4.悪魔、地上へ
トンネルを抜けると、目の前に地上の風景が広がった。
「ここが、セカンドトリス。魂の流出が特に顕著な街……ね」
ヴァニティーに搭載したカーナビで街の名前を確認し、ベリアルは緑の瞳を細めた。
セカンドトリス――それは、合衆国でも有数の規模を誇る大都市だ。
見渡す限り高層ビルが広がり、星が霞むほどの明かりを放っている。
彼方には、ネックレスのような明かりに縁取られた海。そうして反対を見れば、黒々とした火山が静かに噴煙を噴き上げているのが見える。
「……おぉ、あれを派手に噴火させたらきっと楽しいぞ」
良からぬことを企みながら、ベリアルは賑やかなセカンドトリスの街を走る。
そうして、人々で賑わう大きな公園を目にした。
どうやらバザーをやっているらしい。
暖色のイルミネーションに彩られた公園には無数の露店が並び、募金を呼びかける人々の姿も見受けられた。
ベリアルはいったん路肩にヴァニティーを停めると、公園へと足を進めた。
談笑する人々の様子を鋭い目で確認し、中心人物と思わしき一人の女性を見定めた。
「――ねぇ。毎日ここでこういうことやってるの?」
「あら、まぁ――」
振り返った女性は、ひどく驚いた表情でベリアルを見た。
見た目は二十代半ばほど。栗色の髪を顎のラインで切り揃え、温かそうなベージュのコートとタータンチェックのスカートに身を包んでいる。
「毎日というわけではないわ。毎週土日に、ここでチャリティーバザーをしているの」
「ふぅん。ねぇ、この街で最近なにかおかしなことはなかった?」
「うーん、突然言われても困っちゃうわねぇ。貴女ってもしかして新聞記者?」
「女優です。売れっ子」
ベリアルはさらりと嘘を吐いた。
「あらあら、おかしな方ね。確かに声は素敵だけど。――そうねぇ」
女はいたずらっぽく微笑むと、鞄の中から名刺入れを取りだした。
「私、レア・ベゾアールっていうのよ」
レアが差し出した名刺を、ベリアルはしげしげと眺めた。
「慈善団体……山羊の園?」
「えぇ。私、ここの代表なの。団体の仲間はたくさんいるから、皆にも話を聞いてみるわ。さっきも言ったけど、私は毎週ここでバザーをしているから――ああ、それと」
レアは近くの出店に近づくと、そこから小さな硝子瓶を持ってきた。
それを、レアは笑顔でベリアルへと差し出した。
「これ、私達が作った栄養飲料なの。格安で、美味しくて、一本で一日戦える優れもの! 売り上げは貧しい人達のために役立ててるわ。お近づきの印にどうぞ」
ベリアルは受け取ったそれを見下ろした。
ラベルには、『超高機能滋養強壮山羊乳ウルトラキッド』と派手な文字で書かれている。
「……うん、まぁ。よろしく、ね」
「こちらこそ」とレアは輝かんばかりの笑顔で会釈する。
その空間がどうにも悪魔として居心地が悪く、ベリアルは早々に退散することにした。
「……なんか、売り込みだけされた気分だな」
首をひねりつつ、ベリアルはひとまずウルトラキッドの瓶を開けた。
においを嗅ぎ、一口だけ口に含む。そして後悔した。
「……うえ……なにこれ……無理……」
ウルトラキッドは排水溝に消えた。
「まだにおいが口に残ってる……山羊乳はバフォメットので慣れてるはずなのに……これが美味いなんて、二十一世紀の人間の味覚はどうなっているんだ?」
げえげえと喘ぎながら、ベリアルはヴァニティーの車内から街の様子をうかがう。
クリスマスのギフトを買う人間。ステーキハウスに群がる人間。ショーウィンドウを前にはしゃぐ人間。古い服を着た人間。道路の隅で物乞いをする人間。
見渡す限り人間、人間、人間――そして、悪魔。
『……やっちまえ、やっちまえよ』
信号待ち中に、隣の車から奇妙な響きの声が聞こえた。
視線を向けると、青ざめた顔をした男がハンドルを握っている。
その肩には蛍光色のタコにも似た悪魔が貼り付き、触手を男の耳の穴に突っ込んでいた。
『なんのためにライフルがある? てめェの嫁と間男をブッ殺すためだろ』
悪魔は、今は実体化していない。
だからその姿は男の目には映らず、囁きは男の耳には聞こえない。
――けれども男の霊魂には、響いている。
『なぁ、ヤツらのあの時の居直りを思い出せって。ナメた真似してただろ?』
醜悪な顔で笑いながら、蛸の悪魔は触手の一つでダッシュボードを示した。
そこには輝くような笑顔の男と、美しい女性を映した写真が飾られている。
『今晩やっちまえって。……鉛玉ブチ込まれて当然だって、あんなクソども……』
男の視線が写真に向かう。そして続いて、背後に移った。
恐らく後部座席か、トランクにライフルを載せているのだろう。
『やっちまえよ。やるしかねぇだろ。そうして地獄に落ちりゃ、お前の魂はオレの――』
信号が青に変わる。途端、男の車が急発進した。
男は何か意を決したような顔で、闇を駆け抜けていった。――笑う蛸の悪魔を連れて。
「……二人。いや、三人ほど死ぬかな。あれは撃った後で自殺しそうだ」
ベリアルは肩をすくめ、ヴァニティーを発進させた。
街には、他にも悪魔達がいる。
いずれも人間には感知できない状態で彼らに取り憑き、地獄への誘惑を囁きかけていた。
彼らの狙いは霊魂だ。
人間の霊魂は燃料になるだけでなく、様々な用途がある。そうして生きているうちに堕落させれば、その魂は誘惑した悪魔のもとへ落ちてくるのだ。
とはいえ、やり過ぎれば天界が怒り出す。
地獄に作られた避雷針の群れは、天界から叩き込まれる雷を防ぐためのものだ。
「どいつもこいつも、熱心だね」
無数の悪魔達が人間に取り憑いているのを見て、ベリアルは呟く。
「これも霊魂の流出に関係があるのか? ……わからないな。もう少し色々見てみるか」
ベリアルはひとまず、路地裏にヴァニティーを停めることにした。
「あとでちゃんと呼ぶから。良い子にしてて」
不満げに唸るヴァニティーを撫で、ベリアルは近くのビルへと足を進める。
まるで水晶でできた角柱のように煌めくそれは、どうやら商業ビルらしい。ビル前の広場も買い物袋を抱えた人々で賑わい、ベンチで憩う人の姿も見える。
きらきらと輝くビルを見上げて、ベリアルは持ってきたコーヒーを思案顔で飲んだ。
「……まぁ、これでいいか」
空になったチルドカップをベンチの傍のごみ箱へと放り込む。
そのままベリアルはビルの玄関へ――その脇の大理石の壁へと、速度を緩めず進んだ。
壁面に足を着けた。一歩。
そして当然の如く二歩、三歩、四歩――。
輝く空中庭園の賑わいを尻目に、壁から塔屋の側面へと歩く。ビル周囲の人間は壁を歩くベリアルに気づきもせず、談笑にふけっていた。
やがて、ベリアルは塔屋の上――国旗を掲げた旗竿の頂点にたどり着いた。
「さてさて――」
室外機の音を背中に感じつつ、ベリアルは燦然と輝くセカンドトリスの街をじっと眺めた。
この高さから見下ろすと、街はまるで地上に横たわる銀河のようだ。
イルミネーションに彩られた通りを、冬装束の人間達が行く。
そうして悪魔達も、堂々と街を歩いている。
巨大なムカデにも似た化物が夜空を泳ぐ。ウィンドウショッピングをする人の肩で、双頭のカラスがけたけた笑う。チカチカ瞬く街灯の上で、子鬼が数匹跳ねている――。
「……地獄とそんなに変わらないね」
静かな言葉は、白い吐息とともに闇に消えていった。
「地面が平たいだけだ。……地上が地獄に似てるのか。地獄が地上に似てるのか」
ベリアルは旗竿の上にしゃがみ込む。
片手で眼を隠し、瞼を閉じる。そして直後、指の狭間で眼をカッと見開く。
「
鮮やかな緑の虹彩の中央で、縦長の瞳孔が不気味に光った。
途端、がらりと街の様相が変わった。
色が反転し、明かりが黒く染まる。白と黒が入り乱れる視界の中で、レンズフレアにも似た様々な色の波紋がぽつぽつと広がっていった。
「あ、ベルゼブル発見。あとで会いに行こう」
一際大きな赤の波紋を確認しつつ、ベリアルは光る瞳で街全体を見る。
と、その唇がいびつな弧を描いた。
「……おや? 天使じゃないか。しかも大所帯」
町外れ――比較的明かりの少ない区画に、青い波紋が無数にある。
「連中に話を聞いてみるか。……楽しみだ。どう痛めつけてやろうか」
ベリアルは足に力を込め、躊躇なく塔屋から飛びだした。
危なげなく近くのビルへと飛び移り、二色の髪の悪魔はそのまま夜の街へと飛び去った。
――それからしばらくして、街の明かりが不規則に瞬きだした。
地上を闊歩していた悪魔達が一斉にざわめく。
彼らは恐ろしい顔に怯えの表情を浮かべると、逃げるように街の往来から姿を消していった。
やがて、彼方の空が暗くなった。
渡り鳥にも似た黒い群れが――悪鬼の天使達が、街に迫ってくる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます