5.みっともない薔薇をくれてやる
「今晩、マモンをブチのめす」
パラダイス・ロストに戻って早々、ベリアルはごく短く夜の予定を伝えた。
ソファの上で丸まっていたラジエルは、ゆっくりとまばたきした。
「……居場所がわかったの?」
「うん。やっぱり人間って使えるね。ちょっと見直したよ」
「そう……良かったわね」
ラジエルはうなずくと、元のようにソファの上で膝を抱えた。
他者の視線がない場所だと、この天使はこんな妙な座り方をする。どう見てもくつろぐことができない体勢だが、ベリアルも立って眠るのでどっちもどっちだ。
その目の前に、ベリアルは贈り物を放り投げた。
「くれてやる」
「えっ――」
眼前に落ちてきたものに、ラジエルは目を白黒させる。
それは小さな白い薔薇だった。
綺麗な包装紙とビニールに包まれ、リボンが結んである。
ラジエルは恐る恐る薔薇を取り、それを見つめた。
「……地獄の薔薇って、たしかどの品種も毒性があるのよね?」
「失礼だな。それは地上の薔薇だよ」
「地上の、毒のない薔薇? な、何故? 何故、貴女が、私に……?」
「うるさいな。なんだっていいだろ」
ソファの反対側の肘掛けに座ると、仏頂面のベリアルは足を組んだ。
ラジエルに背中を見せた状態で、頬杖をつく。
「どんな悲鳴も慟哭も、私にとっては音楽だ。でも、昨日の君のめそめそはなんだかすごく不快だった。――それだけ」
「……言い方は最低だけど、つまり慰めようとしてくれてるのね」
「好きに捉えればいいよ」
ソファの上で姿勢を正すと、ラジエルはじっと小さな薔薇を見つめた。
本当に小さな薔薇だ。そして、ほとんど蕾の状態だった。
「そのみっともないのしか、白いやつはなかった。いらないなら捨てても構わない」
「……捨てるなんてとんでもないわ」
ラジエルは首を振り、居心地の悪そうなベリアルの背中に笑顔を向ける。
「私、薔薇は白いものが一番好きなの。――ありがとうね」
「ふん……物好きだね」
ベリアルは唇を歪め、左頬の紋様に落ちつきなく掌でさすった。
ガラスのテーブルの上に薔薇を置くと、ラジエルは躊躇いがちに口を開いた。
「ねぇ、今晩どこに行くかだけでも――」
「途中まで連れていってやる」
「……どうしたの? 怖いくらい態度が軟化しているけど」
「うるさいな。放っておいたら、勝手にどこかに行きそうだと思ったからだよ」
ベリアルはぶすっとした顔で、髪の青い部分をいじくる。
ラジエルは戸惑いに瞳を揺らして、ベリアルの背中を見つめた。
「どこかにって……見たでしょう、私の背中。あれじゃ、どこにも――」
「足があるじゃないか」
ベリアルの指摘に、ラジエルは口を閉じた。
振り返って、ベリアルは不機嫌な視線と指先とを天使に向ける。
「君には足がある。そして、幻翼痛を押し殺すほどの
「……買いかぶりすぎよ」
ラジエルは首を振り、また膝を抱えて座った。
「私は強くない……ただ本当に、なにかを知りたいという思いが大きいだけよ。もちろん、常々天使としてありたいと思っているけれど……」
ぎゅうっと膝を抱き締めて、ラジエルは小さく笑った。
「なにかを知りたい……でも、本当に大切なことは、何一つ知ることができなかった」
「……妹のこと?」
短いベリアルの問いに対して、ラジエルは膝に頭をうずめた。
「……中途半端なの。知識を求めたところで、役立てることができなかったんだから」
「正直、君の知りたがりは筋金入りだと思うけどね」
ベリアルは嘆息すると、赤と青の髪をぐしゃりと掻く。
「ともかくさ、連れていってはあげるよ。でも、マモン達には会わせない。いいね?」
「ええ、構わないわ。大人しくしてると思う。……努力する」
「そこはもっと自信を持ちなよ。――じゃあ、私は夜まで少しだけ寝るから」
呆れたような言葉とともに、ベリアルはソファから立ち上がった。
部屋を後にする悪魔を見送って、ラジエルは再びテーブルの上の薔薇に目を留める。
――そのみっともないのしか、白いやつはなかった。
「……あの言い方だと、私が白薔薇が好きだと知っていた感じがするわね」
しかし、ラジエルはベリアルの前で花の好みなど口にしたこともない。
違和感にこめかみを押さえるラジエルの耳に、戻ってくるベリアルの足音が聞こえた。
「――言い忘れてたけど」
「な、なに?」
薔薇をテーブルに戻し、ラジエルはドアの側に立つベリアルを見る。
「君は自分の背中のことを『醜い』だとか『みっともない』だとか抜かしてたけどさ」
「え、ええ……」
まさかまた慰めてくれるのか。ラジエルは驚愕しつつ、こくりとうなずいた。
戸惑う天使に、悪魔はいびつな笑みを浮かべた。
「それでも私は余裕で君を抱けるぞ。昨日もちょっとムラっとした」
ラジエルはソファを投げつけた。
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