2.泣かせた、泣かせた
「あいつら、繋がりがあるのかな」
「まだなんとも言えないねぇ……マモンはともかく、クリーチャーはよくわからないなぁ」
ベルゼブルはよだれ拭きで口元を拭いながら、ゆるゆると首を振った。
「そうね。判断材料が少なすぎるわ」
ようやく冷静さを取り戻したと思わしきラジエルがうなずく。
ベルゼブルは両手をすり合せるようにして動かしながら、しばらく考え込んだ。
「でもマモンは情報通だからぁ……多分いろいろと知ってるんじゃないかなぁ。街のこととか、クリーチャーのこととかさぁ」
「じゃ、とりあえずマモンを軽くシメるか」
「ン、それがいいねぇ。あの子、ルシファーがさんざん甘やかしたからさぁ……」
その瞬間――ベルゼブルは、初めて明確な表情を見せた。
愛らしい顔から眠そうな色が消え、ギザギザの歯を持った唇が不機嫌そうに歪む。
「……傍若無人。大欲非道。まるで自らが神になったかの如き分不相応な振舞い。欲望に任せて四方八方に問題を起こし、それを処理する者の手間を考えない……」
苛立ちをぶつけるように、ベルゼブルは空になったポテトチップスの袋を潰す。
そして硬く丸まったそれに、歯を突き立てた。
「あの子も地獄の九君主の一人なんだ……いい加減、教育ってものが必要だね」
「わぁ、こわーい。――で、問題は、マモンの巣がどこかって話だ」
ベリアルはくすっと笑って、左頬の紋様を指先でさすった。
「貴女達は、確か冥式霊威で同じ悪魔の場所を探すことができるでしょう?」
「使ってみたけど役に立たないね」
言いながら、ベリアルは
緑に光る眼球であたりを見る。
その視線は壁を突き抜け、外の霊気すらも捉えていた。
しかし――ベリアルは、首を振った。
「あいつ、うまいこと気配を偽装してる。どれだけ精度を上げてもひっかからない」
「あの子が好きなのはお金がたくさんあるところなんだけどぉ」
画面の中で、ベルゼブルがくったりと肩をすくめた。
「この街にはそんな場所は山ほどあるんだよねぇ……」
「どうやってマモンの居場所を探るか……」
ラジエルは難しい顔で、こめかみを押さえた。
「そして見つけたところで、どうやって倒すか……相手は地上では無敵の存在よ」
「安心してよ。マモンのシメ方については、私に少し考えがある」
「あっ。さてはなにか悪いこと思いついたねぇ、ベリアル」
ベリアルは密やかに笑うと、画面越しにベルゼブルに手を差し伸べた。
「手始めにベルゼブル……生意気な後輩を教育するために、『蛆』を何匹か欲しい」
「……ンアー、『蛆』まで使うんだ」
ベルゼブルは立ち上がり、画面の向こうでなにやらごそごそと荷物を漁り出した。
そうして戻ってきた彼女の手には、白い陶器のポットがあった。
滑らかな表面には、『Maggot』の文字。蓋を開け、ベルゼブルは中を覗いた。
「ンー……どの品種がいいの? 品種によっては、ちょっと日数をもらうよ」
「アトミック妖蛆を五匹」
「あれはだめだねぇ。一九八二年に地上への持ち込みが禁止されたんだぁ」
「ちぇっ、つまんないな。じゃ、
「きみ、よっぽどマモンにイラっときたんだねぇ」
蓋を閉じ、ベルゼブルは何度かポットを振った。そしてまた、蓋を開ける。
「……ン。
「さすが魔王補佐だ、話が早い。代金は口座振込でいいかな?」
「各種電子決済も使えるよぉ」
「おお、それは便利だ。じゃあ、前払いで支払っておくね」
「……今、目の前でなにか恐ろしいものが手軽に取引された気がするんだけど」
「気のせいだね」「気のせぇい」
涼しげな顔で片手を振る悪魔達を、ラジエルはじとっとしたまなざしで見つめる。
ベリアルはくすっと笑うと、ベルゼブルに視線を戻した。
「で、蛆以外にも君には手を貸してもらいたいんだ」
「面倒だけど仕方がないねぇ。マモンを探すアテはあるわけぇ?」
「ちょっとね。――あいつを見つけたらまた連絡する」
悪魔の映像通話は、そうして終わった。
ノートパソコンを閉じ、ベリアルは一息吐く。
「――それで? どうやってマモンを探すの?」
「君には教えてあげない」
「何故? 私も――」
「だからさ、羽根無しに何ができるってわけ? 校閲でずいぶん消耗しただろ」
「あれくらい、もう回復したわ」
ラジエルはむっとした顔で、自分の両手を軽く握りしめてみせる。
それを、ベリアルは冷めた表情で見つめた。
「どのみち、相手は地獄の一君主だ。君をつれていくわけにはいかないね」
「話が違うわ。私は貴女を監視し、観察すると――」
「それは私の留守中に、勝手に君に死なれたら困るから――って話だっただろう。こんな戦いに、羽根のない愛玩動物を連れていってなんになるの?」
ラジエルは悔しげに唇を噛み、うつむいた。
ベリアルはポケットからキャンディケースを取り出すと、それを軽く揺らした。
「いくつか麻酔は置いていってやるから、幻翼痛の時には呑むといい。ともかく、私がいない間に勝手な真似をするのはやめろよ。出ていくのもなし」
「…………どこに」
「は? 何か言った?」
消え入るような声に、ベリアルは首をひねる。
ラジエルは、静かにベッドから降りた。そうして、バスローブの襟元を緩める。
解かれる衣――そして包帯に、ベリアルは大きく目を見開いた。
「こんな……醜い……みっともない、背中で……」
弱々しくかすれた声――そして目の前に晒されたものに、ベリアルは言葉を失った。
ラジエルの白い背中には、凄まじい傷痕が残されている。
翼を失った証であるそれは未だ癒えることなく、じくじくと血肉を光らせていた。
「どこにいけるっていうの?」
ラジエルは、薄く笑った。
それはベリアルがいつも浮かべる空虚な笑みに、よく似ていた。
「神が私に与えた使命は救うこと、知ること、記すこと。でも、こんな体じゃ……。なにかを為したければ悪魔の手を借りなくちゃいけない……」
自分の肩をきつく抱き締め、ラジエルはうつむいた。
「私は天使。……自覚ばかりが残っている。自覚がなくちゃ、立つこともままならない」
か細い声とともに、青い瞳から透明な雫が零れ落ちた。
「……なんにもできなくて、壊れてしまいそうよ」
涙は、見たはずだ。マステマとの戦いの時も、ラジエルは涙を流していた。
なのに今、目の前で零れた涙の光に何故だかベリアルは動揺する。
「えっと、あのさ……どうしたの?」
「……なんでもないわ。私は、もう休むわね」
ラジエルは首を横に振バスローブを羽織り直した。
そうして振り向きもせずに部屋を出て行った。
ベリアルは呆気にとられたまま、ラジエルの出ていったドアを見つめる。
「……え、私、なにか泣かせるようなことをした?」
途方に暮れた悪魔の遥か頭上で、日は少しずつ傾いていく。
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