1-5 ☆

 広げられた絨毯に縫い止めていた細い腕が、無意識にか一瞬ぴくり、と動く。拘束した指の力を強めたのは、ほぼ反射といってよかった。

 身体も一回り以上小さく、こうして動きを完全に防いでいる事からも、彼女が体力的に自分よりも劣っている事は明らかである。けれど、それでも年若い女の僅かな動きさえ見逃せるほどの余裕はない。

 ぎゅ、と握り締めた指の力に、身体の下にいる痩躯から小さく悲鳴が上がった。


「ちょ……、待ってよ……っ!! ここ、何処なのよ!! あたし、こんなとこ来てな……っ!!」


 部屋から持って出た装飾ランプの灯りの下で、絨毯に髪を散らばす少女は、さすがは後宮ハレムに集められただけはあると思わせる、結構な美少女だった。橙の灯りのせいで、彼女の纏う正確な色彩はわからないものの、顔貌かおかたちや、すらりと伸びた手足から察するに、恐らく北方の出身であることが伺える。

 ほっそりとした身体つきながらも、どうやら相当気が強いようで、明らかに自身が不利な体勢だとわかっているだろうに、噛みつくように眉尻を持ち上げてくる。


「こんなとこ、ね……。まぁ、好んで来たい場所ではないってのは、わかるけどな」


 【黄金の鳥籠カフェス】――そう、呼ばれるこの建物は、トゥルハン帝国・後宮の最奥にある。

 かつてトゥルハン帝国であったという兄弟殺しの慣習。

 皇帝スルタンの死後、その息子のうち、次期皇帝となった者以外の男子は例外なく父と共に棺の中の人となり、新宮殿イェニ・サライを後にした。

 身内による皇位簒奪を起こさせないための処置であり、当然そういった慣例が生まれたからには過去そのような事件が何度も起きたからなのだが、数代前の皇帝は二十人ほどいた兄弟たちを殺した際に、さすがに心が相当傷んだらしい。

 皇帝以外の男子を全て殺していたせいで、皇帝に不慮の事故が起こった際には取り返しがつかなくなるという懸念もあり、その後、兄弟殺しは取りやめとなり、代わりに皇帝以外の兄弟皇子を幽閉する場所が作られたという。

 それが、この鳥籠だった。

 高貴な血筋を絶やさない目的のみで存在する幽閉所。

 そこに住まう者には、外出禁止というただそのひとつのルールさえ守れば、ありとあらゆる自由があった。書を学び、音楽に愉しみ、武芸に励む事も許された。酒を煽り、許可さえ得れば気に入ったジャーリヤや侍女と戯れる事も、許された。

 監禁と引き換えに、ありとあらゆる自由が許され――そして、その代償があるからこそ、ありとあらゆる自由が存在しない――そんな場所。

 このようなところに自ら好んで来るような輩は、男女ともにいないだろう。


(俺だって、二年前のあの日までは、ここに自分が入る事になるなんて、想像さえしちゃいなかったしな)


 鼻先に集めた自嘲をふ、とあしらうと、青年――ルトフィーは、組み敷いた少女の膝を割るように、自身の身体を入り込ませる。しばらく状況がわからずに辺りを見回していた彼女を、最初は愚鈍な性質なのかと思っていたが、一度覚醒したら火が着いたかのように喚き出した。


「ちょ、ちょ……!! ちょっと、ホントやめて!! 待って! 待ってってば!! アンタ何なのよ!! ここ、何処なの!?」

「こちらこそ訊きたい。お前は何者だ? 誰の命を受けて、ここにやってきた?」


 ルトフィーがこの黄金の鳥籠の主となって、早二年。

 自身がこの館へと入った時には、すでにここに住まう人間はひとりもいなくなっていた。

 ありとあらゆる自由を認められながらも、その実、なにひとつ自由が認められていない。書を学ぼうとそれを生かす為の道はなく、音楽を愉しもうとも楽士はいない。武芸に励んだとて、それを誇る場所は得られなかった。

 酒に溺れたとしても諫めてくれる声などなく、気に入った妾を抱くことは出来ても子が出来れば母体共々殺される。

 そんな、絶望しか見えないような館に、望んで近づく者など男女問わずいないだろう。

 現に、彼がここに住まうようになってから、やってきたのは慰み者という名目で与えられた監視者か暗殺者のみだった。ルトフィーが瞳をすぅ、と細くしながら訊ねると、腕の中にいる少女の睫毛が、一度素早く上下する。


「誰、って……えっ?」

皇太后ヴァリデ・スルタンからの差し金か? それともマフムトか?」

「マフムトって……」


 目的が監視にしろ暗殺にしろ、素直に言うわけがないのはわかりきっていたが、皇帝マフムトの名を自然と口にしたという事は、少なくとも彼からの差し金ではないのだろうか。


(まぁ、そういう演技をしているだけとも取れるし、じゃあマフムトではないというのなら、皇太后の差し金かって話になるな)


 何やら眉間に皺を寄せ、記憶を辿るように考え込み始めた少女を、ルトフィーは冷えた視線のまま見下ろした。初めてその顔を拝んだ時から思っていたが、相当な美少女である。もっとも、このトゥルハン帝国の後宮には東西南北ありとあらゆる場所から掻き集められた美女が集結する場所であり、彼の後宮・・・・にもこの程度の美貌なら、それこそ掃いて捨てる程いた。

 美少女は美少女ではあるが、正直見慣れた程度ともいえる。

 さらに、後宮で皇帝の傍に侍りのし上がろうとする女は、大抵みんな気が強い。そうでなくては、この大国・トゥルハン帝国の皇子を産み育てる事など叶わないのだ。

 だから、並外れて美しく、気が強い女――という存在は、嫌というほど過去に見てきた。知っていた。

 けれど。


に怒鳴り散らすようなじゃじゃ馬は、さすがに後宮にはいなかったな)


 眼下で眉を顰める少女を見下ろしながら、内心笑う。

 まだ年若いせいもあるのだろうが、豊頬でどちらかといえば幼い印象の少女だ。そのくせ顎はつん、と尖っており、丸顔というわけでもない。鼻筋は通っているが、取り立て高いわけでも低いわけでもない。手元にある装飾ランプだけの灯りでは、瞳の色ははっきりとはわからないが、恐らく色素は薄いだろう。目尻に勢いがあり、大きい双眸はまるで猫のようだ。

 彼女が巻かれていた絨毯の上に散らばる髪は、恐らく金。珍しく、癖のない真っすぐな髪が、ランプの橙に照らされキラキラと光を弾いている。


「ガーリャ……、ガーリャは!?」


 しばらくの間、焦ったように視線を宙へ泳がせていた少女が、突然ハッ、と弾かれたように睫毛の先を持ち上げた。


「ガーリャ? 誰だ、それは」

「あたし、今日はじめて後宮ハレムに上がったのよ。そこで、同じ村出身だったガーリャ……、えっと……確か、そう……ミフリマーフ! ミフリマーフと久しぶりに会って、彼女の部屋に呼ばれたの!」


 どうやら現在の皇帝マフムトの後宮に、側室イクバルとなっていた同郷の者がいたようで、偶然再会したという話だった。ミフリマーフと言えば、北方出身の絶世の美女と評判で、現在皇帝の一番のお気に入りであり、皇太后からも可愛がられていると聞く。

 じきに「寵姫ハセキ」の尊称を与えられ、ゆくゆくは懐妊し、「第一夫人バシュ・カドゥン」の称号を得るだろうといわれている女だったはずだ。


「……それで、同郷のよしみだって言って……今夜は陛下のお渡りもないから、一緒に話でもしようって……」

「気づいたら、ここにいた――とでも?」

「そう! そう! それ!!」


 ただでさえ、おしゃべり好きな女同士。

 日頃皇帝の寵を競う妾、側室たちも、それでも軟禁状態である後宮において何かとくっつきあい過ごしているようだから、同郷ともなればそれも当然の話なのかもしれない。


(いまの話を、信じるのならば、だがな)


 残念ながら、今日初めて出会った女――しかも、夜中に突然絨毯に巻かれてきたような女を信じるつもりなど最初ハナからない。

 胸中で浮かんだ嘲りが、青年の唇の端に現れた。

 ルトフィーが彼女の言に耳を傾けた様子に安堵したのか、必死な様子で首を縦に振る少女が、その青年の低音の笑みに気づいたのか、表情をこわばらせていく。気が強く、ギャンギャンと喚く少女が見せるその様子は、ルトフィーの中にある嗜虐心をゆらりと持ち上がらせた。

 昔から、こうして柔らかな身体を拘束し、組み敷いていても、劣情にそのまま火が着くという事がなかった。その女の正体や、彼女がここに放り込まれてきた背景を考えれば、女の身体に多少欲が疼いたとしても、すぐに頭の片隅に常にある冷えた思考が抑え込んだ。

 けれど。

 先ほどまで大騒ぎをしていたじゃじゃ馬が見せた、別の表情というものが少し心にくすぐったさを覚えさせる。抑え込んだ肢体はどこもかしこも華奢であり、豊かな胸も、肉付きのいい尻もないというのに、ルトフィーの中にある熱を軽く揺さぶってくる。


(少し、遊ぶか)


 常ならば、こうして送り込まれた女はすぐに後宮の管理者である黒人宦官へと連絡し、然るべき対応を取らせていた。長時間、女と過ごす時間があればあるほど、自身が危険なだけなのだから、それが一番最善だと思っていた。


(まぁ、たまには尋問を自分でやるのも悪くない、か)


 ルトフィーは誰に聞かせるわけでもない言い訳を、そう胸中で独りごちると、組み敷いた少女の不安を肯定するように、言の葉を続けた。


「で、それを証明するものは?」


 落とされた声に、少女の眉が途端に不機嫌そうに皺を刻む。


「……証明って……そんなのあるわけ……っ」

「ないんだろう? だったらそんなもの、この後宮ではいくらでも作れそうなありふれた話だ。お前が、皇太后やマフムトの差し金でこの鳥籠にやってきた暗殺者ではない、という証拠はどこにもない」

「カ、フェ……ス? 暗殺、者……?」


 聞き覚えがないのか、ないフリをしているのか。

 少女が語尾を疑問に持ち上げるのを聞き流しながら、青年は少女の胸元へと手を這わせていく。思った通り、片手に収まらないほどの大きさの肉は、そこにはない。けれど、ふよ、とした何とも言えない柔らかな感触が布越しの手のひらを刺激する。

 さすがに状況に気づいたのか、少女が慌てたようにビクッと肩を揺らした。


「待って……、ちょっと待ってよ!! よく、わかんないけど、でも、あたしは、その暗殺者なんて物騒なものじゃない……っ!!」

「お前はさっきから待てばかりだな。じゃあ訊くが、その証拠はどこにある?」

「証拠!? え、と……だって、ほら……暗殺……そう! 武器とか!! 持ってない!! 手ぶらでしょう!?」

「武器、か……。なるほどな」


 頭上で拘束した手を、ぐ、ぱ、ぐ、ぱ、と開けたり閉じたりしながら、ひたすらに無罪を主張する少女へと一度頷くものの、そんな事が理由になるはずもない。この国のゆったりとした重ね着をする文化が、どれほど武器を隠すのに適しているのか、ルトフィーは嫌というほど知っている。


「……ッ、ちょ……っ!!」


 彼女の制止の声などなかったかのように、青年の指が内衣ギョムレッキをたくし上げ、少女の薄い腹をゆっくりと這った。勿論、目的は武器を隠し持っているかどうかを探るためだが、久々に触れた女の柔肌に、正直なところ内心愉しんでいる自分を否定できそうにはない。

 それほどまでに、滑らかな肌が指先に気持ちがいい。

 それでも青年の思考の片隅にあるのは、どこまでも冷えたそれ。指は、当初の目的を忘れずに、慎重な手つきで腹部から脇腹へ、そして背へと指が滑る。


「そんな……とこに……、武器、なんて、隠せるわけないで、しょ……! そんな、とこに刃物なんて仕込んでたら、あ、あたしが……っ、怪我、するじゃない!! バッカじゃないの!?」


 とどめのように言い放った侮蔑の言の葉が、それでもひっくり返った声のせいでひどく幼く耳朶に響く。どこまでも可愛げのないその言葉に、ルトフィーの唇が三日月を作りだした。


「それは、どうだろうな?」

「……っ、どういう……意味、よ?」


 き、と持ち上がった眦が、本当に猫のようだ。


「武器はなにも凶器とは限らんだろう? 毒物の可能性もある。粉薬、軟膏……なんせ、女の身体には、隠しどころが多い」


 そう嘯くのは、過去に実際そういったものをを身体に忍ばせてこの館へやってきた女たちがいたと報告を受けたからに他ならない。歯の中に薬を詰めていた女もいたし、胸に薬を塗っていた女もいたと聞いた。

 だから。


「例えば――、秘所ここだとかな」


 青年の指が、つるりと滑る華奢な背中から、下穿きシャルワールの中へと滑り込む。そしてそのまま、尻の割れ目をなぞるように下ろした指は、何の準備もされていない、少女の足の付け根の中心へと潜り込んだ。


「……ッ、った……!!」


 恐らく、傷みが強かったのだろう。

 少女の痩躯が、ルトフィーの身体の下で強張り、睨んできていた強い瞳がギュ、ときつく閉じられた。

 少しも濡れていないそこは、指一本入れることさえギリギリで、第二間接まで埋める前に止まってしまった。しかし、膣内なかは火傷しそうなほどに熱い。後宮の女の例に漏れる事なく綺麗に除毛されたそこは、最初に触れた腹部と同じくつるりと柔らかな感触だけを青年に伝えてくる。

 知らず、上下した喉の動きにハッと我に返り、ルトフィーは一度軽く首を振った。奥まで確かめるために少女の細腰を抱き上げると、痛みから逃れるためか、少女が軽く腰を引く。

 青年は、それをいいことに、指の付け根まで一気に彼女にしゃぶらせた。濡れていないとはいえ、熱い内壁に包まれる指が気持ちいい。指を折るようにしながら内部を掻き回すと、抱いた少女の腰が弓なりに撓った。


「や……、やだってば……!! 痛……ッ!!」

「そりゃあ濡れてないからな。痛いだろうな」

「だったら、やめ……てって……痛ッ、……痛い……てばっ」


 何かを隠し持っていないか、確かめる為。

 毒物など仕込んでいないか、確かめる為。

 大義名分があるとはいえ、女の身体を弄っていればそれなりに心の中が乱れてくる。若い身体はどうしたって目の前の肢体に、反応してしまう。徐々に、自衛のためか湿り気を帯び始めた少女の膣内に、尋問のためなのだと――表情から感情の温度をなくしている事がそろそろ厳しくなり始めた、その瞬間――。 


「だか、ら……ッ!! ――痛いって言ってるでしょっ!! この、下手くそ!!」


 往生際悪く、足先をジタバタとさせていた少女の声が、部屋に響いた。

 準備もしないまま、身体の中へ指を突っ込んでいるのだから、痛いだろう。

 彼女の言を信じるならば、突然何が何だかわからない状態で、見知らぬ男に押し倒されているのだから、恐れもあるだろう。

 けれど。


「……おい。誰が下手くそだ」


 ルトフィーは少女の膣内から指を抜き、低い声で呻くように訊ねた。熱に炙られていた指が、す、と冷える。

 自分を犯す指がなくなりようやくホッとしたのか、何度か肩で荒い呼吸を繰り返していた少女が、キッ、と眼下より鋭い視線を投げてきた。


「ア、アンタに決まってるでしょ!! きょ、教育係の宦官は、閨房芸の授業のとき、秘所はきちんと準備をしてからでないと痛みが大きくて、ちゃんと入らないから気を付けなさいって言ってたわ! 教本にも、そう書かれてたわよ!! アンタ、知らないの!?」


 閨房芸の教本とやらは知らないが、準備をしてからでないと痛みがあるという事くらいは知っている。こんな生娘でも知っている事実を、後宮を持っていた皇帝・・・・・・・・・・が知らないわけがない。


(というか、それを知ってても、わざわざ自分を暗殺しにきた可能性のある女を悦ばせて濡らす奴がどこにいる!?)


 こちらとしては、多少愉しんでいた事実はあれど、暗殺者の可能性がある女を尋問していただけだというのに、何故生娘に「下手くそ」だと言われなければならないのか。ルトフィーの眉に皺が刻まれ、わざと色を殺していた表情に隠す事のない呆れの感情を滲ませた。


「……何なんだ、お前……」


 突然、夜遅くに誰も寄りつかない鳥籠へ現れる。

 明らかに不利な体勢だというにも関わらず、初見の男にギャンギャン噛みつくようにがなり立てる。

 そのくせ一瞬見せた不安そうな表情は、庇護欲と同時に男の嗜虐心をひどく煽る。

 豊満な肉体を持っているわけでもないのに、男を愉しませる肌。

 髪を絨毯の上に散らばせたまま、キッ、と投げつけてくる視線は強く、綺麗だった。


「こっちの台詞なんだけど」


 ぼそりと呟いた青年の一言に、やっぱり返ってくるのは可愛げのない言の葉で。

 少女の細い身体を組み敷いたまま、互いに眉根を寄せて見つめ合う。


「……ルトフィーさま……っ!」


 傍らで灯る橙のランプの光を、眼に宿らせたふたりの視線が離れたのは、さらなる来訪者の声が部屋の中に響いた時だった。

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