ヒプノシスー隠れた観察者ー

些事

第1話 


気が付いた時、わたしは暗闇の中にいた。


口を開き、喉の奥にまで異物が入り込んでいる。

汗と、鉄と、湿ったカビの匂いがする。



声をあげようにも、言葉にならない。手足の感覚がない。


しだいに不安の感情が濃くなり、死の恐怖が襲ってきた。汗が止まらない。




パァン、パァン!

大きなクラップ音が鳴る。


…さぁ、もう良いですよ。


穏やかな声が聞こえたと同時に、わたしは椅子に腰掛けている事に気が付いた。

手足は自由で、口に何も詰め物もない。


視界ははっきりとし、白塗りの清潔感のある個室だと思い出した。




…ご気分はいかがですか?


小窓から差し込む木漏れ日に照らされながら、

アマラと名乗る女性はハーブティーを入れていた。


まさか、こんな事が…。

悪い夢を見ていた気がする。記憶がぼんやりと溢れてきた。



これを見てください。


差し出された小型pcに、天井のカメラから撮影された自分が写っている。


…ここにいるのは、あなたですね?

ああ、確かに私だ…。




では…。彼女は再びpcを操作し、時間を巻き戻した。


日付と時間を私に確認させ、再び映像を再生した。

…映像の中で彼女は私に、時折何かをささやいている。

その後、わたしは右手を上げたり、立ち上がったり、している。


続いて彼女は、鈴付きの時計を取り出し、大音量で時計を鳴らした。

だが、映像の中のわたしは耳元で時計が鳴っていても微動だにしていない



…信じられない。意識の中で私は何も感じない暗闇の中にいたんだ。

…ええ、そうでしょう。わたしが"あなた"にそう指示しましたから。


認めたくはないが…。

では、このように手足をバタつかせているのも、君の指示ということか。



…そうですね、厳密に言えば違いますが。


?。どういう事だ?では意識していない私の身体を動かしたのは誰なんだ?



…あなた"自身"です。

私は困惑した。

よく分からない、具体的に言ってくれ。



"アマラ"は視線をティーカップに移し、落ち着いた声で私に説明した。



…あなたの中の別のあなた自身です。



アマラの穏やかな雰囲気とは対照的に、

わたしの理性的な思考はぐちゃぐちゃになった。


だが、確かにこの私自身が体験している。


覚醒した意識の上でも、こんな風に手足を勝手に動かすことは可能なのか?

…試してみましょう。


アマラは再び、私を部屋の中央に座らせ、催眠の準備に取り掛かった。


…今回はあなたが仰ったように、手足の感覚だけを覆います。

急な出来事に驚くかもしれませんが、落ち着いてください。

アマラの姿が視界から消え、私の背後に回った。


っ!一瞬だった。気が付いた時には、手足の感覚が失われ、力が入らない。

いや、力の入れ方が分からないという感覚が正しいのか、

首から下が全く自分の身体ではない感じなのだ。


少々パニックに陥っていると、アマラは私の耳に息を吹きかけた。

それと同時に、今度は私の聴覚が奪われた。

驚き、慌てている私の目の前に現れたアマラは、

私を落ち着けるように、穏やかに、

深呼吸をするジェスチャーを示した。


…わたしが冷静さを取り戻したのを確認して、

アマラは再び私に何かを語りかけている。

しかし、聴覚を失った私には、何を言われているのかが理解できない。

しばらくして、再び不思議なことが起こった。


手足の感覚がない私の、右手が上がりはじめている。

上がりきった右手が力を失って下がると、再びアマラは私に何かを語りかけた。

すると、今度は左手が上がり始めた。



全ての一部始終をわたしが見た事を確認して、彼女はわたしの"拘束"を解いた。



…どうですか?


…まさか聴覚まで失うとは聞いていなかったぞ…。

取り乱していた自分を思い出した私は、額に汗が噴き出してきていた。


…すみません、不安にさせましたよね?

いや、たしかに驚いたが、申し出たのはあくまでもわたしの責任だ。

でも、何故急にこんな騙し討ちの様な真似を…。



…誰の指示で身体を動かしたのかが、知りたいと仰っていましたので…

アマラは再び録画した映像を私に見せた。


…これには、あなたが聴覚を失った際に聞こえなかった音声が入っています。

…映像の中で私はあなたに、

"もしも、あなたの中に私の声が聞こえているあなたがいるのなら、私のいう通りに右手を上げて下さい"と言いました。

たしかに、映像の中に、その声ははっきりと入っていた。

そして、私はその直後、指示通り右手を上げた。


…わたしが聴覚を隠すように指示を出したのは、意識上のあなたが意図せずに、わたしの指示を理解している"誰か"を証明する為でした。

たしかに、これは疑いようがない。

わたしの手足は、誰かに操られているかのように、アマラの指示に忠実に従っている。


映像を終え、わたしは彼女を見つめた。


この華奢でひ弱な女性の中に、

人を惑わすとんでもない神秘が隠されていると思うと、

その底知れない力に恐怖を抱いた。

だが、その恐怖は、"畏敬の念"に近い感覚だった。


…信じて頂けましたか?

私の視線に気がついたのか、"アマラ"は少し恥じらうようにして、

私の視線から目を伏せた。


ああ、確かに信じたくはないが。

君の言う通り、人を操る術というものは存在するのだな


…他にも"暗示"によっては、痛覚を遮断したり、発現させたり、肉体を硬化、硬直させて、人間橋のような"芸当"も可能です。…身体能力、記憶力の大幅な向上という離れ業も深い催眠状態におけば可能になります。



…だが、これは"催眠"と呼べる現象を大いに通り越している様にも男は感じた。




……急な申出をお受け頂いた事、本当に感謝しています。

…わたしが貴方をここに招いたのは、貴方に協力をして頂きたかったからです。




…君の姉、"カマラ"を殺してほしいんだな。




…はい。

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