GUCCI・特殊工作員・蚊

 世界は悲哀に満ちている。それが、特殊工作員となって初めてこなした任務の感想だった。同類は常に死の隣り合わせにして生きている。各自の与えられた任務も簡単ではない。家に帰ることができるだけ幸せというものもいる。そんな中でエリート集団である特殊工作員になることができたのは幸運だった。それに任務を無事遂行できているだけ幸せなのだと、噛み締めなければならない。

 そう。

 世界は悲哀に満ちているのだから。


 その日は暑くて、嫌になる日が続きすぎて感覚が鈍くなっている時期の谷間だった。例年によればその日が平均気温であり、特段涼しいわけではないのだけれど、連日の酷暑続きで今日は涼しくなるなんて言葉がニュースから流れてくるくらいだった。

 暑さが和らいだので過ごしやすいかと思っていたのもつかの間、それが決して良いことばかりではないことに気が付いた。

 奴らが姿を見せ始めたのだ。

 暑さに気を取られてすっかり失念していたが、例年はこいつらに悩まされていたはずだ。

 外では暑いので肌の露出が多くなる。そこをやつらは狙ってくる。

 家ではどこの隙間から入ったのか、わからないうちにそばにいて狙ってくる。

 寝ているときは急に自己主張をはじめ、耳元で精いっぱいの音を鳴らして睡眠を妨害してくる。

 蚊。

 我々と同じく暑さで、身動きが取れなくなっていた、やつらも少し気温が下がったからと、活動をし始めやがったのだ。

 とりあえず蚊取り線香に火をつけた。部屋に侵入してきたやつらはこれで、少しは撃退できるだろう。しかし、これだけでは安心できないのも事実だ。ほかに対策も練らなければならない。

 外に出かけたのがそもそもの失敗だった。涼しいからと、普段行かない場所に散歩したら最後。気づけば二の腕をはじめ、数か所すでに刺されていた。

 すぐにドラッグストアに行き、かゆみ止めを購入。ぷくぅ。と膨れたそれにクロスに跡をつけたくなる衝動を抑えながらすぐさま患部に塗りたくった。同時に蚊取り線香を買って、現在に至るわけだ。

 一番の問題は睡眠の妨害である。明日の仕事も朝が早く、寝れないのは致命的だ。疲れが溜まっていればそんなことはお構いなしに寝れる自信はあったが、あいにく現状、連日の寝苦しさもあって疲れてはいるがすぐに睡眠に入れる周期ではない。

 むう。とうなる事しかできない自分が不甲斐なくも感じる。

 ふと、くすぐったさを感じ自らの腕に視線を落とす。そこにやつがいた。

 ぱんっ!

 大きな音が部屋に鳴り響いたが、手ごたえはない。逃げられた!必ず仕留めなければ夜に仕返しされる。そう心に恐怖が芽生える。

 必死になって視線を泳がせるが、その小さすぎる姿をとらえることは難しい。

 探す。探す。探す。

 いた!

 飛んでいる相手に衝撃を与えるのは困難だ。できればスプレーで撃ち落としたい。何かないかと辺りを見渡す。これか。

 手に取ったものの頭を軽く押す。

 ぷしゅ。

 遠慮がちな音が鳴ると同時に霧状のものがやつに命中した。

 ひらり落ちるのを確認した。そして、吹き付けたものを見て愕然とする。

 これGUCCIの香水じゃん。

 近くにあったとはいえ、まさかこれを吹き付けてしまうとは……。

 出かけるときに確かに付けたから普段置かない場所に置いておいた自分が悪いとはいえ、やつに吹きかけてしまったのは少しショックだ。

 もったいないと、空気中に霧散してしまったその液を少しでもつけようと中を泳いだ。

 もうやつのことなんてどうでもよくなっていた。


 なんということだ。

 見つかってしまった。これまで完璧に任務をこなしてきたというのに。しかし、初撃は回避に成功。相手もこちらを見失ったようで一安心する。相手は、しつこくこちらを探しているようだ。しかし、飛んでいる以上。こちらに決定打は与えられまい。その油断がいけなかった。

 相手は手近にあった、ものを手に取るとこちらに向けてきた。

 ぷしゅ。

 その音と共に空気が一気に襲ってきた。そして、そのあとには不思議な液体がかけられる。

 うまく飛べない。なんだこれは。

 ここまで生きてこれたのはやはり幸運なだけだったのか。そう思わずにはいられなかった。

 やはり世界は悲哀に満ちているのだ。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る