9.強欲狂乱
「
咆哮とともにマモンが手を振り払った。
その掌から黄金の飛沫が飛び、鋭い矢尻となって迫ってくる。
とっさにベリアルは大きく後退。それまでベリアルの立っていた場所に黄金の矢尻はめり込み、そのままどす黒く染まって崩れ落ちる。
「お得意の偽の黄金か……質量は金そのままで毒性ありってのが嫌らしい」
「よこせ! よこせよこせよこせ、お前の命――ッ!」
四つの翼が俊敏にひるがえる。空気を切り裂き、一瞬でマモンの嘴が眼前に迫る。
「――っと、前よりも速度が上がってるな」
「なにやってんの」
ベルゼブルが片手を鋭く払った。
ベリアルとマモンとの間に黒線が刻まれ、牙をびっしりと生やした巨大な口が出現する。
しかしマモンは鋭く二対の翼を翻し、その牙をぎりぎりのところで回避。
「
「ッ――その霊威は、ルシファーが昔作ったやつ……!」
マモンの背後の黒渦から、強烈な光が放たれた。
無数の色とりどりの光線が絡み合い、折り重なり、ベルゼブルを焼き尽くさんと迫る。
ベルゼブルは一瞬驚いたものの、その槍を目の前の地面に突き立てた。
足元に黒線が――
牙を持つ口が現われ、またたく間にベルゼブルを飲み込む。それが消失した瞬間に光線が降り注ぎ、轟音とともに破片を砕いた。
別の破片へとひらりと飛び移り、ベリアルは呆れ顔でマモンの様を見る。
「あいつめ……いつの間にあのルシファーから霊威をパクッたんだ……」
「わたくしの財宝がこれだけだと思うなよ!」
マモンが一本の腕を背後の黒渦へと伸ばした。
するとそこから鈍く光る鎖の先端が現われ、鋭い鉤爪を備えた手に握られる。
「ここまで来い、ベリアル――!」
マモンは鎖を振り回し、その錘をベリアルめがけて投げつけた。
ベリアルは眉を寄せつつも破片から跳躍。鎖を逃れ、別の破片へと飛び移り――。
「うおっ、なんで――!」
鎖が、飢えた蛇の如く動いた。それはまるで意思を持っているかの如く蠢き、破片から破片へと俊敏に飛び移るベリアルを追う。
そして――ついに、その左足へと絡みついた。
「うわっ……!」
「かつて魔狼を封じた鎖の残りだ! 逃げられると思うなよ! ほら、ほらァ――!」
マモンが高笑いとともに、鎖を思い切り振り回す。
無数の破片を粉砕し、ベリアルの体は四方八方に叩き付けられた。
たとえ片足だけでも、鎖の威力は絶大だった。
かつて世界を喰らう魔狼を封じた鎖は、物理的にも霊的にも虚無の悪魔を呪縛していた。
「ちっ……これは使いたくなかったんだけどな。――霊翼展開」
舌打ちしたベリアルの背中に、炎の翼が一瞬現われた。
哄笑を上げてマモンが鎖を振り上げる。その先には、巨大な鉄門の残骸があった。
しかしそこに直撃する前に、ベリアルの権能が発動する。
「
鎖の先で、漆黒の炎が燃え上がる。
それは魔狼を封じた鎖を舐めると、それをあっさりと瓦解させた。ぱきんと虚しい音を立てて砕け散る鎖から逃れ、ベリアルはなんとか近くの破片に着地した。
壊れた鎖を振り回し、マモンは怒りに甲高い叫びを上げた。
「おのれベリアル、よくも私の財宝を……! でも、私のコレクションはまだまだ――
にわかに拡張した黒渦の向こうで、水飛沫が上がった。
どっと海のにおいが迫ってくる。破片に立つベリアルは、黒渦を睨んだ。
「レヴィアタン達の霊威か……」
呟いた瞬間、渦の中央から多量の水が放たれた。
全てを押し流すかの如き爆流が押し寄せる。目の前でいくつもの破片が押し潰され、砕け散った。そしてそれはそのまま、ベリアルを飲み込むかのように思えた。
しかし――絶歯が、目の前の空間に刻まれた。
「遅いよ」
「座標間違えてルシファーのとこに行っちゃってた。で、ちょっと話してたの」
短い文句に答えつつ、絶歯から現われたベルゼブルが水流めがけて三叉戟を動かした。
そこに新たな絶歯が刻み込まれ、巨大な口が牙を剥く。
爆流は水量と勢いをそのままに、ぽっかりと開いた口の中に飲み込まれていった。
「障壁は剥がしたものの、さすがに地獄の君主だけあって厄介だね」
「ああ。なんせ権能がチートだ」
痛みの残る左足をさすりながら、ベリアルは唇を歪める。
「権能――
「幸いなのは、オリジナルよりも威力が落ちること」
青く光る海水の奔流を絶歯で防いだまま、ベルゼブルが目を細めた。
「この
「まぁ、だからといって他人の霊威だの武器だのを無尽蔵に使われるのは――」
水砲が、止まる。
絶歯を閉じたベルゼブルに、高速飛行するマモンが襲いかかった。
「どけェ、ベルゼブル――!」
「暴れるんじゃないよぉ、おちびちゃん。君ももうすぐ終わりだ」
ベルゼブルは心底面倒くさそうに三叉戟を振るい、マモンの剣を受け止めた。
そんなマモンの背中にさらに、ベリアルの灯芯剣が叩き込まれる。しかしマモンは瞬時にもう一本の腕を背面に回し、刃羽で灯芯剣を受け止めた。
斬撃、斬撃、斬撃――三叉戟と剣がぶつかり合う。刃羽と灯芯剣が火花を散らす。いくつもの剣閃が闇を走るさまは、さながら夜空を震わせる雷光の如く。
しかしその拮抗も、長くは続かなかった。
「……やっぱり自分の力じゃないと、手に馴染まないよねぇ」
マモンの渾身の斬撃を弾き上げ、ベルゼブルがため息を吐く。
体格には劣っても、年季の違いは技に現われている。打ち合うたびに、ベルゼブルの三叉戟は確実にマモンの剣の刃を破損させていった。
そして――ベリアルに至っては、はなからまともな戦いをするつもりがない。
「――焼き鳥だ」
刃羽に強く押し込み、ベリアルが笑う。
その瞬間、爆音を立てて灯芯剣からごうっと炎が噴き出した。バーナーと化したそれから噴き出す業火は刃羽ごと、バランスを崩したマモンの背中を炙った。
甲高い悲鳴が響き渡る。
マモンはめちゃくちゃに腕を振るい、二体の悪魔から距離を取った。
「熱い! 熱い熱い熱い――ッ!」
「さ、もう十分だろ」
火花を散らして、ベリアルは灯芯剣を振るう。
そしてその切っ先を、焦げた翼を縮めて地面に座り込むマモンに向けた。
「二対一だ。どちらも地獄の君主――これ以上は無茶だと思わないか?」
「観念しなよぉ。そんで、洗いざらい吐いてもらおうかぁ」
地面に突き立てた三叉戟にもたれかかり、ベルゼブルが不気味に目を光らせる。
マモンの泣き声が止まった。
「観、念……? か、かひっ、かひひひっ、それは……それはそれは――」
黒い翼にうずもれていたマモンが、ばっと顔を上げる。
血走った六つの瞳が二人を捉えた。
「それは私に一番遠い概念だ……!」
引きつった哄笑とともに、マモンが翼を大きく開いた。
するとそこに黄金の目のような紋様が浮かび上がった。
黄金の紋様が奇妙な光線が放つ。とっさにベリアルは灯芯剣で防御を図ったものの、光線はなんの手ごたえもなく彼女達の体をすり抜けた。
「これは――」
「アテンの視線だ! かつて地上を支配した神の一柱の目……あんなのも持ってるのか!」
「……そのまなざしは降り注ぐ陽光の如く。無情に万象を暴き立てる」
珍しくベルゼブルが切羽詰まった声を上げる中、マモンがゆらりと立ち上がった。
六つの瞳は煌々と光り、ただベリアルだけを映していた。
「見つけたぞ……お前の価値、お前の財宝……!」
囁くマモンの体には、明らかにさっきとは異なる力と気迫が漲っていた。
背後の黒渦がざわめき、一本の長い槍を生じさせる。マモンが四本の腕でそれを掴むと、じゅうっと肉を焼くような嫌な音が響いた。
ゆらりと向けられた穂先を見た途端、ベリアルは嫌な寒気を感じた。
「よこせ、よこせ……! お前の財宝、私によこせ――ッ!」
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