった。突然の両親の転勤に小さかった自分が逆らえるはずもなく、小さな島へと黙ってついていくことしかできなかった。そのことに少しだけ後悔している。自分ではどうしようもできなかったとしてもだ。

 冷えた空気がバスの中に入ってきて数人がくしゃみをし始める。こうなっても窓を閉められないというのだから辛いところだ。今回の球場も本来だったら、観客を動員して行われるはずだったが、情勢を鑑みてオンラインでの配信を実施するそうだ。マイナーなスポーツな分。こういう露出が極端に少なく、世間に広まりが少ないところが残念だと思っていたので少しありがたいと思ってしまう。

 もしからしたら彼女のもとへ届いてくれるのかもしれない。そんな淡い期待すらある。見えてきた球場にちょっぴりと心臓が跳ねる。緊張と共に闘志がわきあがってくる。

 相手を撃破するイメージを膨らませる。何度もそのためにボールを投げてきた。何度も何度も。思うがままに的に当てられるようになるまで。

 送迎のバスが球場に辿り着くころには、もう相手を撃破することしか頭になかった。

 ふと上を見上げる。このイベントを盛り上げるために横断幕が張ってある。それを見て身震いする。これは寒さではない。武者震いだ。

『全日本雪合戦選手権大会』

 その決勝戦が今、始まる。

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