3.断翼

 ――ラジエルは、目覚めた。


「う……」


 傷ついたラジエルは呻きつつ、ゆっくりと身を起こした。

 見た目は十八、九ほどの若い女だった。腰まで届くほどの白髪。肌もまた雪のように白く、その繊細な美貌は触れれば消えてしまいそうな印象を与える。

 しかし鮮やかなターコイズブルーの瞳は、傷ついてなおも強い意志の光を宿していた。

 そして細い背中には、白い翼が二対。

 まさしく多くの人間が想像する天使の姿だ。

 しかし今は白と銀の制服も、柔らかな翼も赤い血にまみれ、痛々しい姿になっている。


霊素核れいそかくは、かろうじて逸れたのね……」

 翼でどうにか体を支えつつ、ラジエルは自分の胸を見下ろす。

 胸元に開いた穴からは、赤い血とともに小さな雪の結晶にも似たものが零れる。霊気の結晶だ。恐らく、体内で霊気を流す重要な器官をいくらか傷つけたのだろう。

 それでも、心臓たる霊素核は砕かれなかった。

 ラジエルは胸に手を当てる。青い光が零れ、見る見るうちに傷が塞がっていった。


「……これが、限界ね」


 傷は重い。そして天界からの逃走による疲労、墜落のダメージも大きい。

 ラジエルは深くため息を吐き、あたりを見回した。

 どうやら、古い聖堂のようだった。がらんとしたその場所には人気がなく、静かだった。

 見上げれば天井に大穴が開き、曇った夜空が覗いていた。

 ラジエルは、よろめきながら立ち上がった。


「逃げないと……嗚呼、物質の体はこんなにも重たいの……」


 せめて今だけは、翼を納めよう――そう考え、ラジエルは翼に触れようとした。

 嫌な寒気を感じた。ラジエルは、弾かれたように振り返る。

 その視線の先――ひび割れた壁面に、悪鬼の面が浮かんだ。

 直後、無数のマステマ達が音も無く壁をすり抜け、立ち尽くすラジエルへと近づいてきた。


「私はマステマΓガンマ――お覚悟を、座天使ラジエル」


 抑揚のない声でマステマΓが囁いた。

 ラジエルは黙って、青い瞳でマステマ達を睨み付ける。その拳が、青い雷光を纏った。


「……この周囲には、人間の住居が無数に存在します」


 機械的なマステマΓの言葉に、青い雷光が揺らいだ。


「貴女が逆らうごとに、我々は十人殺す」


 雷光が、消えた。

 ラジエルはもはや言葉もなく、血の味が滲むほどに唇をきつく噛みしめた。


「地面に伏せなさい」


 ラジエルは、黙って指示に従った。

 ただちに二体のマステマが近づき、万力のような力でその体を押さえつけた。


「Βからの連絡では、油断ならぬ相手です。万全を期す必要がある」


 マステマΓの手に、黒い影が揺らめく。

 そうして形成された湾刀の切っ先を、マステマΓはラジエルの翼に向けた。


「ラジエルの翼を落とし、焼きます」


 それは天使にとって最も屈辱的で――そして、最大の苦痛をもたらす行為を意味していた。

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