デッサン人形

つくのひの

第1話


 死体をバラバラに解体するのであれば、それに相応しい機会を待ちたいものです。

 たとえばそれは、蝉の声に付き添われた風鈴の音が網戸の境を泳ぐ時。

 たとえばそれは、畳を焦がした蚊取り線香で畳の焦げ目を隠す時。

 たとえばそれは、首を振る扇風機が紙片を空に飛ばす時。

 たとえばそれは、冷たくなった硝子のコップが座卓の上で倒れる時。

 たとえばそれは、想いを寄せたあの人を、夕立の匂いを吸い込みながら、殺した後。


 夕立は過ぎ去って、濡れたアスファルトの匂いがレースのカーテンのように畳の上で揺れています。

 遠くで雷が鳴りました。


 私の目の前にいる男性が、バラバラになった身体を胸に抱いて泣いております。

「サキちゃん、どうしてこんなことに。ああ、なんで、どうして。また、バラバラに」


 私の狭い了見でのみ語ることをお許しいただけるのであれば、巷で言われるところにおいて、死体をバラバラに解体することには、二点ほど利点がございます。

 ひとつには、死体の隠匿性を高めるため。つまるところ、バラバラにすることで死体を隠しやすくなる、ということです。

 ふたつめには、死体の可搬性を高めるため。つまるところ、バラバラにすることで、死体を移動しやすくなる、ということです。

 後者が前者に含まれるとするならば、すなわち、移動しやすいがために隠しやすくなるということであれば、死体をバラバラに解体することにおける利点は一点のみであるとも言えましょう。

 しかしながら、その利点は実利となりえるのでしょうか。


 人体をバラバラに解体するのは骨が折れましょう。その骨こそ簡単に折れれば良いのに、と思ったところで、その骨が軟らかくなるものではございません。

 それでは、そこまでの労苦に見合う益が、人体をバラバラに解体することにはありましょうか。

 ありません。

 それならば、何故、私の目の前で泣いている男性は、彼女をバラバラにしたのでしょうか。

 ご心配には及びません。どうか、ご安心を。

 彼女とは言いましても、ヒトではございません。人形です。


 バラバラに解体された身体の部位を抱きながら泣いているこちらの男性は、漫画家の先生です。

 先生は、ご自身が時間をかけて紙粘土でつくった人形の、変わり果てた姿を哀れんで、悲嘆にくれているのです。


 死体をバラバラに解体する理由として、もっとも大きな、そして、けっして語られることのない理由が、ひとつございます。

 それは、人体をバラバラに解体したいから、というものです。

 考えてもみてください。

 死体を移動する必要に迫られて、死体をバラバラに解体せざるをえなくなったとしましょう。それでは、だからといって、人間の身体をバラバラに解体できるものでしょうか。

 多くの方は、たとえ必要に迫られたとしても、できないでしょう。

 人間の身体をバラバラに解体することができるのは、人間の身体をバラバラに解体したいと思う者だけです。


 先生は、シャツの袖で涙を拭うと、バラバラの身体を抱えて立ちあがり、部屋の隅へと歩いていきました。先生の足跡を辿るように、畳が音を鳴らしました。何かを擦り合わせるかのような、ざらついた手触りの音が、一歩、二歩と、先生を追いかけているように聞こえます。

 先生は、押し入れの襖を開けました。押し入れの中には、大きな段ボール箱がありました。


 先生は、サキちゃんと呼ばれた人形の頭部だけを手に残して、頭以外の身体の各部位を、段ボール箱の中へ投げ入れました。何かと何かのぶつかる乾いた音が、鈍く響きました。

 段ボール箱の中には、前回バラバラにされたサキちゃんや、前々回にバラバラにされたサキちゃんや、それ以前にバラバラにされたサキちゃんや、あるいはサキちゃんではない女性のバラバラの身体が、無造作に投げ入れられたまま、ひしめきあっています。

 押し入れの中の木の床が、微かに軋んで、悲鳴のように聞こえました。


 手の平に載せた少女の頭部に、先生は語りかけます。

「ああ、サキちゃん、かわいいよ。またバラバラにして、ごめんね。好きだよ」

 サキちゃんの顔は微笑んでいます。

 先生はサキちゃんの頭に口づけをすると、

「また、バラバラにしても、いいかな」

 と語りかけ、その頭部も段ボール箱に投げ入れました。


 サキちゃんが羨ましい。

 私にも、優しい言葉をかけてもらいたい。

 先生、私でしたら、いつでも、先生のお好きなようにしてくださってかまいません。

 紙粘土でつくった人形ではなく、私のことを、バラバラにしてください。

 けれども、私の想いは届きません。


 サキちゃんは、色白で、小柄で、目の大きな愛らしい女性です。頭の後ろで束ねた黒い髪の房からは、風に吹かれて踊りそうな気配を感じます。

 先生のアシスタントをされていた人間のサキさんをモデルにしているのです。人形のサキちゃんの精巧さは、人間のサキさんをそのまま小さくしたかのようです。

 先生のつくった人形には、先生を慈しむ眼差しがあります。

 バラバラにされてもなお、その表情はやわらかな微笑を浮かべているのです。


 私はといえば、どうでしょう。サキちゃんと比べれば、身体の柔らかさくらいしか優っているところはございません。

 先生のお仕事のお手伝いができる、私の唯一の取り柄といっても良いでしょう。


 私は、モデルです。

 先生は、漫画の絵を描く時と、人形をつくる時にだけ、その視線を私に注いでくれるのです。

 私はモデルですので、先生がいいと言うまでは、けっして動いてはいけません。

 一時間でも、二時間でも、三時間でも、四時間でも。私は同じ姿勢を保ち続けます。

 六時間でも、十二時間でも、二十四時間でも。先生がいいと言うまでは、私は、けっして動いてはいけないのです。

 それが、私の、先生のためにできる、唯一の、大切な、大切なお仕事なのです。

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