交差点のワカメ女
二見 遊
交差点のワカメ女
学校途中の交差点。
いつも安物のお酒の瓶に花が刺して置いてある場所に、いつからか真っ黒の長い髪で顔のほぼ全面が覆われた、不気味な女が立つようになった。茂は勝手にワカメ女とあだ名を付けている。
茂はその女が気になって仕方がなかった。勿論、恋心ではない。不気味さ故につい横目で見てしまうのだ。女は彼と同じ高校の制服を着ている。しかし登校時間帯がわりと始業ぎりぎりな茂が通り過ぎても、彼女は微動だにしない。
いつみても動いている姿を見たことがない。学校でも見かけたことはない。
一体いつ学校にいっているのか、そもそも本当に同じ学校なのか、もしかして幽霊――そこまで考えて、茂はぶるぶると頭を降った。まさかそんなはずは無いだろう。何しろあのワカメ女は放課後にはあそこに立っていないのだ。
高校のチャイムが聞こえる中、どうにか校門をゴールテープを切るように勢いよく通り抜けた。学年主任が眼鏡を押し上げ、苦々しい顔でこちらを見る姿が目の端に見えた。
「しげるー、今日こそはアウトだったろ?」
「おまえな、見てたんなら足止め手伝ってくれてもよかったじゃないか。間に合ったからいいものを」
「人に頼るなよ、自業自得だろ」
友人の和哉と度々かわすお決まりのやり取りを終え、やれやれと腰を降ろす。入口近くの一番後ろ。この席のお蔭で教師の目を盗み、朝礼に間に合う恩恵に何度も受けてきた。
卒業するまで同じ席でいたい。そんな彼の思惑は、10分もしない内に崩れ去った。朝礼が終わるや否や、教師が席替えを始めると言い出したのだ。
「えー! なんでこんな中途半端な時期にやるんですかー!」
「そこまでおかしな時期でもないだろう、来年からお前らも二年になって、それぞれコースが分かれることになる。それまでにある程度同じコースのやつらと席を近くしてやろうという学校側の配慮だ」
「むしろ違うコースの人と近い席になりたいでーす、来年から違うクラスになっちゃうんだし」
「意見は聞くが俺の力ではどうにもならん! とにかく席替えするぞー」
横暴なやり方にクラス中がブーイングを起こすが、彼はどこ吹く風で教卓の下に手を伸ばし、箱を2つどんと置いた。
「推薦コースは右側、受験コースは左側な。くじ引きだから恨みっこなしだぞ」
有無を言わせぬ言葉に、いまだざわめきは収まらないものの、クラスメイト達はしぶしぶとそれぞれの箱の前に列をなす。くじ引きであれば先に行こうが後にいこうが関係がない。茂は全力疾走した体を休めるため、生徒たちがはけるまで机で突っ伏しているままにした。
「受験コースでまだ引いてないやついるかー?」
暫くして教師が箱に残った1枚の紙をぴらぴらと掲げた。仕方なくのろのろとそちらへ向かい彼の手から紙を貰う。残り物には福があるという。また同じ席になっていてほしい。願いを込めて紙を覗き込んだ茂の目には、前から4番目の窓際の席だった。入口のドアからは最も遠い。
ちぇ、と小さく呟き、席に戻る。周囲では席移動のためがさがさと机を漁る声や、生徒同士のやりとりのせいで教室が先ほどとは別種のざわめきに包まれている。
手早く荷物をまとめ、指定された先に行くと、まだ今の席の主はもたもたと準備をしている。仕方なく荷物を持ったまま窓に寄りかかり、何気なく校庭を見た。
あ、と声が漏れる。
そうして慌てて周囲の様子を伺った。どうやら呟きは聞こえていなかったらしい。ほっと息を吐いてから改めて窓の外を見れば、ワカメ女が校門の脇の通用口からふらふらと入ってくる姿が見えた。
「やっぱうちの生徒だったんだ」
交差点に縛られた地縛霊ではなかったらしい。そもそも幽霊なんているわけがないじゃないか。少しばかり本気でその可能性を考えて恐れていた自分が馬鹿らしくなった。昼にでも友人に話して笑い飛ばそう。そう考えると安心して、窓際の陽気の気持ちよさも相まって、彼は一時間目からスヤスヤと眠りについた。
「学校途中の交差点にさ、最近朝変な女たってるよな。幽霊かよと思う位ぼやーっとして全然動かないんだよな」
昼下がりのご飯時。彼は心の端に僅かに引っかかった恐怖心を吹き飛ばすため、温めていた話を口に出した。購買のパンを机いっぱいに並べ、既に三個目に狙いを定めていた和哉はきょとんとして答えた。
「交差点? 花がいつも置いてある所のことか?」
「そうそう、あそこ何にもないのに一体何してるのか疑問だったんだよな。誰か待ってる風でもないしさ」
「少なくとも俺が通る時は誰もいないけど」
「まさか! だって俺がみると毎朝いるぞ」
「お前……それ、憑かれてねぇ?」
和哉は顔色を少し悪くして、茂の顔をまじまじと見た。
「またお前の霊感の話かよ、幽霊じゃないって。だってさっき通用口の辺りにいるの見たぞ。理由はよくわかんないけど遅刻魔なだけだろ」
「通用口って、数日前から電子キーの調子が悪くて入れないって聞いたけど」
いよいよ茂の顔が青くなる。単に通用口の辺りにいただけなのか。しかし他のクラスも朝礼の時間は大して変わらないはず。一体あれは、誰なのか。
「おい、顔色悪いぞ。脅かして悪かったって。そんな幽霊なんて早々いるもんじゃないし気にするなよ」
「そうだよな……」
友人の言葉に頷いたものの、茂は解消された気味の悪さが復活してしまった。放課後になり、いつもはいないと分かっているものの、首をすくめながら足早に交差点を通り過ぎる。そうして家の自室に入って、ようやく落ち着いて息を吐いた。
明日から少しだけ早起きをしよう。席も移動してしまったことだし、皆と同じ時間帯に登校すればワカメ女も現れないはずだ。
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